薛 崇 成
◇著者略歴
1919年 四川県生まれ。1935年,成都へ求学。四川国医学院卒業,華西協合大学医学院卒業,中国中医研究院針灸研究所資深研究員,1993年から国家政府より特別手当を受ける。
患者の症状から,SARSは中医学的には温熱病に属し,衛気営血もしくは三焦弁証で治療するというのが,一種の通説になっている。またその感染経路は主に口や鼻からで,温邪に風邪が絡まった結果として,空咳が出る。温邪に湿邪が絡まる,頭痛・体の節々やあちこちの筋肉の痛み・脱力感・下痢などの症状が出てくる。一方で,表証であるならば,悪寒がみられるほか,頭痛・体の節々や筋肉の痛み・脱力感もみられる。また中医学では「肺気主降」といい,肺気が降りることができなければ胸悶を覚え,さらに気が逆らって上部へ出ようとするものなら,激しい気促を呈する。今回のSARS患者の症状から,複数の証が複合している状態がよくわかる。
歴史的背景
明の崇禎14年(1641年),北京と華東一帯で温疫が流行した。このとき呉又可は邪気が『傷寒論』とは違った伝播,すなわ口や鼻などから体に侵入することを提唱し,邪気が膜原に居座るという病機から達原飲という処方を作り,より効果をあげたとされている。ところが清の乾隆年間に華東地域で再び温疫が流行したとき,当時の医学者余霖は症状から「熱淫」に属するとして,呉又可の治療法を用いた。しかし,治療効果がなかったため,大量の石膏を含む方剤を作ったところ,これが効果を発揮し,数年後に北京で再流行した温疫に対しても用いられることになった。北京の高官の高熱が下がらず,呼吸困難に陥っている状態で,生石膏を大量に用いたところ,命を救うことができたいう当時のエピソードが残っている。
乾隆58年(1793年)に北京で再び温疫が流行し,呉鞠通は温熱病の高熱に対して,辛涼軽剤・辛涼平剤を使ったものの,効果はなく,漢代の医学者・張仲景の白虎湯を応用するとすばらしい効果を発揮した,という。白虎湯は辛涼重剤で石膏が主要な役割を果たしている。張仲景の著書『傷寒論』や『金匱要略』の中には11以上の石膏を主薬とする方剤が収録されており,主に温・熱・火に関係のある証の治療に使われている。
薛崇成先生の経験
1938 年,解放前の中央国医館四川省文官が主催する四川国医院で私が学んでいたころ,温病学の何伯薫先生が温疫治療における石膏の効力について絶賛されていたことを記憶している。また私の師である蒲輔周先生も私たちの故郷で温病を治療するときに生石膏を常用し,危篤の患者を救ったことを記憶している。1950年代,華北において日本脳炎が流行したときも,蒲輔周先生は石膏を用いて治療に当たられた。今でも,私自身石膏を臨床でよく使うが,これをSARSの治療現場で有効に使えないものかと提案したい。
石膏は鉱物系の薬で「金石薬」と呼ばれているが,その性質は一般に大寒といわれているため,験がなければその使用には慎重になる。実は私自身も,1日3回にわけて30gから200gの石膏を450mlの水で35分間煎じて毎日服用してみた。親友たちは胃気を損傷する可能があるから,そうした服用法はしない方がよいと勧めてくれたが,結果的には血圧も食欲も大小便もすべて異常はなかった。ただし100g以上を服用すると口が乾燥したように感じた。そのまま1カ月あまり毎日石膏を服用したが,私自身の体には大きな変化は見られなかった。
張仲景が白虎湯の中で用いた石膏の量は500g程度と考えられている。1938年に私が『傷論』の李欺熾先生から教わった量は7銭6分(約23g,現在の書物の多くは60gと記載してある)。張仲景が大青竜湯で用いた石膏の量は鶏の卵に相当する大きさで,木防巳湯においては鶏の卵2つ分とある。実際にこの大きさの石膏の重さを測定してみると,100gから200gに相当する。張仲景は副作用を減らすために,白虎湯には粳米・甘草などを加えたりしている。
私はすでに85歳だが,体はきわめて健康であるので,私自身で石膏の反応を見るわけにはいかない。そこで今年75歳の妻に石膏を服用してもらった。妻は性格に関しては陰陽が行しているものの,陽が若干盛んで,怒りやすい。体質は陰寒が盛んで,虚弱である。高血圧・萎縮性胃炎・胆.炎を患っている。そんな妻にも石膏を服用してもらったが,若干口が渇く以外は,血圧・大小便は正常で,副作用は見られなかった。
さて,この生石膏を3回煎じたあと乾かして重さを量ってみたところ,体積や重量には大きな変化はなかった。そこでこの石膏の煎じ液を豆乳に混ぜてみると,豆乳が凝結した。面白いことにこの石膏を39回煎じて豆乳に混ぜてもやはり凝結した。
生石膏の主な化学成分は硫酸カルシウムである。先人たちは温病に有効であるとし,明らかに解熱作用はあるが,それが病原体に作用しての解熱作用であるかどうかは明らかでない。もちろん豆乳に石膏を加えると凝結することから,蛋白質に変化を与えていると考えられるが,病原体自身に作用している可能性も十分に考えられる。またすでに実験で証明されているが,石膏には内毒素による発熱を下げる作用や,体外実験ではウサギの肺胞のマクロファージ活性化の作用が報告されていることから,SARSの治療において石膏が有効ではないかと考えられる。
また生石膏は廉価であるため,治療だけでなく予防にも広くわれる可能性がある。仮にSARSに関して直接作用がなくても,解熱作用に関してはもっと活用されるべきだろう。
扶正去邪に関しては,扶正はもちろん大切であると考えられるが,SARSのように強力な病原体が体を襲ったとき,さらに強い正でも守り切ることはできないと考えられる。やはりいかに去邪するかが大切であろう。
私はこの機会に経方で使われている方剤を再考すべきだと思う。経方の方剤は使われている生薬も少なく,たとえば甘草干姜湯・瓜蒂散・桂枝甘草湯,甘草湯,小承気湯などの効用は明らかで,処方の組み合わせの中で主なる生薬の役割もはっきりしている。白虎湯の主な薬は石膏であり,主要な生薬を大量に使うことが大切で,そのうえで患者の症状に合わせて粳米などの量を加減する。とくに,中医学の根幹である弁証論治においては主な薬を中心に,患者の症状に合わせて他の薬を配合していくことが大切である。
[訳者注]薛崇成先生は85歳の老中医だ。石膏について独自の経験にもとづいた観点を中国中医薬報に書いている。今回はその中から抜粋して翻訳してみた。先生はご高齢にもかかわらずいまだに自転車に乗って患者を往診されるほど体はお元気である。石膏は中の臨床でも非常によく使われる薬の1つで,小児科の子供の肺炎患者で,高熱に冒されている場合でも適宜加えることがある。
[2003年9月15日]
出典:中国中医薬報/訳者:藤田康介