【読みどころ・その1】p2~13
| ニッポンの中医臨床。 |
膠原病治療に漢方と中医学を共に活かす(大野修嗣)
日本の中医臨床の実態に迫る企画の第6回。今回は中国山西省の中医病院への留学経験をもち,リウマチ・膠原病・アレルギー疾患の漢方治療で多くの実績を積み重ねている大野修嗣先生に話を聞く。大野先生の臨床では,日本漢方と中医学の両方が中心にあり,それで足りないところを西洋医学で補っているという。専門としているリウマチ・膠原病でも多くの患者に漢方だけ,あるいは漢方+西洋薬で良好な状況にもっていっている。さらに大野先生は治療の最初から漢方治療を始めることを推奨し,必要に応じてステロイド等を使うとよいという。それを実践するためには,どれだけリウマチ・膠原病を知っているか,どれだけ漢方薬を知っているかが大事だと力を込める。日本漢方と中医学双方の効かせ方についても大野先生の見解を聞いた。
【読みどころ・その2】p58~62
| 中気理論を探る。 |
楊志敏の「一気周流」理論の運用(羅翠文ほか)
土を中央に配置し,上方に火,下方に水,左に木,右に金を分布させた中土五行の中気理論を探るシリーズ。第3回目は,清代に活躍した名医・黄元御が提唱した「一気周流」理論(脾胃を枢軸にして回転させることで体全体の気を順調に流す考え方)を柔軟に活用して臨床に当たっている楊志敏氏(広東省中医院)の臨床経験を紹介する。楊氏は,2003年に流行したSARSに果敢に立ち向かった女医として,『中医臨床』誌でも取り上げたことがある。楊氏は「一気周流」理論を用いて病理変化に対応し,さらに生薬の運用においてもその理論を活かす。症例では,数年にわたる悪風と悪寒が続く女性患者と,数年にわたり痰を伴う咳嗽が続く男性患者の2例を取り上げる。
【読みどころ・その3】p75~81
| 漢方医学と中医学の架け橋。 |
存廃の岐路に立たされた中医と日本(奈良和彦)
141号の第1回に引き続き,今号では伝統医学復権のターニングポイントとなった満州国時期の伝統医学界の動きをトレースしていく。当時,日本の影響下にあった満州では,伝統医療の廃絶による混乱のリスクを冒すより,伝統医の再教育と免許制を施行する方向に大きく舵が切られたという。さらに満州国の民生部の会議で「新京に国立の東洋医学研究所を設立し付属病院を作る」という方針に達した。またこの時期,日本の漢方医は大陸との交流に積極的で,東亜医学協会が設立されている。その機関誌『東亜医学』では,戦後の現代中医の発展に貢献した葉橘泉・張継有・楊医亜らが盛んに投稿しており,葉橘泉の症例集は大塚敬節氏が自ら翻訳して掲載する力の入れようであったという。短期間ではあったが,昭和10年代に漢方医と中医の有益な交流が行われていた。
【読みどころ・その4】p90~97
| 「海派」探訪記。 |
上海中医学派,その源流を訪ねる(静貴生)
上海中医薬大学に留学経験のある著者が,上海中医学派の源流を求め,孟河(常州市)を訪ねる。近代の上海に特有の政治・経済・文化の影響のもとで形成された文化現象を指して「海派文化」という。そしてその文化背景をもった中医を「海派中医」と呼ぶ。海派中医の特徴は,早期から伝統的師伝教育と近代学校教育の融合が図られ,さらに中西医結合教育が重視されていた点にある。そのなかで重要な役割を果たしたのが孟河医派の丁甘仁である。孟河は小さな町であるが,多くの名医を輩出しており,上海のみならず現代中医学の形成に極めて大きな影響を与えた町として中国医学史上,燦然と輝いている。今回,著者は孟河の4大名医の旧居を訪ね,彼らの残した足跡を振り返る。
『中医臨床』通巻144号(Vol.37-No.1)はこちら