第5回日本中医学会学術総会が2015年9月12・13日の両日にわたって,タワーホール船堀(東京・江戸川区)で開催された。
今大会の総合テーマは「中医学の継承と発展」。会頭は中国中医科学院広安門医院客員教授の路京華氏が務めた。路氏は「私が会頭になってお伝えしたいのは,私が経験してきた『伝統と継承』です。父・路志正から受け継いできた中医学をお伝えして,これからの中医学の発展に役立てたい」と語り,大会の口火を切った。今大会は,国医大師・路志正氏の学術思想を紹介する会頭講演を始め,特別企画,4つのシンポジウム,招待講演,実技講演,症例検討会などバラエティ豊かな演題が盛り込まれた。特に特別企画「名老中医の弁証論治~国医大師路志正先生の実臨床に迫る~」は,実際の患者を招いた公開診療のスタイルで行われ,ベテラン医師がどのように四診を行い弁証に導くのかをつぶさに確認できる,これまでにない新しい試みであった。ここでは会頭講演の概要を中心に報告する。
―編集部―
伝統と継承
本大会のハイライトは,95歳の国医大師・路志正氏による特別企画「公開診療」であったが,残念ながら体調不良のため来日が叶わず当初の予定が変更された。当日の特別企画は,実際の患者を招き,路志正氏の直弟子である逯儉氏(北京中医薬大学東直門医院東区針灸推拿科主任),日本中医学会会長の平馬直樹氏,大会会頭の路京華氏,若手医師会員代表の岸奈治郎氏(黒沢病院漢方内科)の4氏が登壇し,それぞれが患者に四診を行って弁証し,湯液および鍼灸の処方を提示する公開診療形式で行われた(
写真1・2)。さらに事前に路志正氏から聴取しておいた同患者に対する弁証・処方例を,路京華氏が披露して路志正氏の実臨床にも迫った。
大会の冒頭,路京華氏は「(この大会で)お伝えしたいのは,私が経験してきた『伝統と継承』です。中国でまとめられた『中医学』の教科書は膨大な中医学の知識のなかの最大公約数,一片に過ぎません。標準的な勉強は非常に重要ですが,それを通り越した先には中国大陸のように広がる中医学の世界が待っています。そのなかで私が経験してきた父・路志正から受け継いだ中医学を皆さんにお伝えすることで,これからの中医学の発展につなげていただきたい」と,本大会のねらいを語った。
代々医師の家系に生まれた路志正氏は,現在,中医薬大学などで使用される標準的な中医教材に載っているものとは異なる伝統中医学を学び,さらに自らの経験を合わせてきた。現行の中医教材は人材教育のために再編成されたものであり,中国伝統医学のすべてではない。「標準的な現代中医学を学んだ後は,さらに老中医が具えたさまざまな学術思想を学んでいって欲しい」。本大会のテーマにはそんなメッセージが込められていると感じられた。中医臨床の幅を拡げるための次のステップが提示されたようであった。
写真1 左から岸奈氏・逯氏・平馬氏・路氏
写真2 弁証結果を披露し解説を加える平馬氏
会頭講演
『国医大師・路志正の臨床学術思想』
路京華氏(
写真3)は,「通三焦達表裏,辛香走泄調五臓」(三焦を通じさせて表裏を通達し,香りのよい辛味の薬物を用いて走泄させて五臓を調理する)というテーマで,父・路志正の学術思想を紹介した。
路志正先生の学術思想は,伝統中医をベースにしながら自身の臨床経験のなかで培ってきたものだ。特に重視するのが脾胃である。脾胃を調節することによって五臓六腑の病を治すことができると考えている。その考えの根底にあるのが,中央に脾,四方に他の4臓を配置する中土五行である。そして脾胃の調整でポイントになるのが昇降の調整である。
さらに路氏は,人体には2つの枢軸があると考えており,1つは脾胃の上下の枢軸で,もう1つは少陽の横の枢軸である。この2つの枢軸を同時に治療するのが路氏の治療の眼目だ。脾胃の昇降を調整する薬の中に,少陽の薬として柴胡剤・温胆湯・蒿芩清胆湯などを加えるのがポイントである。さらに調気には梗(茎の部分)を使い(例えば蘇梗・薄梗・藿香梗など),宣散には葉(例えば枇杷葉・蘇葉・藿香葉・薄荷葉・荷葉・橘葉など)を使って三焦を通じさせて表裏を通達し,香りの良い辛味の薬物を用いて走泄させて五臓を調理している。
少陽三焦理論の認識も路氏の眼目の1つである。表裏を通じさせ,上下を連絡してエネルギーを運ぶのが三焦の機能であり,三焦の動きを上手く改善すれば,軽い薬でも重症の病状を改善できるという。また『傷寒論』における少陽の半表半裏の和解と,上・中・下三焦の分消走泄とは,同じ機能における2つの顔であると考えており,例えば表裏を疏通して気運を和諧すれば,三焦の気機を降ろせるという。
表・裏・半表半裏,つまり,開(太陽)・闔(陽明)・枢(少陽)の3者には緊密な相互関係があるため,路氏が疑難病を治療するときには,この3者と内臓の関係を調整して,上・中・下三焦を巧みに分消走泄している。托裏達表(裏の病気を外側に出して治療する)あるいは,通裏安表(裏を通じさせて表を治す)によって,表裏を交通させ,枢機旋転し,三焦上下の気機を通じさせて,4門(龍門・魄門・鬼門・吸門)を開くことで,体内の鬱熱・痰火・湿積・宿食残便などの代謝物を排泄させて治療しているという。
例えば,防風通聖散はこの4門を開いて代謝を促進する方剤だという。吸門は喉にあって呼吸を調節しており,鬼門は皮膚の毛竅のことである。これら吸門と鬼門に,麻黄・防風・荊芥・薄荷・連翹・桔梗などを用いることで,肺と皮膚を調節して発散させる。さらに水を司る龍門に滑石・甘草などを使うことで,尿から湿を排泄させる。魄門は肛門のことで,大黄・芒硝を使って体に溜まっている便を排出させる。臨床においては,これら4門をいかにして上手に開いて邪気をはらうかを考えなければならないと述べた。
また銀翹散は上下分消の方剤である。銀翹散は,裏では金銀花・連翹で解毒退熱し,表では荊芥穂・薄荷・淡豆豉で辛平散熱・透風於熱外(熱を外側に透風する)する。上では桔梗・牛蒡子を使って利咽消腫し,下では芦根・竹葉・甘草を用いて護陰・滲湿於熱下(熱を下に滲湿する)すると説明した。
講演の最後では,「大道には形はなく,大医には定まった処方がない。治療には定まった方法はなく,病気には定まった形式がない。したがって,治療に際しては臨機応変に対応し,証に随って変通しなければならない」と結び,改めて弁証論治の重要性を強調した。
写真3 今大会の会頭を務めた路京華氏
シンポジウム
シンポジウム①は昨年に引き続き「穴性問題」(座長:篠原昭二)をテーマに日本版穴性構築に向けた演題が組まれた。奥村裕一氏((一社)北辰会)は北辰会方式による穴性について,関口善太氏(中醫堂 関口鍼灸院・関口薬局)は「鍼薬同効」と穴性について,渡邉大祐氏(沖縄統合医療学院)は日本版穴性(穴位効能)作成の穴性案と方法案についてそれぞれ報告した。
シンポジウム②は「中医学とビッグデータ」(座長:酒谷薫)。竹林洋一氏(静岡大学大学院総合科学技術研究科)はマルチモーダル認知症介入コーパスの構築について,橋田浩一氏(東京大学大学院情報理工学系研究科ソーシャルICT研究センター)は自律分散協調ヘルスケアについて,越後博幸氏(ICTマーケティング研究所)は医療界での次世代技術“Wearable”についてそれぞれ報告した。
シンポジウム③は「温病学の臨床応用」(座長:平馬直樹)。台湾から来た李政育氏(育生中醫診所)は悪性腫瘍並びにICU・NICUにおける温病学の臨床応用について,加島雅之氏(熊本赤十字病院)は難治性疾患への温病理論の応用について,寇華勝氏(中国中医科学院望京医院)は温病学の臨床応用についてそれぞれ報告した。
シンポジウム④は「これからの薬剤師に求められる中医学」(座長:猪越英明・西野裕一)。毛塚重行氏(さくら堂漢方薬局)は中医学との出会い~中医専門薬局としての取り組みについて,深谷彰氏(漢方の杏村)は中医学と日本漢方の違いについて,植松光子氏(ウエマツ薬局)は漢方薬局におけるアトピー相談~中医学的対策についてそれぞれ報告した。
実技講演
実技講演は「弁証論治と鍼灸」(座長:浅川要)をテーマに逯儉氏が,講演と実技を行った。実技では腰椎間板ヘルニアと頸椎間板ヘルニアの2人の患者モデルに対して逯氏の実技が披露された。最初に四診を行った結果,2人とも外行経の病証であったことから,病位を走行する経脈の起止点の穴を使って疏経通気をはかった。これは両極対応配穴法と呼ばれる取穴法であるが,逯氏は機械的な取穴ではなく,丁寧に按圧して圧痛点を求めている点が印象深かった。
ランチョンセミナー
ランチョンセミナーでは,加島雅之氏が講師となり,湯液カンファレンス「中医学的総合診療 症例検討会」が開催された。加島氏が提示した実症例を,パネリストの2名の若手医師が弁証論治していく。その際,加島氏が問いかける形で,八綱の弁別が進められていき,診断・処方へと導かれる。病歴聴取や理学所見を取る段階でどのような思考過程を行っているのかを追体験することで,弁証論治の進め方を学ぶことができる。当学会初の試みに,会場は満席となった。
招待講演
招待講演では,台湾の曹永昌氏(台北市中医師公会)が「中医薬学における台湾の伝承と発展」をテーマに,台湾の中医学の発展史について講演。台湾の中医学は明代に伝わり,清・光緒23年(1897)には107人の中医師が活躍していたという。1949年以降,国民政府は西洋医学に力を入れ中医学を軽視したが,70年代以降,世界的な自然薬のブームに乗って中医学は発展した。講演では近年の台湾中医の発展に貢献した陳立夫について紹介。陳氏は中国中医薬大学附属病院を建設したほか,中医の現代化,中薬の科学化,中西医結合の提唱,台湾中医の国際化に貢献した。
日本中医学会ホームページ http://www.jtcma.org/
『中医臨床』通巻143号(Vol.36-No.4)より転載