中国大陸では4月3日までSARSに関する具体的な報道はほぼ行われていなかった。また,以前に広東省であれだけ猛威を振るっていた肺炎に関しても,上海などでは記事になることはあっても大きく取り上げられることはなかった。ところが4月3日に中国の新聞各紙が中国衛生部長張文康氏の記者会見の内容を一斉に取り上げてから,SARS関連はイラクの戦争状況と並ぶトップ記事になった。
SARSは中国では「非典型肺炎」と表記されている。治療過程においてまだ特効的な抗生物質が発見されていないため,現在の治療法は隔離と対処療法が中心だ。そのなかで中医学による治療法も補助的ながらも立派にその地位を確立している。すでに中国疾病予防控制中心(中国疾病予防コントロールセンター)が試行的に発表した「非典型肺炎に推奨される治療法と退院時の診断基準」においても対処治療の項目に「中薬補助治療・治療原則:温病学の衛・気・営・血と三焦弁証論治」という記載がある。また4月3日の衛生部部長・張文康の記者会見の中でも,すでに広東省では過去の類似の肺炎の経験から中西結合医学(中医学と西洋医学両方を用いた治療法)による治療法が効果をもたらしていることを発表している。中医学には伝染病を扱った理論も少なくなく,温病学はその中でも中心的な役割を果たすといっても過言ではない。たとえば,明代末期の医学者・呉又可は自分の経験にもとづき,中医学で本格的に伝染病を記述した書物『温疫論』は名高い。
1,広東省の経験が生かされるか?
広東省では比較的早くから新型肺炎による死亡者が確認されており,また抗生物質の効果が思わしくないという現実から,中医学を利用したさまざまな試みが行われている。一時は市民の間に板蘭根が効くという口コミの噂が流れて,広東省では板蘭根やその顆粒が薬局から消えたり,価格が高騰するという事態も起こった。また殺菌作用が強いとされる「白酢」も値段が高騰した。しかし板蘭根は苦寒の清熱解毒作用の生薬であるため,長期服用には向かないだけでなく,個人の状態によっては胃腸を痛め,またアレルギー反応や造血系統の副作用の報告もある。もちろん風熱型の感冒やウイルス性肝炎などには効果はあるものの,盲目的に生薬を服用するには怖さがある。
そこで2003年の2月初め,広州にある広州中医薬大学で抗生物質が効かない種類の肺炎の患者に対して,全国でも著名な老中医・劉仕昌教授や広州中医薬大学の彭勝権教授(上海科学技術出版社『温病学』6版教材の主任編集員),広州中医薬大学第一付属病院の温病学の専門家・鐘嘉煕教授らが中心になって第一付属病院の10人の患者の回診を行い,そのときの処方を公表している。鐘嘉煕教授の分析では,患者の症状は温病の伏暑に属し,最近の異常に暖かい気候に加えて,広東省など中国南部に多い高湿度の状態が状況をさらに悪化させているという。ちなみに,上海でも3月の末に春としては50年来の暑さ28.9℃を記録し,気候の温暖化が心配されている。伏暑とは,明の時代の医学者・王肯堂が『証治准縄』で名称を確立し,暑熱もしくは暑湿の邪気が体の中に留まり,それが秋や冬の気候の変化や体の正気が弱まったときに,突然発病する急性の熱病の一種のことである。
広東省の中医学の専門家の判断により処方された方剤の主な成分は,玄参・板蘭根・金銀花・錦茵陳・夏枯草・_苡仁・崗梅根・茯苓・菊花などで,早速煎じられ,広州中医薬大学第一付属医院ではこの処方を一般の市民にも1杯2元で配った。また,自分で煎じるものも1袋5元で広く販売され,当時多くの市民が列を作って購入した。
予防としては,何よりも人ごみを避け,手洗いやうがいの励行,部屋の空気の入れ替えを頻繁に行うことが大切だ。そのほか部屋の消毒として酢を使った熏蒸法や生薬「蒼朮」を部屋の中で燃焼させる方法も紹介されている。約10平方メートルの面積で30gの蒼朮を燃やすと効果的であるというが,喘息患者がいる場合は行わないよう注意している。
2,北京での試み
北京では広東省ほどひどくはないものの,それでも死者が出ている。4月6日の政府の公式発表では死者4人となっている。こちらでは北京中医薬大学東直門医院の姜良鈬教授と周平和教授が予防用の方剤を紹介している。こちらの専門家の意見では,今回のSARSに関しては40℃近い高熱から熱毒症状がひどく,また容易に湿邪を巻き込んでくるのが特徴だとしている。中医学では,やはり温疫病に相当する。そのため勢いの強い熱毒によって人体の陰液が消耗するのを真っ先に防ぐことを怠ってはならないという。そのため予防としては免疫力を高め,清熱解毒・芳香化湿辟穢・補気生津法が有効である。具体的な処方は1日分の分量として
蒼朮12g,_香12g,金銀花20g,貫衆12g,黄耆15g,沙参15g,防風10g,白朮15gという処方を提示している。
服用方法は,体力に自身のある人は1日おきに1日2回朝晩,これを3回続け,日ごろからカゼを引きやすい人,免疫力が弱いと思われる人は,毎日1日2回,これを連続して7日間服用するとよいとしている。子供や妊婦は個々の体質や年齢にあわせて量などを加減する必要がある。
また北京でも板蘭根の服用はあまり効果が期待できないとし,こちらでは空気消毒として針灸で使う艾条を燃やしたり,檀香や蔵香などを熏香するのも予防効果があるとしている。
いずれにしろ,中医学が一定の効果をもたらす可能性があることは確かだ。また今後中医学理論による弁証考察が深まるにつれて,さらに効果的な処方が生まれてくるはずだ。
[2003年4月14日]
上海中医薬大学大学院中医内科修士課程 藤田康介