▼書籍のご案内-序文

『上海清零 ~上海ゼロコロナ大作戦~』はじめに

 
 
はじめに
 
 
 2020年春の上海。新型コロナウイルス感染症の感染拡大で,活気のあった上海の街もひっそりとものの見事に静まりかえりました。私も勤務先の病院が当局の要請で閉鎖してしまい診療活動が行えず,子どもの学校も長らく休校になりました。われわれの日常生活がほんの一瞬のうちにすべて変わってしまいました。1996年から上海に暮らしている私にとっても,毎日衝撃的な体験ばかりです。その間,どこにも行くことができないので,書斎にこもって,『中医養生のすすめ~病院にかかる前に~』(東洋学術出版社)を完成させました。
 
 あれから約1年経ちました。この間,中国に暮らすわれわれの「すぐに収束できるだろう」という期待に反して,新型コロナウイルス感染症が欧米をはじめとする西側先進諸国にものすごい勢いで蔓延し,しかもより強力な変異株まで次々と登場し,多くの方が命を落としました。日本でも緊急事態宣言が発せられ,一部では医療が逼迫する事態にもなりました。一方,上海での生活は2020年春以降,新規市中感染者が減少するとともに徐々に正常化し,2020年夏頃にはすっかりコロナ禍前とほぼ変わらない日常生活をおくれるようになりました。もちろん,海外からの帰国者に対しては厳しい3週間の隔離が継続され,自由な往来が制限されますが,中国国内では大きなイベントも再開され,飲食店も賑わっています。国内の旅行も再開されました。われわれ中国在住の日本人は,こうした防疫体制の変化を毎日の日常生活を通じて自ら体験してきました。
 日本の隣国である中国のコロナ対策の仕組みは,日本では一部マスメディアによって断片的に紹介されています。中国は厳しく感染者ゼロを目指して「ゼロコロナ対策」をやっていると報道されていますが,実はその全貌はほとんど知られていません。中国でも毎日海外輸入例から感染者が発生し,たまに市中感染者も発生していますが,死者がほとんど出ていないこと,ましてや隔離やワクチン接種だけでなく,中国伝統医学(中医学)を使った対策が行われていることも日本ではほとんど知られていません。
 中国は歴史的に常に感染症と闘ってきました。たとえば,中医学や日本の漢方医学を勉強すると必ず読む『傷寒雑病論』(『傷寒論』)の作者である張仲景(150?-219)一族は,200人以上の大所帯であったそうですが,建安元年(196年)以降の10年間で3分の2が死亡し,そのうち7割は「傷寒」(急性感染性疾患)による病死でした。張仲景はこの疾患で突然に亡くなった人たちを救ってあげられなかったことを悔やみ,『傷寒雑病論』を書くことを決心したと序文に記しています。2千年近く経った現代でも使われている,日本人には馴染み深い「葛根湯」や「小青竜湯」も,実はこの『傷寒雑病論』が出典で,新型コロナウイルス感染症対策で開発された清肺排毒湯をはじめとする数々の処方も,この『傷寒雑病論』の処方の影響を強く受けています。
 
 本書のタイトルの「上海清零」とは,上海市内で市中感染者がゼロになり,市全域で低リスクエリアとなって,入院患者もすべて退院し,いわゆるゼロコロナの状態が達成されたことを意味します。中国では感染者が発生したとき,常に新規感染者をゼロにするまで徹底的にPCR検査を行って隔離していくことを実行していき,ゼロが達成できたとき,「清零」と呼びます。メディアなどでこの「清零」が発表されると,これでまた日常生活に戻れる,と思えて嬉しくなります。最近では,中国各地で感染者が稀に発生しても1カ月ぐらいで「清零」が達成できることをわれわれ一般市民も実感できるようになってきました。
 世界各国が,それぞれのやり方で新型コロナ対策を行ってきています。本書では,そんななかで中国がどういった対策を行い,上海在住のわれわれ日本人がその中でどう暮らしてきたか,そして中医学がいかに活用されてきたかについて,中国で暮らしている日本人の視点から紹介しようと考えました。
 もちろん人口が14億人,日本の約25倍の国土をもつ中国のやり方を真似る必要はまったくありません。政治体制も,文化も,民族もすべてが違います。しかし,中国のやり方を知ることで,われわれの防疫対策に何らかのヒントが得られることもまた事実です。そして,本書を通じて日々変わりゆく中国の新しい一面を理解していただければ本望です。


2021年11月 上海浦東の自宅にて