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通巻115号(Vol.29 No.4)◇インタビュー



現代の中医針灸学が,どのような背景のもとに成立し変遷してきたのか。 譚源生氏は修士論文のなかで,民国時代に焦点を当て,その変遷過程を追い,現在の針灸学に及ぼした影響について明らかにした。 特に興味を引いたのは,針灸の弁証論治形成のカギとなる穴性誕生の背景と変遷の分析であり,さらに針灸の弁証論治が病位に基づくのか,それとも病性に従うのかと提起したことである。 今回,北京の譚源生氏にコンタクトを取り,お話をうかがった。
(編集部)

譚源生氏

◇譚源生(たん・げんせい)氏のプロフィール
1981年生まれ。湖南省郴州出身。2002年,湖南中医学院卒業。2003~06年,中国中医科学院針灸所で修士研究生。2006から現在まで,世界針灸学会連合会秘書所で勤務,学術部副主任,国際標準化弁公室主任。
中医家系の出身で,10代目。学院派と民間派の長所を結びつけ,大学卒後1年間,父に随って診療にあたり,さらに湖南省湘潭で針灸推拿診療所を開設し,各種疑難病を診る。中国中医科学院在籍時,図書館に所蔵される大量の針灸文献を読み研究にあたる。また国家重点課題の経穴の部位や主治の研究に参加し,さらに民国時代の針灸学理論の変遷を研究。「国家標準《経穴主治》」,「国家《穴部位》(改訂)」,WHO国際標準「経穴部位」,「中華針灸穴典」編纂,「経穴定位人体実測」,耳穴名称与部位国際標準・頭皮針技術操作規範国際標準・艾灸技術操作規範国際標準といったプロジェクトに参加。




民国時代の針灸学術史は空白
 私の指導教官は黄龍祥先生(中国中医科学院)です。黄先生は中国の針灸界では権威的な方で,特に針灸の文献領域では非常に造詣が深く,従来の考え方をもとにさらに独特の見解をおもちです。この黄先生に就いて学ぶことができたことは非常に幸運でした。また中国中医科学院に在籍している間には,「経穴部位の標準化」プロジェクトをはじめ,針灸に関するさまざまなプロジェクトに参加することができました。その過程では,馬王堆の文献から始まって清末までの針灸に関するあらゆる文献に触れる機会を得ました。
 黄先生の著作に『中国針灸学術史大綱』という非常に有名な本があります。その本では針灸に関するさまざまな問題が述べられているのですが,時代としては清代までしか研究されていません。そこで,私はあらゆる文献に触れられるというこの機会を捉えて,民国時代に焦点を当てて研究しました。修士論文は,もちろん私が書いたものですが,黄先生の研究を基礎にしていますから,先生の考えもいろいろと入っています。黄先生がそういった基礎を作ってくださったからこそあのような論文が書けたのだと思っています。
 もう1つ私が関わったプロジェクトがあるのですが,そのなかで私は各時代の針灸についてまとめるという任務を課せられました。そのプロジェクトの目的は,知識の普及をはかるというもので,針灸のことを何も知らない人に対して,針灸の変遷を紹介するというものでした。ですから,レベル的にはそう高いものではありませんでしたが,その研究を進める過程で,針灸を学術的にではなく文化の面から捉えてみるという視点をもつことができました。そこで気がついたのは,針灸がその変遷過程において大きな変化を見せたときには,必ず文化的背景の変化があったということです。民国時代はまさに文化的背景が非常に大きな変化をみせた時期でした。また,これまでに民国時代の針灸について研究した人はあまりいませんでしたから,民国時代の針灸学術史はほとんど空白になっており,誰かがそれを埋めなければならないと考えました。
 私は理論研究が好きなのですが,修士課程では針灸の標準化と理論の研究を行いました。文献研究といえば,版本の研究もありますが,私は理論に焦点を定めて研究を始めました。
以上が,私が修士論文にこのテーマを選んだおおよその理由です。民国時代はどの辺りの変化が一番大きかったのかということを考え,その変化のどの部分が現在の針灸学に影響を与えているのかを探る,それがこの論文のベースです。

針灸の弁証論治に対する疑問
 中国だけでなく世界中で,一定レベルの知識をもっている人は中医針灸には弁証論治があるのかどうかということに非常に関心をもっていると思います。海外では,針灸学を学ぶ以前に現代医学をマスターしている人が多いですから,針灸が世界に広がっていく際には,西洋医学をベースにした治療によって効果が上げられてきました。その場合の思考方法は,針を刺したら効果が出たが,それはなぜなのかを推測するというものです。ですから,針灸を学んだといっても体系的な勉強をしているわけではありません。例えば,神経科学や筋肉についての知識に基づいて刺針したとしても,効果は出るのです。そのような方法で効果が出ているところから,弁証論治とはいったいなんなのだろうという疑いが起こり始めたわけです。これは外部的環境,つまり西洋医学の角度からみた弁証論治に対する疑問といえます。
 一方,内部的環境といえるのは,中国をはじめ,中国の文化の影響を受けている日本,ベトナム,東アジアだと思いますが,内部にいる人たちも弁証論治に疑問をもっています。つまり,針灸治療に際して弁証論治という角度から見ずに,例えば,特殊な作用をもつ特効穴や,経験に基づいたツボを選択して治療しているのです。これは,現在出版されている本でどんな本が売れているのかをみてもわかると思いますが,特効穴・経験穴・針灸歌賦,そういった本がたくさん出版されています。それらの本では理論は語られていません。簡単な例でいえば,急性の腰部捻挫の場合,「腰背は委中を取れ」という言い方をしますが,それによって委中を取ったり,腎兪・人中・天柱・崑崙・申脈・手三里,人によって腹部に取穴したりします。腰部の捻挫には多くの治療法が出てきますが,どういう状況で,どのツボを使うかという点については定まった説明がありません。
 私は論文のなかで現在の弁証論治に問題があるとは明確に言っていませんが,そのニュアンスは感じ取っていただけると思います。私は針灸の弁証論治には偏りが出てきていると見ています。ではどうやってその偏りを元に戻していけばよいのか。理論的にすべてが完結できて効果のある弁証論治とはどうすれば構築できるのか。これは私がずっと考えているところです。その理論というのは,おそらく『霊枢』を核にその周りに『素問』が配置されるような形のなかに存在するはずだと考えています。私はそのなかに現在の針灸の弁証論治とは違う本来の針灸の弁証論治の形が存在すると思っています。この問題を解決するには,私たちはもう1度,「弁証論治」という言葉の元の意味に戻らなければなりません。

針灸弁証論治の問題は穴性に帰結
 私は弁証論治というのは1つの認識論であり,方法論だと思っています。こうした認識法というのは中医であれ,現代医学であれ,針灸であれ,それをもう少し高いレベルに上げることでさまざまな領域に用いることができる考え方です。そうすることによって,針灸ではどう弁証論治するのか,なぜ弁証論治が必要なのか,そもそも弁証論治は存在するのかという問題をも超越することができると思います。
 針灸というのはもともと一定の理論のもとに実践されなければならないものです。もしも弁証論治というものが認識論であり方法論であるならば,針灸が理論から実践へ橋渡しされ,実施されるときに絶対に必要なものだと思います。そこで問題になるのは,それでは弁証論治というものが針灸自身のものなのか,本来の針灸理論に完全に一致するものなのかということです。私が論文のなかで指摘したのは,現在の針灸の弁証論治というのは中医の弁証論治体系をそのまま当てはめただけだということです。ただ,現在の弁証論治といわれる方法でも臨床で効果を上げていますから,これに関しては中国でも別の見方があります。しかし,私はそれが理論的に整合性があるかどうかということが非常に重要だと思うのです。現在の針灸の弁証論治は中医のものをコピーしてきており,その弁証論治体系は完全に整合性をもっているわけではありません。私はその原因が穴性にあると考えました。

新しい針灸システムの構築を
 私は,現在の針灸の理論体系には大きな問題があると確信しています。中国ではよく,古いものを崩そうと思えば,まず新しい立脚点をもたなければいけないと言います。そうでなければ結局は混乱を招くだけです。針灸の場合では,弁証論治の理論を用いなければ何を使えばよいのかという問題が生じます。ですから,私は修士を終えてからそういった方面の研究に興味をもつようになりました。新しい針灸のシステムを構築して元のシステムと取り換えてしまおうということです。
 私はこの修士論文をインターネットに掲載しました。正式な発表の仕方ではないのでどういう見解が出ているのかはっきりとはわかりませんが,私が交流している専門家からはいろいろな意見が聞かれました。みなさん針灸の弁証論治に問題があると意識しているのです。私が論文で述べたのは,その意識からもう少し踏み込んで,穴性のところに問題があるのだということを明らかにしたことです。ただその後,体系的にこういうふうにすればどうかという見解を出す方にはまだ出会えていません。これはとても大きなテーマですので,おそらくまだ時間がかかるのではないかと思います。
 教育者の方からは,ある病気の治療について,針灸治療の授業では教科書に沿って教えているが,自分で治療するときはそういう方法は使わないと言われることがあり,彼ら自身,それをどう解決してよいかわからない状態です。
 みなさんさまざまな角度からその問題を解決しようとしていますが,私はその理論的なところを根本から解決できないだろうかと試みているところです。私は,その答えは問題に併存していると考えています。ですから,問題をはっきりとつかむことさえできれば,答えは得られたも同然です。一番難しいのは問題が何なのかということを見つけることです。

針灸の理論は『霊枢』のなかにある
 現在のところ,『黄帝内経』,特に『霊枢』のなかに針灸自身がもつ理論が存在すると考えています。まったく私の個人的な考えですが,私はそのなかに何か1つまとまったものがあるのではないかと思っています。『霊枢』にも『素問』にも,さまざまな異なった考え方が入っていますが,私がみたところそのなかで,体系的に診断から治療,病因から病理,すべてまとまった考え方をもっていた一派があります。
1つの理論体系のなかには診断と治療があり,治療のなかには技法の問題もあります。この数十年,○○針法というのが次々と現れています。例えば,梅花針・小針刀・埋線・浮針などさまざまな技法が知られています。しかしそれらは結局,理論体系のなかのほんの小さな一部にすぎません。1つ1つの技法には『内経』の理論のなかでポジションがあるはずです。
 このように技法に関してはみなさんたくさんの方法を提起していますが,診断に関しては研究が深まっているとはいえません。針灸ではどのように診断するのか,いったい何が針灸の特色をもった診断なのかなど,非常に大きな問題です。しかし『内経』のなかには非常にはっきりと書かれています。私の実践経験からも,『内経』のなかの古典的な診断学について,その整合性には問題がないと思っています。診断と治療の標準化も問題ありません。標準化についていえば,例えば私に学生がいるとします。学生にもまた学生がいるとします。標準化とは私が診断した結果と学生が診断した結果がすべて同じになるということです。診断結果も同じで,治療の方法もほぼ同じということです。それについては,『内経』のなかで厳格な指針のようなものが示されています。
 なぜ針灸の弁証論治に疑問が生じているのか。その原因は,古代には中医と針灸とはそれぞれ別の道を歩んでいたはずで,針灸自身の理論をまとめてこなかったからだと思います。例えば,『霊枢』と『素問』に関する研究文献を比べてみると,『素問』に関する研究は『霊枢』よりもはるかに多いです。他からの影響が何もない状況なら,『霊枢』自体のシステムは伸びてきたと思うのですが,『素問』の研究がどんどん増えてきて影響力を強めている,そうした状況下では,針灸の理論は非常に不安定でした。また,民国時代は文化的にも西洋文化の洗礼を受けました。そこで起こったことについてはここでは述べませんが,そういった環境のなかで針灸自身が方向性を見失ってしまったのです。
 それでは,針灸自身の診療体系とはどうすれば構築することができるのでしょうか。簡単にいえばそれは昔に戻ることです。中国ではよく継承と創新ということを言いますが,そこで何を継承するのかといえば,それは『霊枢』のなかのものです。まずその学術思想を受けつがなければなりません。西洋医学の発展がとても早い現在は,非常によい機会だと思います。なぜなら,針灸の弁証論治体系というのは非常にオープンなもので,外部のさまざまな成果を取り入れることができるシステムだからです。針灸の弁証論治システムがしっかりと出来上がれば,西洋医学の成果を受け入れることができ,針灸はさらに大きな広がりを見せると思います。特に針灸の考え方というのは西洋医学に近いと思います。私の見たところ針灸は西洋医学と同様に症候を重視しています。中医がそれを重んじないということではなく,症候という着目点が非常に似通っていると思うのです。針灸は柔軟性という点では中医には及ばないと思うのですが,針灸の方が症候と結果の因果関係がより強固ではっきりしています。
 ここではっきりさせないといけないのは,現在の針灸の弁証論治には問題があるものの,針灸は古代に誕生してからずっと,中国をはじめさまざまな国で消えずに残っているということです。存在するからには理由があるはずです。針灸に効果がなければ誰も勉強しようとは思いません。私は黄先生の指導のもとに古代の大事な文献はすべて読みました。そして,あることに気がつきました。それはどの時代をみていっても針灸の理論はあまり変化していないということです。ほとんどの文献が前の王朝の文献を写しているわけです。それをどんどん遡っていくと,結局は『霊枢』に行き着きます。『霊枢』には「針経」という名前もあり,針灸を指導する経典なのです。つまるところ,針灸の理論は『霊枢』に求めるしかないのではないかと思います。ですから,もっとたくさんの人に『霊枢』を研究してほしいと思っています。

穴性誕生の背景
 私は論文のなかで,中医の薬性論を針灸に取り入れ穴性として体系化したのは羅兆琚(本誌133頁参照)だと述べました。穴性に類するものは,古代にも散見されますが,メインから外れた場所に少し出てくる程度です。例えば,あるツボは風邪を治すとか,あとは歌賦ですね。そのなかにもすべての風症を治すとか,そういう書き方をしています。清代にも少しみられますが,羅兆琚のようにツボの薬性のような言い方をして,穴性を体系化したものはありません。
 民国時代,日本が先に西洋文化の影響を受けました。それが今度は中国に持ち込まれ,中国もそのときに文化的な衝撃を受けました。文化的な洗礼を受けて東洋の文化はどのように反応したのか,医学自体どのように反応したのか,そこにはおそらく法則性があると思うのです。法則性を見出すというのは文化研究を行ううえで非常に重要な視点です。そういうテーマの研究はされるべきだと思いますし,針灸分野の研究はその突破口になると思います。
 どういう背景から穴性理論が出てきたのか。西洋から西洋医学の概念が入ってきたとき,その当時は中医のことを国医と呼んでいましたが,そのなかには中医・中薬が入っていましたし,さらに針灸やその他にもさまざまなものが含まれていました。それらは国医システムとして1つの体系にまとまったものでした。つまり,もともとバラバラに存在していたものが刺激を受けて1つにまとまったのです。ですから,その体系のなかでの違いというのは重要ではなくなってしまいました。それが大きな背景です。あとは,先ほども述べたように,『素問』の研究が『霊枢』の研究よりも盛んだったという歴史的な背景があります。
羅兆琚は中医であって薬物治療を中心とする人でした。そういう背景をもって今度はツボを薬性のように捉えるということを行いました。彼は針灸と薬を両方とも同時に使いました。そういう歴史的流れと外部からの影響を受けて,針灸そのものの性質が変化して行ったのです。

承淡安と羅兆琚から現在の針灸学へ
 もし民国時代のことで私が評価を与えるならば,承淡安(本誌137頁参照)と羅兆琚は針灸の発展にはなくてはならない存在だったということです。彼らが登場する以前の針灸にはほとんど変化がありませんでした。彼ら2人は針灸そのものに変化を与えたのです。

承淡安 羅兆琚
承淡安    羅兆琚

 承淡安は針灸に西洋医学の観点を取り入れ,中西両医学の疏通を模索しました。彼が生きている間には完成しなかったと思いますが,その先鞭を切りました。承淡安が切り開いた道をこれからも多くの人が歩んでいくでしょう。それは西洋医学が流入してきたという外部的要因によって起こったことです。
 羅兆琚も同様に針灸の発展に大きな貢献をした人物です。彼によっても針灸学に大きな変化が生じましたが,それは内部的要因によるものでした。『素問』研究が盛んになるという歴史的な流れが働いて,それが彼に変化を生じさせたのです。それは中医内部から起こった変化だったため針灸に対する影響は非常に大きなものでした。羅兆琚によって起こった変化というものをすべて分析することができれば,針灸がまた生まれ変わるのではないかと思います。
 承淡安が中心となって澄江学派(本誌133頁参照)が形成されました。彼ら2人は同じ澄江学派に属しており,同じ学校で,承淡安は校長,羅兆琚は教務部長を務めていました。ですから,新中国が成立してからの針灸教育においても,彼らの影響力はとても大きなものでした。澄江学派は民国時代の針灸界において主要な地位を占めていましたし,その学派のなかには,邱茂良・程莘農・楊甲山ら多くの針灸の著明な治療家がいました。彼らがその後の針灸学に与えた影響ははかりしれません。ですから,もし承淡安がいなければ現在の針灸はなかったと思われます。


 私は修士論文をインターネットに掲載しました。その理由は,たくさんの人に民国時代の針灸の問題をもっと掘り下げてほしいと思ったからです。公開して2年ほど経ちますが,残念ながら,未だ納得のいく反応が出てきていません。民国時代の針灸の問題というのはとてもたくさんの研究が可能です。例えば,中日間の文化交流が針灸の変遷に影響を及ぼしたことなど,さまざまなテーマが設定できると思います。今後,中日共同で研究を進めていければすばらしいと思います。

(文責:編集部)

*譚源生氏の論文を『中医臨床115号』から3回にわたって掲載していきます。
115号の内容は「民国時代の針灸学」です。




中医臨床 通巻115号 特集/機能性ディスペプシアの治療(Vol.29-No.4)
『中医臨床』通巻115号(Vol.29 No.4)
p128~p133より転載

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