|
▼中国最新情報
« 中国最新情報 トップに戻る
訃報 裘沛然先生が逝去されました
2010年5月3日午前5時,上海中医薬大学付属竜華医院において,裘沛然先生が97歳でお亡くなりになりました。
裘沛然先生は1914年浙江省慈渓出身。少年時代から古文に関心をもたれ,当初は,自然科学や文学の分野の勉強をされました。その後,次第に医学に傾倒され,叔父の裘汝根から鍼灸を学ばれました。
1930~34年にかけて丁甘仁が創立した上海中医学院で学習され,丁済万診療所で,臨床実習を積み,夏応堂・程門雪・秦伯未など著名な中医師に師事されました。1934~58年には浙江省の慈渓・寧波,さらに上海など各地で医療活動をされ,同時に歴史・文学・哲学などの研究を行われました。
1958年から上海中医薬学院での教育に携わられ,鍼灸・経絡・黄帝内経・中医基礎理論・各家学説などの研究室主任を歴任。特に,鍼灸学の発展にも力を尽くされ,4年間に『鍼灸学概要』『経絡学説』『鍼灸学講義』『刺灸法』『腧穴学』『鍼灸治療学』など6種類の鍼灸関係の書籍を編纂されました。当時,教科書が不足していた中医学の世界では画期的なことでした。また,鍼灸分野における裘沛然先生の教育法には定評があり,基本知識・基本理論・基本技能の「4つの基礎」を重視し,学生に自ら進んで手技を教えたり,農村に赴いて地域医療を実践するなどして,中国の衛生部門から高く評価されました。
主な著作として,1958年から辞書『辞海』の編纂に副編集主任として参加され,中医学関係の内容を執筆されました。『中国歴代各家学説』『新編中国鍼灸学』など30冊に及ぶ著作がありますが,なかでも『中国医学大成』では,950万字もの文章を執筆するなど文筆活動に力を入れられていました。晩年の代表作には,『壺天散墨』があり,そこからは漢詩などにも精通されていたことがよくわかります。
中医学関係の業績として,難病治療に様々な治療法を提起されました。1987年に中華全国中医学会の1等優秀論文に選ばれた『疑難病証的中医治法研究』では,養正徐図法・反激逆従法・大方復治法・内外貫通法・培補脾腎法・斬関奪隘法・随機巧法・医患相得法など8種類の治療方法を発表されました。同時に,古方の研究にも励まれ,1988年8月には日本の東洋医学会でも発表されています。そこでは,『傷寒論』『金匱要略』などの処方を用いて心臓疾患を治療した経験を紹介されました。
そのほか,『傷寒論』と『温病学』の一体論を主張され,六経弁証と三焦弁証は密接に関係しており,衛気営血弁証と経絡臓腑は切り離せないとされました。そのうえで,温病学は『傷寒論』から枝分かれした分野であり,外感熱病の治療においては『傷寒論』と『温病学』を機械的に区別するのではなく,総合的に応用すべきだと主張されました。
鍼灸分野では,経絡学や奇経八脈の研究のほか,灸の重要性について注目され,「針を用いるときは,灸も忘れるな」と強調されました。一般的に,灸は陰証や寒証に用いられますが,裘先生は陽証・熱証にも用いられ,例えば陰虚で灸を使うことによって「陽生陰長」となる理論を実践されました。
1995年に上海市名中医,2009年に中国政府から国医大師の称号を受けられ,第1回目の中国全国で中医学医療技術を継承する指導老中医師500人の一人にも選ばれ,若手中医師の指導に尽力されました。
裘沛然先生は,ヘビースモーカーとして有名で,講演の途中に,おもむろにタバコを取り出して吸っておられたほどです。寧波訛りの中国語は,一般の中国人でも聞き取り難く,弟子が通訳に入っていましたが,迫力あるお話で会場を沸かせました。ご冥福をお祈り申しあげます。
(2010年5月6日 藤田 康介)
ページトップへ戻る
|