オーストラリアにおける中医薬
19世紀中頃,金の採掘のために中国から多くの労働者がオーストラリアへ渡った。このとき,望・聞・問・切の四診,中薬の炮製,推拿,針灸,吸角といった中医学の診断と治療方法も一緒に持ち込まれた。つまりオーストラリアの中医学はすでに150年あまりの歴史を有するのである。しかし,一時期,有色人種を差別する白豪主義が掲げられたことで,中医薬の伝播は中断を余儀なくされた。1970年代になって,政府によって人種差別政策が撤廃され,異文化・異民族に対し寛容な多文化主義が提唱されるようになり,中医薬は再び発展するようになった。
臨床効果と科学研究
オーストラリアの医学の主流は西洋医学であるが,難病の患者が頼りにするのは中医薬である。中医薬の治療によって重度の糖尿病患者の症状が改善し,片側卵巣の摘出手術によって不妊症になった患者が妊娠した。鼻炎,湿疹,喘息,皮膚病などの症状も改善した。中国からやってきた中医師や研究者たちは,オーストラリアの西洋医らと共同で治療・研究にあたり,慢性肝炎,難治性の大腸炎,アレルギー性疾患,更年期障害,骨粗鬆症,がんといった疾患を治療した。そしてこれまでにない優れた臨床効果を上げたのである。それらの成果は論文となり国際学術会議で発表された。中医薬は,確かな臨床効果と西洋薬の副作用問題があいまって,この数年の間にオーストラリアの人々の間で注目を浴びるようになった。
ある調べによると年間280万もの人々が中医薬の治療を求めているという。2004年までの調べでは,シドニーやメルボルンでは2千人あまりの中医師が開業しており,プリスベン,アデレイド,パースにも数百人の中医師がいるとされる。中医師たちの平均年齢は44歳と若く,針灸師が最も多い。全国各地で中医学会が成立されるようになり,オーストラリア全国中医針灸学会連合会も設立された。
中医に関する法令が制定
急速に発展する中医学を政府も民間も重視するようになった。当初はイギリスのように針灸しか法的に認められていなかった。しかし,1995年にビクトリア州衛生部は「中医評価審議委員会」を設置して1年間の調査を行い,「オーストラリア中医行業調査報告」を公表した。この報告書では,政府に対して中医に関する法令を制定し管理するべきだと提言されていた。それを受けて,1998年に「中医立法プロジェクト」がスタートした。その結果,2000年5月にビクトリア州の政府上院議院で『中医注冊草案』が正式に可決され,2002年12月1日より施行されるようになった。この草案では,中医・中薬・針灸を管理して,広告・薬品・毒物・使用制限などを監督・調査することが定められている。この草案が施行されたことで,オーストラリアの中医は正常に発展するようになり,また優れた効果を発揮するようになったのである。
中医の高等教育
オーストラリアにおける中医薬の教育は,中医に関する法令と無関係ではない。中医の立法をスムーズに進めるためには,まず中医の高等教育が求められたのである。そのなかでベトナム籍の中国人である林子強氏が果した功績は大きい。彼は1970年代にオーストラリアへ渡り,いくつかの中医診療所を開き,その優れた治療効果で広く名前を知られるようになった。1997年に彼は連邦政府より「互補医薬評審委員会」委員に任命され,先進国レベルの機構に務めるはじめての中医師となったのである。さらに大学に中医教育機関を設置するために,政府関係者や大学責任者を連れて山東中医薬大学や南京中医薬大学を訪問し,中医薬の臨床効果・気功・針麻酔の現場を見せて,理解が深まるように努めた。その結果,ついにメルボルンのRMIT大学(メルボルン工科大学)とメルボルン大学に中医学部と生物医学院が設置されることになったのである。
RMIT大学では,南京中医薬大学と共同で中医薬大学の正規教育を取り入れ,多くの卒業生を送り出している。現在では,学士だけでなく,修士や博士の教育・研究も進めている。また,その他の州の大学も同様に中医教育を展開している。現在,広州中医薬大学や,香港の浸会大学中医薬学院もオーストラリアの大学と共同で,大学教育,中医臨床,難治性疾患について研究を行っている。
このようにオーストラリアは西側諸国のなかで,最も早くから,中国の中医薬大学の正規教育を医学教育のシステムのなかに取り入れて,中医学の国際教育を促進してきたのである。
(海洋)