第4回日本中医学会学術総会が2014年9月13・14日の両日にわたって,タワーホール船堀(東京・江戸川区)にて開催された。
今大会の総合テーマは「なにわの中医学」。会頭をはじめ,準備委員全員が関西のメンバーによって構成され,これまでの中医学会にはない切り口からの企画も組まれた。会頭の西本隆氏は「現在の関西の漢方の有りようは,多様な価値観の包括にある」と述べ,「一見混沌とした関西の漢方界のなかで『中医学』がどのように脈動を続けてきているのかを,シンポジウム『かつて,なにわにこんな中医学があった』のなかで検証したい」と大会のねらいを語った。さらに,高齢化を背景としたトピックとして,認知症・アンチエイジング・体質医学・リウマチという4つの視点から,シンポジウム・招待講演・特別講演が企画され,また鍼灸分野でも,科学的解明と実技の融合や穴性問題など,興味深い演題が盛り込まれた。ここでは主に会頭講演とシンポジウム②の2つについて概要を報告する。
―編集部―
会頭講演
「Raise to a higher dimension」
会頭の西本隆氏(西本クリニック・神戸大学医学部附属病院漢方内科)は,まず奈良・京都と大陸とを結ぶ海上交通の要地であった兵庫,自由都市として栄えた堺,漢方生薬の集積地となった大阪の3都市の歴史を振り返りながら,「なにわ」が古来より漢方の伝統をもつ地であることを紹介した。そして,その伝統の地に,1976年,中医学・日本漢方・現代医学を包括する研究施設が設立されたことを述べた。兵庫県立尼崎病院内に設置された県立東洋医学研究所である。
その研究所の初代顧問で,精神的支柱であったのが,当時,関西で唯一一貫堂医学を実践していた中島紀一(随象)氏であった。中島氏の指導していた「神戸木曜会」には多くの漢方人材が集い,氏の元からは,三谷和合氏(加賀屋病院),山本巌氏(第三医学研究会),伊藤良氏(神戸中医学研究会),松本克彦氏(兵庫県立東洋医学研究所),中島泰三氏(漢方舎・中島医院),田川和光氏(田川記念勉強会・阪神蒲公英会)ら,関西の漢方界を彩る多士済々の面々が輩出された。そしてその遺伝子は日笠久美氏(田川記念勉強会),西本隆氏(阪神蒲公英会),神戸大学(大倉山漢方ゼミ・神戸大学漢方セミナー),萩原圭祐氏(大阪大学医学部漢方医学寄付講座),三谷和男氏(ゆう漢方)といった形で現在も生き続けているという。西本氏は「多彩な価値観を許容するということが,なにわの,そして中島随象氏の遺伝子ではないか」と述べ,「なにわの中医学」を「インターナショナルな感覚,多彩な文化を受け入れる包容力,権力に追従しない自立志向」と総括した。
シンポジウム②
「かつて,なにわにこんな中医学があった~中島随象の遺産~」(座長:中島正光,田中秀一)
河崎医院付属淡路東洋医学研究所所長の日笠久美氏は,「山本巌と中医学」と題して,第三医学研究会を設立した山本巌氏について紹介した。日笠氏は,山本氏と中医学との接点について,山本氏の著作『東医雑録』にある中医学的な記載や,神戸中医学研究会訳『中医学基礎』へ推薦文を載せたことや,同編著『中医処方解説』に監修として参加していることなどを挙げ,中島随象氏の漢方舎に同時期に入門した伊藤良氏の影響もあり,神戸中医学研究会と歩調を合わせ,日本に現代中医学が輸入された黎明期に積極的に中医学を学んでいたと推測する。その後,山本氏は漢方を師に就いて学び,中医学も深く学習したうえで,それに飽きたらず,第三の漢方医学という自身の漢方観を確立した。その特徴は,患者の病態を考える際,西洋・東洋の垣根を作らず,両者を臨床的に役立つ形で組み合わせた新しい漢方の形である。日笠氏は,山本漢方の底には深い東西両医学の知識と患者に向き合った努力があるとし,その実践的漢方姿勢を受け継ぐことが我々に課せられた宿題ではないかと結んだ。
大阪漢方医学振興財団付属診療所所長の河田佳代子氏は,「伊藤良と中医学」と題して,同診療所名誉会長であり,神戸中医学研究会を立ち上げた伊藤良氏について紹介した。伊藤氏は中国の医科大学を卒業後,まず独学で漢方を学んだのち中島随象氏に師事。一貫堂の処方はよく効くと実感するも,その真髄を知るのは難しく,より深い理解が必要と考えた。1971年,上海第11人民医院の「高血圧病の中医理論と治療」を読んで中医学に興味をもち,1973年頃,森雄材氏と出会い,ともに『中医学基礎』を翻訳・出版したことをきっかけに神戸中医学研究会としての活動を開始した。その後,20冊にも及ぶ翻訳出版を手がける一方で,老中医たちとの交流によってより深い臨床を身につけていった。河田氏は伊藤氏に陪席した際の印象として,脈診と基礎の徹底研究・肝気虚と脾気虚・中薬の配伍運用・昇降浮沈などに対するこだわりが強かったことをあげた。そして,年齢を重ねるにつれ冷えに対する概念が徐々に変わっていき,より深く命門の火をみるようになっていったことを側でみていて感じたという。河田氏は最後に,伊藤氏が常に口にしていた「薬は険峻を貴ばず」という言葉をあげ,これはすなわち「効かす漢方」を目指していたのだろうと述べた。
松川医院院長の松川義純氏は,「松本克彦と中医学」と題して,中島随象氏に師事した医師のなかで唯一一貫堂医学を継承した松本克彦氏について紹介した。松本氏は大学院在学時,当時世界に公表された中国の針麻酔から東洋医学に興味をもち,中島随象氏の元で漢方を学ぶようになった。しかし,半年以上陪席しても処方の根拠がまったくわからず,一貫堂医学の理解には元となる中国の医学を知っておく必要があると感じ,当時の中国の中医学院の教科書『中医診断学』を入手,約2年半をかけて翻訳し1976年に出版した。ぜひこの目で実際に中国の医学を見てみたいという思いがつのり,同年,第1回WHO鍼灸学習班に参加。帰国後は兵庫県立東洋医学研究所の設立に奔走し,長年にわたり同研究所の所長を務めた。松川氏は松本氏の業績を,①一貫堂医学を継承,公的医療機関において広く普及させた。②難病の治療に滋陰清熱等の漢方の有用性を見出した。③鍼灸や生薬の基礎研究,コンピューター診断システムの開発,医学生や研修医の教育,若手医師の育成に力を注いだ,とまとめた。
(医)岐黄会西本クリニック理事長・神戸大学医学部臨床教授の西本隆氏は,「田川和光と中医学」と題して,兵庫県における漢方の普及に大きく貢献した田川和光氏について紹介した。田川氏は兵庫県立東洋医学研究所で中島随象氏や松本克彦氏・新名寛和氏らの薫陶を受けた後,黒竜江中医学院に留学,帰国後は兵庫県立柏原病院・兵庫県立加古川病院において,県立病院における東洋医学診療の拡張の基盤を作った。
西本氏は,田川氏の論文のまえがきはどれも長いものだったが,そこには田川氏の想いが込められていたといい,その言葉を引用しながら田川氏の考え方を紹介していった。「漢方は科学である」「分析と統合の過程を中医学の全体系を考慮に入れながら体系的に行うことによって,中医弁証論治は科学性を獲得しうる」。この場合の科学とは,四診によって得られた情報を中医学的理論にもとづく科学的弁証法によって分析・統合することである。この分析と統合という作業を系統的・体系的に行い,これを繰り返す過程において田川氏は横隔膜周囲の緊張と気血津液の流通障害が多くの疾患の病理的背景にあると考え,その病態改善の処方「通膈湯」を創製した。西本氏は最後に,田川氏について「仲景に学んで,仲景の方を用いず」を実践した人物であったと結んだ。
シンポジウム①③
シンポジウム①は「認知症ケアの最前線」(座長:酒谷薫)をテーマに,認知症に対する非薬物療法のなかで科学的な実証が行われている4つのセラピーについて,各分野の専門家が報告・討論(写真上)。本田美和子氏(国立病院機構東京医療センター)は知覚・感情・言語による包括的なケア技術であるユマニチュード,谷田正弘氏(資生堂リサーチセンター)は化粧セラピー,兵頭明氏(学校法人後藤学園)は鍼灸,酒谷薫氏(日本大学工学部・医学部脳神経外科)は運動療法について紹介した。
シンポジウム③は「アンチエイジングと中医学」(座長:西田慎二・和辻直)をテーマに,抗加齢に対する中医学の可能性を探った(写真上)。加島雅之氏(熊本赤十字病院)はエイジングの要である腎の概念について,西森婦美子氏(西森なおのてクリニック)は漢方から,江川雅人氏(明治国際医療大学)は鍼灸の立場からそれぞれ臨床の実際について報告した。萩原圭祐氏(大阪大学大学院医学系研究科)は老化促進マウスを用いた腎気概念の実験研究の成果について報告した。
招待講演
招待講演は,中国と台湾から2人が招かれ講演が行われた。
中国・北京中医薬大学から招かれたのは王琦教授である。王教授は「中医体質学説とその臨床意義」をテーマに講演。王教授は中国における中医体質学説の第一人者で,未病医学を体系化するうえでキーとなる重要な学説を提起している。講演では日中両国の体質学説の比較・中国における研究概況・体質学説の意義・弁証論治の臨床応用について話した。
台湾からは台北市中医師公会の曹永昌理事が招かれ,「認知症における台湾中医診療の過去・現状と展望」をテーマに講演した。講演では,主に認知症に対する中医学の一般的な弁証論治について紹介されたが,台湾では認知症に対して薬と鍼を併用して治療することが一般的なようであった。また講演のなかではアルツハイマー病に対する刺鍼と補腎益気活血中薬による臨床研究についても紹介され,そこでは中医学の意義が見出されたという。
鍼灸実技
鍼灸実技は2題がプログラムされた。
実技講演①(写真上)は,結鍼灸院・関西中医鍼灸研究会世話人の
藤井正道氏が,前頭前野の活動をリアルタイムで確認できるNIRS(近赤外分光装置)を使って,鍼による自律神経システムの調整効果をみた臨床研究について報告。さらに実際の治療でも用いた督脈通陽法の実技を行いながらNIRSを使った研究を再現してみせた。研究では鍼が不安を改善することが示唆されたという。
実技講演②(写真上)は,精誠堂鍼灸治療院の
賀偉氏が,「鍼灸三通法の実践」をテーマに,毫鍼による微通法,火鍼による温通法,三稜鍼による強通法の3つからなる三通法のうち火鍼を取り上げ,概説を講演するとともに実技を披露した。実技ではフロアから希望者を募り,10人ほどが演台にあがって腰・頸・肩などに対する火鍼を行った。賀氏は火の着いたアルコール綿で真っ赤になるまで焼いた鍼を手際よく一気に刺入・抜鍼してみせた。
*
臨床の実際から様々な研究報告など,密度の濃い内容の演題が組まれ,中医学の広がりと可能性を感じることのできた2日間であった。