英国中医薬学会(ATCM)会長 沈恵軍
編集部より
近年中国は,グローバル化し各国で利用される中医学を一定レベルの水準に保つため,中医学の標準化に力をいれている。一方で,この標準化の作業は伝統医学の画一化や,特許・資格ビジネスにつながる要素を含むため,特に日中韓の間で摩擦が生じている。中国の強引な進め方に対する反発も強い。
また今年5月以降,EU圏では中薬販売禁止措置がとられ,欧州における中医学は新たな試練をむかえている。
このように,世界に広がる中医学を取り巻く環境は転機をむかえているが,今後中医学が世界医学として普及するためには,各国において中医学が合法的立場を確保できるかどうかも大きな鍵となる。
このたび,英国の中医法制化に向けた歩みについて,英国中医薬学会(ATCM)会長の沈恵軍氏がまとめた文章を入手したので,翻訳掲載する。
ここからは,12年にわたる厳しい環境のなかで,着実に中医学の足場を固め普及にむけて努力してきた跡がうかがえる。
本稿は,2011年4月中旬に中国雲南省昆明市で開催された世界中医薬学会連合(世界中連)の第2期第8回理事会において発表されたものである。このたび,翻訳転載の許可を得たのでここに連載する。
|
はじめに
英国における中医法制化には,2000年11月に英国上院の代替医学報告(※1)によって英国政府に草薬・鍼灸などの代替医療に対する立法管理化を提議してから,英国保健省が先ごろ発表した2012年4月の草薬師・中医師に対する法管理開始まで,じつに12年という歳月を費やした。英国における中医法制化12年の歩みは,今後中医が海外においてどのように発展を続けていかなければならないか,いかにして法の制定によって英国の中医事業の健全な発展を維持していくべきか,いかにして中医師という職種の利益を適切に保護するべきかを私たちに教えてくれている。このことは,われわれのように海外において中医で生計を立てている者や,中医事業に注目している華人団体および中国国内の関連部門にとって,大いに注目すべき問題なのである。
項目
☞(1) 背景
(2) 【2000~05年】初期の草薬・鍼灸の立法経過
(3) 【2005~06年】立法過程における中医の平等な地位確定
(4) 【2006~08年】連合立法WGおよびその報告と保健省の第2回一般諮問
(5) 【2010~12年】この1年の進展と今後の見通し
(6) 英国の中医界が直面する問題
■1■ 背 景
1.中医事業の迅速な発展
英国が,国民保健サービス(National Health Service:NHS)を実施したのは1948年のことであり,今日まですでに60年の歴史がある。しかし,資本主義社会における「大鍋飯」(機械的な平均主義)的なこの医療システムは,国の医療支出の増大や,公共医療サービスの質が保証されないなどの弊害が多く,はなはだしきは,ホームドクターの許可を得なければ,患者は自由に専門医の診察を受けられないという状況まで発生しており,巷では不満の声も多くあがっていた。英国政府は,この矛盾を緩和させるため,長期にわたり中医・鍼灸・民間薬医師などの補完代替医療(complementary and alternative medicine:CAM)に対し,寛大というよりむしろ放任といった態度をとってきた。英国では,鍼灸が40年余りにも及ぶ長い歴史を辿ってきたことに続いて,中医薬の診療所も,1980年代から現在に至るまで,迅速な発展を遂げている。当初は,ロンドンのチャイナタウンに数軒しかなかった診療所も,範囲をイングランド・スコットランド・ウェールズにまで拡大して,現在では2,000軒以上に増加し,ロンドン地区だけでも500軒を超えているとみられる。このような発展は,羅鼎輝医師が中医薬によって湿疹を治療した(※2)~(※4)ことが最大のきっかけとなった。英国のマスコミが,このニュースを大きく取り上げたことにより,英国国民の中医に対する認知度が急速に高まった。その後中国大陸から,大学本科以上の学歴と医師資格を有する中医師および西洋医師が数多く英国に渡り,同地で中医事業に従事した。これによって,英国に中医の「正規軍」が形成された。現在英国では,正規の学歴をもつ中医師は1,500人前後いると推定される。中医は,その確実な治療効果ですぐに英国国民に認められるようになり,さらにマスコミが1998年以前に,中医に対して肯定的な報道をしたことが,中医の発展を後押しした。
英国では,中医診療所の発展と同時に,中医の大学教育もまた大きく発展した。1990年代以前の英国の中医教育は,おもに私立の中医学校で行われており,さらにほとんどが鍼灸の教育で,中薬に関しては教えていなかった。また鍼灸教育にしても,スタイルを変えた表面的な理論や手法(いわゆる五行鍼灸など)しか教えていなかった。1997年に国立のミドルセックス大学(※5)が北京中医薬大学の協力のもと,中国の中医薬大学をモデルにした中医課程を開設して以降,リンカーン大学,イースト・ロンドン大学,ウエストミンスター大学,ロンドンサウスバンク大学など,多くの大学が中医鍼灸課程を開設した。さらに一部の大学では,中医の修士課程を開設し,英国・中国の他にも,世界各国から学生を募集している。これら国立の中医教育機関は,私立の中医学校とともに,英国政府に対し法を制定して中医師を管理するよう強く求めている。
2.中医事業発展初期の重大事件
中医に対する英国政府の政策が寛容だったことから,中医従事者の資格には規制がなく,さらに中医業種は投資額が少なく収入が安定していることも手伝って,中医の学歴がないものや,ごく短期の教育しか受けていないものでもこの業種に携わっていた。これらの人たちは,中国大陸から渡ってきたものもいれば,英国人またはその他の民族の英国居住者もいた。そのなかには,徐々に事業を広げ次々と分所を開く者もいて,英国の中医学界に玉石が入り交じる状況をもたらし,なかには劣悪なニセ医師も出現した。そのような医師の医療技術は極めて低く,利益をあげることだけに尽力し,公然と違法行為を行って,有毒な中薬製品を扱うなどの事例が多かった。さらに,マスコミが尾ひれをつけて報道したため,中医の名声を著しく傷つけた。また特に大きな事件が何件か発生し,英国の中医事業に対するマイナスのイメージが大きくなった。
英国保健省の薬品管理局(Medicines Control Agency:MCA,現Medicines and Healthcare Products Regulatory Agency:MHRA)は1999年6月,英国人の患者が,ウマノスズクサ属の関木通を含む中薬を服用後に,腎障害を発症した2つの事例を通達した。またこのとき,数年前にベルギーの一診療所で広防已を含んだダイエット薬を使用し,多数の患者が腎障害を引き起こしたという報道6)も取り上げ,ウマノスズクサ属の植物薬の暫定的な使用禁止令が公布された。そしてその後,この禁止令は永久的なものとなった。さらに一時期,中薬の使用による腎疾患や,中薬には発がん性があるといった誇張された噂が囁かれ,これが英国の中医業界に対する最初の大きなダメージとなった。この影響は今日まで尾を引いている。英国高等裁判所が2010年2月に,竜胆瀉肝丸の長期服用による腎障害の案件に対する判決を下し,英国の主要メディアがこれを大々的に報じた。
英国議会上院の科学・技術委員会は2000年11月,代替医療に関する報告(※1)を発表した。この報告では,鍼灸・西洋草薬・ホメオパシー療法・整骨療法などを第1類に分類して,推進すべき確かな治療効果や研究の価値があると認めたが,中国およびインドの草薬は第3類に分類し,治療効果が低く,理論も宗教や哲学にもとづいたもので,推進したり研究する価値がないと判断された。このように,中薬と鍼灸は人為的に分割され,さらに中薬は低く評価されてしまった。その後英国政府は,この報告に対する回答で,管理上の便宜性という理由から,中薬とインドの草薬を第3類から第1類へと分類し直したが,今度は西洋の草薬と一体化され,草薬医という同一の名称で呼ばれることになった。このように,上院の報告も英国政府の回答も中医(Traditional Chinese Medicine:TCM)を代替医療のなかの独立した1つの体系として認めなかった。
薬品管理局MCAと薬品安全委員会(Committee on Safety of Medicine:CSM)は2001年9月,中薬の品質と安全性について合同記者会見を行い,新たな中薬の副作用症例を報告し,国民に対し,中薬医療を受ける場合は慎重さが必要だと伝えた。この報告により中薬には,安全性が保証されないというイメージが定着し,中医業界は再度大きな打撃を受けた。
しかし,以上のようなマイナスイメージがありながらも,中医は英国で安定した発展を続け,その確実な治療効果で力強い生命力を示していた。2001年の年末には,2000年11月に上院で発表された代替医療報告に対する回答を振りかえり,衛生部長が談話を発表し,中医の治療効果に言及した。衛生部長は,今後は中医を含む代替医療の発展を推進する必要があり,政府は上院報告のなかの提議を踏まえて,代替医療管理に関する法制化に着手すると表明した。
その一方,歴史的な要因から英国では鍼灸と中薬は異なる2種類の治療法だと考えられており,鍼灸師と中薬師も対立して互いに競い合い,異なる専門組織に所属していた。1990年代中期には,いくつかの鍼灸専門組織が合併し,英国鍼灸協会(British Acupuncture Council:BAcC)を設立した。またこれと同時に,英国中草薬登録協会(Register of Chinese Herbal Medicine:RCHM)も設立された。1994年には,中国人を主体とした英国中医薬学会(The Association of Traditional Chinese Medicine(UK):ATCM)(※7)が成立し,羅鼎輝医師が初代会長に就任した。ATCMの設立は,中医を1つの独立した医学体系として英国中医界にのぼりを挙げ,英国における中医の歴史の一里塚となった。それでも英国の主流社会からみて,中国人は弱小勢力であるため,中医が1つの医学体系であるという理念は,まだまだ少数の人にしか認識されていなかった。さらに英国政府が,鍼灸を単独の代替医療の1つとみなしてからは,中薬は西洋およびインド草薬とともに,まとめて草薬医療(Herbal Medicine)と称されるようになった。
(つづく)
[参考文献]
1)http://www.publications.parliament.uk/pa/ldl99900/ldselect/ldsctech/123/12301.htm
2)Atherton D, Sheehan M, Rustin M. H. A, Buckley C, Brostoff J, Taylor N.(1990) Chinese Herbs for Eczema. The Lancet 336 p1254
3)Atherton D, Sheehan M, Luo D-H(1991) A Controlled Trial of Traditional Chinese Medicine Plants in Widespread-Exudative Atopic Eczema. Br. J. Dermatol. 125(Suppl 38) P 17
4)Atherton D, Sheehan M(1992) A Controlled Trial of Traditional Chinese Medicine Plants in Widespread-Exudative Atopic Eczema. Br. J. Dermatol.126(2), p 179-184
5)http://www.mdx.ac.uk/courses/undergraduate/complementary health/index.aspx
6)www.atcm.co.uk
7)http://www.dh.gov.uk/en/Publicationsandstatistics/Publications/PublicationsPolicyAndGuidance/DH_4070170
出典:英国中医立法12年的歴程和結局.世界中医薬学会連合会首届中医全球化与人類健康高峰論壇 論文匯編.
翻訳:平出由子