サイト内キーワード検索


お問い合せ

東洋学術出版社

〒272-0021
 千葉県市川市八幡
 2-16-15-405

販売部

  TEL:047-321-4428
  FAX:047-321-4429

編集部

  TEL:047-335-6780
  FAX:047-300-0565

▼『中医臨床』プラス

« 『中医臨床』プラス トップに戻る

通巻157号(Vol.40-No.2)◇【追悼】小髙修司先生の急逝を悼む

 
追悼

小髙修司先生の急逝を悼む

仙頭クリニック 仙頭 正四郎



kotaka-sensei_tsuitou.jpg



 日本の中医学を長く牽引されてきた小髙修司先生は,平成が幕を閉じようとする3月28日未明,母校東京医科歯科大学附属病院で静かに息を引き取られました。ご遺体が大学病院に安置されていた暫しの間,そこから数百メールの距離にある診療所にいた私は,直にではありませんが,はからずもお側に控え,旅立ちをお見送りしたことになります。
 小髙先生のご業績は今更ご紹介するまでもありませんが,広島の十河孝博先生,京都の江部洋一郎先生ほか多くの先生方との研究会を通じて,医療者を中医学に引き寄せたことはもとより,一般社会に向けて中医学の存在を知らしめる先鞭を,多くの形でつけられました。当時,中医学はおろか「漢方」という言葉すら保険診療になじまなかったなか,東京都の正式予算を受けて公立病院(都立豊島病院)で保険診療として煎じ薬治療を行い,治療成績を上げる姿を世に見せつけた功績は,漢方外来が全国に浸透する大きな力になったと確信しています。その後,講談社ブルーバックス『三千年の知恵 中国医学のひみつ―なぜ効き,治るのか』を皮切りに,次々と一般向けの書籍を世に出し,NHKテレビにも生出演して,薬という切り口だけではない,理論を持った東洋医学を一般の方々に紹介する先頭を走って下さったように感じています。
 小髙先生の強みは,忖度とは縁のない,正しいことは必ず通るという,筋や道理を大切にする信念にあったと思います。この信念が東京都を動かし,次々と熟練の中医師を呼び寄せることができたのです。その信念ゆえ,自分が正しいと信ずるものを常に求めることにもなります。原書を読み,多くの中医の治験集にあたり,医学や理論には常に厳しい態度をお示しになりました。こと漢方に関しては,自分にだけでなく,相手がどういう立場であれ等しくその厳しさを求めたので,議論のなかで,疑問や矛盾に対しては厳しい質疑を浴びせる姿が印象的でした。それは真実を求めるがゆえの姿だったと思います。
 先生から直接いただいた「どの処方を使おうと,どんな生薬の加減をしようと,その理由が言えたらいいんだよ」のお言葉が強く記憶に残っています。これは,裏を返せば「何を決めるにしろ,必ずそこに説明できる理由がいる」と言われているのです。受け売りや経験のみではなく,納得する論理的根拠を求めて弁証や処方と向き合えということだと理解しています。その姿勢はいまの私の診療の礎となっています。
 小髙先生は大学卒業後,国立がんセンターにおいて頭頸部腫瘍の外科医として多くの手術加療を手がけるなかで,がん治療に対する西洋医学の限界と疑問を感じ,東洋医学に傾倒され,ご家族の病気を契機に,本格的な煎じ薬治療,中医治療にのめり込んだと聞いています。奇しくもご本人も数年前に類似の疾患を発症されましたが,現代医学の治療とともに自らの煎じ薬で,その疾患を克服されていました。ご逝去はこの疾患によるものではなく,数日体調不良を自覚されていたものの,通常通り診療をなさった,その夜の出来事で,ご自宅でご家族に「もういんだよ,これでいいんだよ」と言葉を残されて意識を失われ搬送されたとお聞きしました。病気で亡くなられたというより,当直医が突然呼ばれるように,急に神のご要請を受け,身支度もせぬ間に次の世の使命に向けて旅立たれたような気がしてなりません。ご自宅に全国から患者様がご弔問に訪れたとお聞きしています。小髙先生のお人柄と治療の腕を物語る,直前まで医療に携わった医師として最高の最期だったとも感じています。
 盟友として絶大な信頼を置かれていた江部洋一郎先生を先に亡くされ,落胆しておられましたが,たぶん,お二人がこの時代の役目を終え,次の世の東洋医学発展のために生まれ変わるべく,連れ添ってこの世から次の世へと旅立たれたのではないかと,悲しみよりも期待の念でお二人のご冥福をお祈りしている次第です。


【略歴】
小髙 修司(こたか・しゅうじ)
1971年東京医科歯科大学医学部卒業。医学博士。
東京医科歯科大学・国立がんセンター・東京都立豊島病院で,外科医として頭頸部領域のがん患者の治療に専念。その治療経験から,西洋医学のがん治療のあり方に疑問を持ち,診療・研究のかたわら全人的思考法に惹かれ中国医学を学ぶ。1988年都立豊島病院東洋医学専門外来初代医長に就任。都の姉妹都市である北京市より派遣された8人の中医師より個人指導を受け,外来診療を通して中国医学の診断法および用薬法を学ぶ。1993年中国医学による専門医療を目的とする中醫クリニック・コタカを開業。
著書は『三千年の知恵 中国医学のひみつ』『中国医学から見た病気でない病気』『中国医学で病気を治す』(講談社ブルーバックス),『中国医学の健康術』(講談社現代新書),『身体にやさしいガン治療―統合医学でここまで治る』(講談社),『老いを防ぐ「腎」ワールドの驚異―中国医学のアンチエイジング』(講談社+α新書),『宋以前傷寒論考』(共著)『再発させないがん治療~中国医学の効果~』(東洋学術出版社)ほか多数。


(2019年6月)





中医臨床 通巻157号(Vol.40-No.2)特集/難治性婦人科疾患の中医治療


『中医臨床』通巻157号(Vol.40-No.2)より転載



ページトップへ戻る