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通巻120号(Vol.31 No.1)◇『中医臨床』創刊30周年を迎えて
| | 1980年に創刊した『中医臨床』も,お陰様で本号をもって30周年を迎えさせていただきました。多くの方々のご支援とご指導をいただいて,このように長期にわたって中医学の情報をお送りできましたことに,社員一同深い感慨を覚えております。支えていただきました皆様方に厚く御礼を申し上げます。
編集部 |
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現代中医学の日本定着
さて,発刊当初の1980年ごろは,まだ針麻酔報道の余韻が続いていた段階でしたが,早くも中国に「弁証論治」という医学体系が存在することに気づいて,それを学ぼうという動きが,日本のあちこちに出始めていました。『中医臨床』が先生方のご助言で,初期段階から編集の中心を「弁証論治」においたのは,幸いでした。以降30年間,一貫して現代中医学の柱である「弁証論治」を,『中医臨床』の背骨としてきました。『中医臨床』は日本の現代中医学導入の歴史と軌跡をともにしてきたと思います。
発刊後まもなく,全国で弁証論治を学ぶ運動が猛烈な勢いで燃え広がり,まさに火柱が立つかのような勢いを呈しました。このような感動的な現象は,おそらく歴史上でも希有のことでしょう。なによりも中国の中医学教科書が感動を与えました。伝統医学にこのように整然とした理論体系が存在することに驚き,そしてその理論が「理・法・方・薬」「理・法・方・穴・術」の体系のもとに臨床と直結していることを知って,この医学に深い畏敬の念を抱き,この医学を学ぶことに心を躍らせました。
現在までに当社出版の『やさしい中医学入門』や『中医診断学ノート』『中医学の基礎』『針灸学』は,約25,000冊発行されました。日本の医療界で2万人以上の人々が中医学に触れ,少なくとも約3,000人の方々が日本中医界の中核となって,日常臨床で中医学を実践されています。中医学の学習会も全国で80箇所を数えます。中医学の概念は,すでに日本の漢方界にも針灸界にも深く浸透して渾然一体となり,共通言語を形成しつつあります。そして大勢の中医人材が育ち,中国の老中医に匹敵する熟練家も誕生しています。日本の中医学はすでに成熟し,しっかりと日本の医療界に定着したといえるでしょう。
『中医臨床』は,日中両国の智恵と情熱の結晶
この間,どれほど多くの方々が中医学の学習・普及のために献身的な活動をされたことでしょう。金銭のことは度外視し,中医学を普及することに献身された高潔な精神風景を,いつも見せていただきました。この炎のるつぼの中に数多くの医師,薬剤師・鍼灸師たちが集まり,口角泡をとばして議論をし,経験交流を重ねてきました。日本の臨床現場で難しい疾患に取り組むなかで,中国にはない優れた治療経験も蓄積されてきています。
この過程で,中国の老中医や中堅の医師たちがたくさん来日して,日本の若い学徒に心に滲みる高級な講義をしてくれました。有名な老中医たちのほとんどが来てくれたのではないでしょうか。かれらから,なんと多くの智恵をもらったことでしょう。ついで,中国に長期留学し,中医学の体系を身体にたたき込んできた優秀な留学生たちが,精力的に弁証論治の体系を解説してくれました。また,中国から日本に移住した多くの中国人中医師たちが,不慣れな生活環境にありながら,祖国の医学を正確に伝えるために献身的な努力をしてくれました。これらの人々を通じて,あまり遠回りをしないで,現代中医学をそのままの形で導入できたのは,幸せでした。
忘れてならないのは,無数に開催された日中学術交流の場で通訳をしてくださった人たち,そして大量の書籍・文献を翻訳してくださった翻訳者たちの活動です。中医学の翻訳は,たんなる言葉の翻訳に終わらず,中医学の内容をしっかりと把握していなければできないものですが,翻訳文とは思えない読みやすい日本語訳を構築してくれました。『中医臨床』に協力してくださった翻訳者は150名にのぼります。安い原稿料にもかかわらず,中医学を伝えたいという情熱だけで貢献してくださいました。ここに,深く感謝と敬意を表します。メーカー各社も長年にわたって,『中医臨床』に多大なご支援をくださいました。厚くお礼を申し上げます。
これら多くの方々のご支援と献身に支えられて,日本の中医学は前進してきました。まさに1つの目標,現代中医学を修得し,日本の医療現場のなかで結実することをめざした熱い想いが寄り集まり,練り合って,描いてきた歴史です。
江戸中期より200年の中断を経た日本漢方における中医学の歴史は,30年間の現代中医学の導入によってよみがえり,ようやく1つの糸で結ばれました。日本漢方は「方証相対」と「病因病機学説」という2つの方法論を手中に収めて,一気に伝統医学の高レベルな基地を形成したといえるでしょう。
現代中医学の果たす意味と役割
中国の現代中医学は1955年に任応秋先生が「弁証論治」の体系を提唱されて,それが学校教育の柱になったといわれますが,その歴史は50年から60年です。日本の30年とそれほど離れていない若い医学であることが,最近のさまざまな文献発表で明らかになりつつあります。しかし,だからといって,現代中医学が伝統中医学からかけ離れた異質の産物というわけではありません。民国時代の伝統中医学を学んだ任応秋先生らたくさんの老中医たちが,新中国のマス教育に適合させるために構築した教育システムです。伝統中医学の本質を少しも失うことなく,最大限に吸収しながら,みごとに昇華させ,スリムに現代化した体系です。バラバラの個別医学から高度に質的変化を遂げた飛躍の産物,それは先人たちが残してくれた貴重な宝です。
その弁証論治体系も生き物であることに違いありません。試練のなかでたえず変化し進化してゆきます。50年の実践のなかですでに大量の正反の材料が蓄積されました。文化大革命や改革開放政策の荒波に翻弄されながらも,その生命力を保ってきました。いま,伝統医学がグローバル化し,この医学への期待が高まる時代,はたしてこの体系がより高い高みへと成長し,相応しい役割を発揮できるかどうか,大きな試練を迎えることでしょう。
針灸においても,針灸の弁証論治が中医内科学の弁証論治体系の借り物だから,これを否定して新たな針灸独自の理論化が必要だという論調がみられます。弁証論治に替わりうる,より高度な理論構築が可能であれば,大いに歓迎されるでしょう。しかし,中国のこの50年の針灸実践は,弁証論治が臨床を指導するしっかりした治療体系であることをすでに証明してきました。けっしてこの財産を放棄してはならないでしょう。この蓄積を拡大発展させることこそ,ますます重要になってきたと思われます。
日本は幸いにして一貫して針灸弁証論治の実践を貫いてきました。
鄭魁山,彭静山,石学敏,韓景献,何金森,朱明清,賀普仁,李世珍……等々,数多くの針灸リーダーたちが来日して,針灸の弁証論治を指導してくれ,われわれの目を開かせてくれました。しかし,近10年ほどの間,中国ではこの弁証論治の体系を発展させるうえで,目覚ましい成果はあまりみられませんでした。極端に治療費が安い医療制度のために,針灸に力を注げなかった事情があったようです。中国が今後この分野でいっそうの進歩を遂げてくれることを願わずにおれません。と同時に,日本こそこの分野で貢献をしてゆきたいものです。
現代中医学の転機―第2段階を迎える
昨年2009年4月,中国国務院が「国務院関於扶持和促進中医薬事業発展的若干意見」(「中医薬事業の発展を助け促進するための国務院の若干の意見」。略称「若干の意見」)という文書を発表しました(*1関連記事)。新中国になってからの50年間の総括のうえに打ち出された,新しい中医発展戦略です。1990年代から経済主義の勃興とともに,中医学は西洋医学の波に飲み込まれ,自分の特色と価値を生かすことができず,壊滅に近い状態に追い込まれました。この窮地に置かれた中医に救いの手をさしのべたのが,今回の国務院の「若干の意見」です。
3年以内に都市と農村の末端医療機関にかならず中医の人材を配置し,活動ができる体制をつくること。どの医療機関でも20%の人材・設備を中医で占めること。中医病院では60%の人材と設備を中医で抑えること。国家の基本薬物の30%は中成薬と生薬とすること。中医の診療費を西洋医学より高くすること。未病治療の体制を全国的に確立すること。中医は中国文化の象徴であり,これをソフトパワーとしてフルに活用すること。中医学は西洋医学とともに世界医療を構成する2大主流医学であり,これを積極的に世界に普及すること……など,大規模な医療改革を呼び掛け,現在実行されつつあります。多額の予算を投入して,中医専門の行政機関のネットワークを全国に築き,学術継承,学術内容の深化,人材教育,研究基地の強化など,かつて誰も目にしたことのない大がかりな,臨床中心の変革を進めています。試練を受けた臨床家が大量に生まれてくるでしょう。
新しい時代に向けて
「若干の意見」は,たんなる呼び掛け文書ではなく,実行を求める大号令です(*2関連記事)。50年を経て,中医学はその姿を大きく変えるでしょう。1960年代の現代中医学の誕生期に続く,第2の飛躍期を迎えるに違いありません。きっと30年前の驚きをはるかに越える驚きを体験することになるでしょう。日本のわれわれもこれに注目しながら,みずから中国の動きと呼応してゆく必要があると思われます。現代中医学をマスターした日本が,中国とともに力を合わせて世界医学の構築に貢献すべき時代を迎えます。
今年8月29日,日本にも待望の「日本中医学会」が誕生します。すでに成熟した日本の中医界が1つに結束し,研鑽し磨き合える中心組織が生まれます。きっと日本でも新しい幕が開かれるでしょう。
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