改訂にあたって
この十数年の間に,漢方医学を取り巻く環境は大きく変化した。最も大きく変わったのは,社会的・政治的環境であろう。1993年のハーバード大学のアイゼンバーグの報告以来,世界的な広がりをみせたCAM(補完代替医療)の研究は,やがて有効なものとそうでないものを次第に明らかにし,その結果,代替医療の地位は後退して,研究の中心は補完医療と統合医療に移った。
その中でも,漢方医学を含む東アジア伝統医学の必要性がさらに強く認識されるようになった。WHOは2019年にICD-11の中に「伝統医学」の項目を新たに導入して今後のこの医学のグローバルな発展の道を開き,またISO(国際標準化機構)は,2009年に中国伝統医学に関する技術委員会をTC249として立ち上げ,全世界のこの医学を実践する国での国際標準を作成中である。このような世界的な動きは,今後ますます盛んになると思われ,これらを知らなければ世界の趨勢に取り残されるであろう。そのようなことも含めて,冒頭の「漢方医学の現況」は大幅な増訂を行った。
人びとの生活環境は変わっても,伝統医学そのものの形にそれほど大きな変化はない。本書はもともと初学者のために作成したものであり,当初から簡潔な記載で最低限の知識を供給することを目的としているので,内容を複雑にするような改定は行わなかった。しかしながら,時代とともに疾病構造は変化しており,伝統医学もそれらに対応していく必要がある。本書では,西洋医学の進歩や社会構造の変化に応じてさまざまに変化する疾病構造に対応する漢方医学の立ち位置を明確に示すために,「統合医療からみた漢方医学の形」という項目を設け,医学的な4つの分類と,それ以外に社会的な適応の形が存在することを示しておいた。
また,改訂が,たまたま2020年のCOVID-19のパンデミックの時期と重なったために,わずかながら本書もそのためのページを割くことになった。まずこの疾患が武漢という中国の江南地域から発していることから,11~13世紀にこの地域で流行した疫病との類似性が高いと考え,当時の国定処方集(薬局方)である『和剤局方』をコラムで紹介し,本文中では,この疾患の初期治療に必要な芳香化湿薬や祛湿解表剤,および進行した場合の凝固系の異常や血管内皮障害に対応する活血化瘀の薬物や処方を加えた。
上記のように,本改訂版では,社会的状況や変化する疾病構造に対し,必要な部分をごくわずかに変更した。また,基礎研究においても年々新たな研究が発表されており,副作用報告も蓄積されてきた。初版を刊行してから12年しかたっていないし,漢方医学そのものの形に変化はないものの,いくつかの改訂を加えたのはそのためである。
今回も,東洋学術出版社の担当の方,特に井ノ上匠社長には,この改定に関して多くの労を取っていただいた。記して感謝申し上げる。
2021年2月1日
安井 廣迪