2009年4月,中国の中央政府にあたる国務院が,「中医薬事業発展の扶助促進に関する若干の意見」http://www.gov.cn/zwgk/2009-05/07/content_1307145.htmを発表した。
国が積極的に介入して中医薬事業を発展させることを表明したもので,今後,中国において中医学がダイナミックに展開してゆくことが予想され,注目される。
「意見」では,中国において中医学が直面するさまざまな問題への対処や,今後目指すべき基本原則,果たすべき役割について述べられている。
今回,この「意見」にもとづき各地方レベルで政策発表されている現状を交えて,その全体像を紹介する。
(編集部)
はじめに
2009年4月,中国の中央政府にあたる国務院が,「中医薬事業発展の扶助促進に関する若干の意見」(以下,「意見」)を発表した。この「意見」には,中国における中医学の直面する諸問題への対処・今後目指すべき基本原則・果たすべき役割などが述べられており,すでに各地方政府レベルでもこの「意見」にもとづいた具体的な政策が発表されている。以下,各地の現状を交えながら,「意見」の全体像を紹介する。
中医学の現状に対する危機感
まず,この「意見」が出された背景には,中医学を取り巻く環境の変化がある。例えば,上海などの都市部では,患者のニーズは西洋医学に集中しており,一部の中医系の総合病院を除いて,中医学を本格的に活用するには至っていない。「意見」でも,中医学の特色を充分に活用できていないために,老中医の経験や学術思想が継承されず,伝統的な中医学の技法が途絶え,中医学の新理論や新技法がなかなか生まれてこないという問題が指摘されている。また,環境破壊による生薬資源の問題や,若い人材の中医学離れの問題なども挙げ,そうした情況に対して,国が積極的に介入することで,中医薬事業を発展させる重要性と緊急性が再認識されなければならないとしている。中国の中央政府において,こうした認識がされていることは特筆に値するだろう。
また,「意見」のなかで「中西医併重」という言葉が登場していることも非常に興味深い。「意見」では,中医学と西洋医学を等しく重視することにより,双方の発展を目指すとし,伝統的な中医学の長所と特色を保ちながら,積極的に現代科学の成果を導入するべきであるという考えを示している。また,中医学の保健・研究・教育・産業・文化など医療以外の各方面でも政府が継続的な支援を行うことを表明している。現場サイドからすれば,誠に心強いことである。
予防医学の分野で高まる中医学への期待
中国では病院を大きく3つのレベルに分け,大学付属病院などの総合病院を最もランクの高い3級病院とし,続いて区単位で2級病院を設置,地域医療など市民の生活に密着した社区衛生サービスセンターや農村医療を支えている衛生室を1級病院としている。数年前から上海などの大都市では「全科医師(家庭医)制度」がスタートしているが,この家庭医にも中医学の資格が設けられている。家庭医として地域住民の健康をサポートする1級病院は,診察費も日本円にして100円前後と低く抑えられているため,市民にとっては気軽に治療を受けられる医療機関であり,現在中医診療の充実に力が入れられている。今回の「意見」でも,こうした地域医療への中医学の積極的な導入が強調され,すでに各地で具体的な動きが進められている。上海市を例にとると,国家中医薬管理局が発表した「中医の予防・保健サービスを発展させるための実施意見」にもとづき,社区衛生サービスセンターを活用した「治未病」普及の動きが始まっている。市は2011年までに中医予防保健サービス機関を設立し,社区衛生サービスセンターとのネットワークを確立することを目標に掲げており,さらに,市民一人一人の体質・職業・健康状態・生活習慣などを記録した中医健康管理資料を作成して,よりきめ細かな中医学による養生指導を行いたいとしている。
上海の社区衛生サービスセンターでは,「治未病」をメインにした施設も登場している
中医薬継承の人材育成,新たな発展の模索
現在,最も急を要する課題が,高齢化が著しい老中医の学術思想の継承と,中医薬に携わる若い優秀な医師の育成である。これに対してすでにさまざまな取り組みが行われている。例えば,学術を継承するための「工作室」が病院単位で設置され,専属の中堅医師を配属して,臨床活動の記録や臨床経験の整理・出版などが行われている。最近,書店などでもこうした「工作室」がまとめた臨床経験集が発売されており,系統立った老中医たちの学術思想に接する絶好のチャンスとなっている。「意見」には,こうした老中医の徒弟教育下でも必要な学位が取得できる制度の確立や,中医薬大学の教育改革についても述べられている。また,「意見」でも強調されている重点学科の設置については,国家中医薬管理局が中心となって進めており,すでにモデル大学が指定されている。これは各病院・大学に分散している中医学の研究資源を統合して,より奥深い研究を効率的に行うという目的もある。
そのほか,すでに臨床活動している医師を対象とした継続教育制度の充実や,西洋医師の中医学学習を奨励し,中西医結合分野での人材育成を必要としている点も注目される。
「工作室」がまとめた書籍の数々 臨床経験集が多い
中医薬文化の保護
「意見」では,文化としての中医学も重視されている。中国ではようやく本腰を入れて中医薬を文化財として保護するようになってきた。例えば,上海でも伝統的な技法で丸薬を製造できる中医薬局が減ってきており,技術の継承が危ぶまれているが,こうした技術・技法を無形文化遺産に登録したり,中医学ゆかりの史跡の保護を行って,社会の関心を高める努力が行われ始めている。
中医学の遺産の保存活動も始まった上海に残る秦伯未の診療所
中医学関連産業のレベル向上
2000年当時には900にも満たなかった中医系の製薬会社は,いまでは倍以上の2千以上あるといわれている。しかしその数に対し,2008年度の中医系製薬会社の売り上げは製薬業全体の20%前後にすぎない。このことは零細企業が非常に多いことを示しており,例えば「六味地黄丸」だけでも中国国内で800社以上が製造するなど,熾烈な競争が行われている。
また,臨床に欠かせない煎じ薬(飲片)の製造会社の大部分も零細企業であり,品質管理の面で問題も多い。そのため「意見」では,中医系製薬会社のブランド力を高め,海外に輸出できるレベルにまで品質を向上して,国際市場の開拓を目指すことを強調している。
近年急速に価格が上がっている冬虫夏草に関して,チベット自治区人民政府は2010年10月よりその採取を許可制にすることを発表した。このような生薬の乱獲と資源保護の問題に対し「意見」では,全国的な調査と生薬資源データベースを確立することが述べられている。このほか,中国では砂漠化防止のために肉蓯蓉を栽培するなどの試みも行われており,成果を上げている。
中医薬事業の発展を促進するために
中成薬の使用に関して,国務院は臨床でよく使われる医薬品に対して「国家基本薬制度」制定の準備作業に入っており,「意見」のなかでも言及している。307種類ある基本薬のなかには中成薬も入っており,安全かつ有効な中成薬の活用が期待されている。これには比較的安価な中成薬の使用を奨励し,各種公的医療保険でも使える範囲を拡大するという目的がある。
一方で,中医薬関係の知的財産権の問題に関して,日本や韓国では生薬を利用した薬剤の開発が進められているが,中医学の本場である中国ではまだその流れに追いついていないという危機感が強い。そのため「意見」では,国が中心となって中医薬の知的財産権を専門に保護するための仕組みを立ち上げ,国際競争力を高める必要があると述べている。
さて,「意見」の最後に明記されているのが,中医薬業界の管理強化である。中国では,違法広告やニセ生薬の問題が後を絶たず,非合法な医療行為もみられる。「意見」では,各地方でも,関係機関を設置し,こうした違法行為の取り締まりを強化して,管理レベルを向上させなくてはならないとしている。中医学全体の信頼に関わる重大な問題といえよう。
まとめ
以上,「意見」をざっと紹介したが,現代中医学が抱える問題点を国務院が具体的に指摘し,国を挙げた取り組みの青写真が示されており興味深い。ただ,具体的な政策に関しては,今後発表される各種文書を注目していきたい。