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中国中医界の先導者 周仲瑛先生について

今回の旅行でお会いする予定になっている老中医・周仲瑛先生は、かつて南京中医薬大学の学長を務められていたころに、中国の中医薬大学で使われて評判が高い、いわゆる「五版教科書」(『中医内科学』上海科学技術出版社、1985年発行)の副主編を、董建華先生とお二人で担当されています。
今回の旅行に参加される先生方の中にも、この教科書で中医内科学を学んだ方が少なくないでしょう。

内科学5版








説明書きを読むと、この本の中で周先生は感冒・咳嗽・肺痿・肺癰・哮証・喘証・肺労・肺脹・痰飲のパートを担当されているそうです。




周先生は1928年生まれということですから、今年で77歳になられますね。
代々続く医者の家系に生まれ、幼少時代からお父様に中医を教わられたといいます。

中国では1947年に中医排斥運動が起こり、中医学が冷遇を受けた時代がありました。中医学の発展が大きく阻まれたときでしたが、そのときに周先生は精神的重圧を受けながらも、中医学に対する信念をより確固たるものにされたといいます。

1956年に上海中医学院を卒業されて以来、常に臨床の第一線に立って活躍されていらっしゃいます。
1980年代に流行性出血熱が中国で流行した際、死亡率が80%にも及び、医者がなすすべを失っていたときにも、周先生は疫区に赴き、温病・傷寒などの各家学説を総合して系統的治療方法を提示され、死亡率を全国水準並みにまで低下させることができたそうです。
以来周先生は、急性伝染病に対する中医治療の有用性を特に意識され、心血を注いで中医内科急診学という新分野を拓かれました。
そして、2003年に中国でSARSが流行した際にも、周先生が治療方針について指示を与えたことで、SARS制圧に大きな成果を生みました。

近年、周先生は中医学の西洋化の風潮を憂い、中医学の発展に関しても提言をされています。
「西洋の立場に立って中医をみれば、誤りを生んでしまう。
 中西医学は2つの異なる医学であり、両輪として補完しあうべきものである。
 そして、中医学はまだまだ未開拓の宝の山なのだ。」と…。

一家の説にとらわれることなく、幅広く各家のよいところを総合すべきだと強調される周先生。
豊富な臨床経験の中で、重篤な患者や疑難病患者の治療に数多く携わられ、高い治療成果をあげられている先生から、短い研修の中でもきっと何か大切なものを学び取れるのではないでしょうか。
 



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2005年10月01日 01:26に投稿されたエントリーのページです。

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