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絶滅してしまった上党の人参
中国では経済の発展に伴い、環境破壊や乱獲が進み、中医学で重宝されるチベット産の冬虫夏草や、新疆ウイグル自治区の雪蓮花など貴重な生薬が姿を消しつつある。しかし、こういった生薬の乱獲はなにも今に始まったことではなく、中国の歴史に教訓として残されている。
中医学の中で欠かすことのできない生薬の一つに人参があるが、今では主に東北エリアで産出する。そのうち、長白山人参は有名で、中国人ならまず知っているブランドの一つだ。ところが、古代中国では山西エリアで産出する上党人参が有名であった時期があった。上党とは、今の山西省長治市から黎城県にあたるエリアをさす。
今から2500年前の中国春秋時代の文献にも登場する上党人参は、魏晋時代の『名医別録』にも、遼寧エリアの人参と並ぶほど良質な人参が産出したといわれている。唐代では、上党人参・遼寧人参・高麗人参の3種類が重宝された。その中でも、上党人参は最も品質が良いと評判だった。
宋代には、上党人参を区別する方法として、1人に本物の人参を服用させ、もう一人に人参でないものを服用させ、走らせて息が切れるか切れないかで鑑別したという言い伝えも残っている。
今でこそ、山林が伐採され、山肌が荒々しく残る山西省の上党エリアだが、その当時は木々が生い茂り、人参の好む寒冷でかつ湿潤な気候がいたるところにあったそうだ。人参にとっては最適な環境が、時代とともに徐々に破壊されていったのだ。
宋代ごろにはすでに上党人参は貴重なものとなっていた。『本草綱目』にも当時の人たちは人参を乱獲して、だんだんと採取が難しくなってきたことが記載されている。ついに金元代から明代にかけては、上党人参がほぼ姿を消した。
このように、人々の生活や社会情勢と生薬の種の保存には密接な関わりがあるのだ。(2007年2月8日 新民晩報)
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