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【追悼】菅沼 伸氏のご逝去を悼む(山本 勝司)

 中医学の名通訳として知られる菅沼伸氏が,がんを患って,6月24日早朝亡くなった。享年57歳。あまりにも早い旅立ちだ。

 菅沼伸氏は,1974年~1979年に,日本から中医留学を果たした最初のグループの1人。後藤学園の兵頭明氏やツムラの大武光氏らと同期だ。かれらは文革直後に北京中医学院の本科生として,5年間の正規な中医学教育を受けた。菅沼氏は,帰国後は,夫人の胡栄(菅沼栄)先生とともに二人三脚で通訳,講演,執筆などと大活躍される。
 日本の中医界は,これら日本人留学生と中国からの渡来中医師の活躍に負うところが,極めて大きい。
 80年代と90年代,今から思うと夢のように,日中交流が盛んであった。多くの老中医たちがこぞって来日し,講演をしてくれた。任応秋,劉渡舟,趙紹琴,顔正華,董建華,焦樹徳,路志正,張伯訥,裘沛然,朱良春,張鏡人,柯雪帆,陸幹甫,方薬中,沈自尹,危北海……。当時の錚々たる中国中医界の最高リーダーたちだ。この顔ぶれを見れば,中国がいかに日本に期待を掛け,力を入れてくれていたかが,わかる。老中医だけでなく,たくさんの中医師たちが来て講演をしてくれた。これらの湯液関係の通訳のほとんどは,菅沼氏にゆだねられた。
 日本の中医黎明期,多くの中医愛好者たちは,菅沼伸氏の通訳を通じて本場の中医学に接し,中医学の原点を体で感じ取ることができた。
 菅沼氏の通訳は,最高であった。難解な中医学の講義,ましてや地方出身の多い老中医たちの強い方言,これらを難なくさばき,大音声で,しかもものすごいスピードで,明解に通訳する。聞いていて,ひっかかるところがない。頭にすっと入ってくるのだ。それだけでなく,通訳の調子が高まってくると,老中医も興奮して,より大きな声でやり返す。両者の丁々発止のやりとりで,会場はいよいよ盛り上がる。それに,このやりとりの中で,老中医の生の人柄が引き出される。これも通訳の功徳だろう。若い日本の中医愛好者たちの中には,老中医たちの情熱的な人柄と高い人格性に心打たれて,中医学にのめり込んだ人も多い。菅沼氏は,日本の中医界の熱気を盛り上げた功労者であった。
 菅沼くん,すばらしい通訳を,ありがとう。私たちはあの感激を決して忘れない。
もう,あの通訳が聞けないかと思うと,残念の極みだ。
 あの世でいつまでも我々を見守っていてください。


東洋学術出版社会長・日本中医学会顧問  山本 勝司
(2012年6月27日)


董建華先生(右)の通訳をする菅沼伸氏(左)
董建華先生(右)の通訳をする菅沼伸氏(左)


焦樹徳先生(左)の通訳をする菅沼伸氏(右)
焦樹徳先生(左)の通訳をする菅沼伸氏(右)


王炳文先生(左)の通訳をする菅沼伸氏(右)
王炳文先生(左)の通訳をする菅沼伸氏(右)


プロフィール
1954年 生まれ。
1974年から1979年まで 北京中医学院に5年間留学。
1979年 北京中医学院卒。北京で胡栄(菅沼栄)先生と結婚。
1981年 帰国後,神奈川県立七沢リハビリテーション病院に勤務。

著書・訳書・論文
[監修]『いかに弁証論治するか― 「疾患別」漢方エキス製剤の運用』(東洋学術出版社刊)
[監修]『いかに弁証論治するか―漢方エキス製剤の中医学的運用』【続篇】(東洋学術出版社刊)
[共著]『漢方方剤ハンドブック』(東洋学術出版社刊)
[共訳]『金匱要略解説』(東洋学術出版社刊)
[共訳]『中国傷寒論解説』(東洋学術出版社刊)
[論文]『中医臨床』誌上に多数発表。

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