追悼
牟田光一郎先生のご逝去を悼む
公立梼原病院 吉冨 誠
牟田光一郎先生が10月20日逝去されました。享年82でした。
2017年9月,熊本で開催された第7回日本中医学会で特別講演「諸病源候論について」が最後のご講演でした。昨年春,ご自宅に伺った頃はご長男と一緒に外来診療をなさっていました。
牟田先生は1963年に鹿児島大学医学部をご卒業後,若くして熊本県御船町で開業され,地域密着の医療を行ってこられました。地域の医師会長,ライオンズクラブの会長を務め,医院2階には一面ガラス張りのジムと会議室を設け,太極拳やエアロビック教室,手芸教室として地域住民の健康増進のために開放なさっていました。さながら地域の公民館のようでした。
開業後,地域の結核審査会の委員をなさっていましたが,副作用のある抗結核薬を漫然と使用し続けることへの疑問,結核薬に限らず副作用が心配される薬を投与することへの疑問から漢方に辿り着かれました。しかし当時の漢方書籍や講演会には,漢方の法則性や基礎理論が見当たらず失望したそうです。日中国交回復後に中医学のテキストを読んで,基礎理論があることに感動し,当時入手可能な中医学関連の書籍を集め独学されました。日本における中医学導入の先駆けのお一人です。
基礎理論のベースになっている広い裾野を探求するために,中国古代から現代までの中医書を全部調べようと決意。『黄帝内経』から,明・清に至るまでの本を読破。その過程で『景岳全書』に出会い,張景岳を師匠としてこられました。
1989年,『校訳諸病源候論』を出版。その勢いで,『景岳全書』の校訳・和訳に取り組み,2016年に完了しました。なんと30年近くかかった大仕事でした。
牟田先生は学生時代に剣道を,その後弓道を,さらに太極拳とその道を究めてこられました。一度取り組んだら,その道を究めるまでやり通す集中力・持続力は,漢方にも発揮されたと思います。
私は,熊本赤十字病院研修医時代より週1回先生のご自宅で中医学の講義を拝聴し,中医学の手ほどきをしていただきました。その後私は韓国へ留学し,先生とは意見を異にする部分がありましたが,有り難いことに先生は私に対し学問的に一切の束縛をなさることなく,お付き合いくださいました。師たる者のあり方を,身をもって示していただいたと思っています。
私が先生にはじめてお会いしたのは,1983年,阿蘇観光ホテルで開催された「第6回臨床漢方シンポジウム」の場でした。先生は代表世話人をなさっていました。私はまだ学生でしたが平馬直樹先生の紹介で参加させていただきました。このシンポジウムには当時の漢方界で若手といわれた漢方医が全国から集まり,夜遅くまで激しい議論を交わすことで有名でした。阿蘇でも田川和光先生,江部洋一郎先生,牟田先生が夜明けまで激論を交わされていたのを鮮明に覚えています。田川先生,江部先生は一足先にあの世にあって,牟田先生を待ち構えていることと思います。張景岳先生も「待ちくたびれたよ」と熱烈歓迎でしょう。牟田先生が遺された,『校訳景岳全書』を世に出すことが,私のせめてもの恩返しであると思って準備を始めています。どうぞ熊本と九州そして日本の中医学をあの世よりお見守りください。
【牟田光一郎先生の略歴】
1937年 福岡県生まれ
1963年 鹿児島大学医学部卒業
1964年 熊本県御船町にて泰泉堂牟田医院開業
医学博士。日本東洋医学会熊本県部会副会長・日本東洋医学会名誉会員
(2019年12月)
『中医臨床』通巻159号(Vol.40-No.4)より転載