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中国のオリンピックメダリストとある中医師
山西省出身の中国卓球ナショナルチームの元主力メンバーで、2000年シドニーオリンピックの卓球ダブルスの金メダリスト李菊さんと山西省臨猗県の中医師荊夏敏さんが山西省人民政府から表彰を受けた。まったく関係のない分野の2人とも思われるが、実はこの2人の間には有名なエピソードがあった。
今年30歳の李菊さんは、7歳の時より卓球の練習をしていた。1992年に中国ナショナルチームに加入し2001年に引退、2003年にまた卓球界に復活している。ところが、2000年に開催されたシドニーオリンピック前、李菊さんは体の不調を訴えた。体力の低下とともに、精神的にも優れず、皮膚がかゆくなるなどの症状がみられた。テレビで彼女のプレーを見ていても、手で腰などを掻く様子がみられ、彼女の皮膚や体調の状態がよくなったことが伺い知れた。
こうした体の変化に、中国国家体育局の専門家は、中国国内の専門家を探し、山西省臨猗県に中医学で乾癬を治療する専門家が居ることを知り、ナショナルチームの医師や山西省体育局の関係者とともに、荊夏敏医師のところを訪れた。
荊夏敏医師は、山西省臨猗県乾癬研究所の医師で、乾癬の治療を専門に従事していた。荊夏敏医師の乾癬に対する治療原則は、「外病は内側から治し、血熱は仮象で、疾患の本質は血瘀にある」と考え、「温腎強腎・活血化瘀・解表消斑」を治法とした。その当時、乾癬の治療では一定の効果があったものの、こうした国家級のスポーツ選手の治療に、荊夏敏医師も少なからずプレッシャーを感じたと当時を振り返る。
荊夏敏医師は、まず李菊さんの体を全体的に診察し、虚弱体質であることを突き止め、器質性病変がなかったことが判明した。しかし、これまで使ってきた薬の用法が望ましくなく、免疫力に影響を与えていることが分かった。そこで、李菊さんに対しては、扶正去邪の治療方針を示し、また生薬も天然産の生薬を使うなどして治療にあたった。煎じ生薬は1日3回服用し、また太原から中医按摩師を連れてきて、毎日足療と按摩を行った。これら治療により、体調がみるみる回復していったという。こうした治療を2ヶ月間にわたって行った。
2001年元旦に北京に戻ったときは、荊夏敏医師は医師を派遣して、李菊さんのその後の経過を1ヶ月間観察したという。
このように、中医学の治療には、患者と医師との間の信頼関係と、根気よく治療するという努力が必要だ。この2人は、その後も交友を深め、臨猗県は李菊さんにとって第2の故郷になったという。(2007年8月記 『三普都市報』山之内 淳)
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