▼書籍のご案内-序文

『臨床に役立つ 奇経八脈の使い方』はじめに

 
はじめに
 
 
私と奇経治療との出合いと現在
 私が初めて奇経治療と出合ったのは,昭和61年の東京医療専門学校の教員養成科時代のことで,恩師である山下詢先生の授業において奇経学を学びました。当時,正経十二経脈については卒前の教育において学んでいたのですが,奇経八脈については何も知らないといってよい程度の知識で,知っていることといえば奇経脈の名称と八脈交会穴が治療に用いられるということぐらいでした。これは私に限ったことではなく,教員養成科の優秀なクラスメイトにしても同じようなものでした。
 このような素人同然のわれわれに,奇経脈の流注から講義をしていただいた山下先生には,今でも感謝し続けています。山下先生の奇経治療は,正経十二経脈と奇経八脈を統合して臨床に役立てるというものでした。先生から初めて同名経治療などの治療システムを学んだ時の,背筋に鳥肌が立つような感激は昨日のことのように覚えています。
 以来30数年間,私は臨床を行い続けていますが,奇経治療はしっかり私の臨床システムのなかに織り込まれています。臨床を始めた当初は八脈交会穴を中心とした治療でしたが,次第に独自の発想によるオリジナルの治療を行うようになりました。また,上海中医薬大学で学んだ知識を活用し,「奇経脈とは何か」という疑問に対する答えを探究してきました。
 現在は,嬉しいことに奇経治療と出合った東京医療専門学校教員養成科において,私の奇経脈に対する考え方や,婦人科疾患に対する奇経脈を用いた施術についての講義をさせていただいています。教員というのはありがたい仕事です。自分の頭の中でまとめ上げた奇経の理論を学生の皆さんの前で話すことで,新たな問題点に気付かされたりします。それを何年も繰り返すことで,本書を執筆することができるようになりました。私の授業を受けた学生の方のなかから,奇経治療を受け継ぎ発展させる逸材が出ることを期待しています。
 
本書において皆さんに伝えたい内容
 私にとって,奇経学の研究はライフワークの一環になっています。しかし,奇経学を研究することはとても困難なものです。その原因の一つとして,奇経学についての情報が圧倒的に少ないことがあげられます。明代の李時珍はその著書である『奇経八脈考』において,「八脈散在群書者,略而不悉」(奇経八脈についての記述は,多数の本に散在しているが,いずれも簡略であって仔細に述べているものはない)と述べています。この記述からもわかるように,当時から奇経八脈に関する文献には簡略な記載しかなかったようです。もともと古典と呼ばれるものには奇経に対する記載が少なく,そのことを反映してか,現代においても奇経に対する論文や著作はあまり見かけません。また,奇経治療を知らなくとも,臨床上は正経十二経脈による施術で十分に事足りるという考えもあります。これらの理由から,奇経学の理論的な進展がなされていないと考えられます。
 少ない情報からどのように理論を発展させるか,方法は一つしかないと思います。それは「一心に思考を重ね,臨床において試行を繰り返す」ことです。
 東洋医学の長い歴史のなかで,優れた臨床家は長年の経験知から導き出した推論によって治療法を確立してきました。今後も,東洋医学においては「論理的推測」によって新しい基礎理論や治効理論を確立してゆかなければならない時代が続くと考えられます。現在,東洋医学に従事する臨床家で,臨床試験や実験などを通じて学術研究を行うことができる環境にいる人はごく少数です。しかし,ものは考えようで,科学的実証に囚われない分,大胆な発想による仮説を立てることができるのです。
 本書において皆さんにお伝えしたいことは,
 ①奇経八脈の存在意義と生理作用における奇経八脈の関与について
 ②奇経八脈の流注の特性や奇経八脈の新しい形の認識(奇経脈を経線として捉えるのではなく領域として認識する)
 ③奇経脈同士の相関関係
 ④八脈交会穴について(その選穴の理由)
 ⑤奇経八脈上の経穴を用いた新しい治療システム
 ⑥奇経八脈を用いた婦人科治療
 ⑦「奇経脈経筋」について
などです。すべて私が約30年の間に考え続け,臨床で応用してきたものです。かなり大胆な発想のものもあり,知的欲求を満足させることができる内容になっていると思います。
 
私が中医学で目指す学術と臨床について
 本書を理解していただくため,私の中医学的な立ち位置について述べさせていただきます。私は,昭和58年に鍼灸師の免許を取得しました。当時は,「中医学」という言葉さえ知らずに,経絡治療の習得に邁進していました。出席していた経絡治療の勉強会で,講師の方が「中医学の八綱弁証」と言われた時には,正直なところ,何を言っているのか解らずに,途方に暮れたことを今でも覚えています。
 その後,教員養成科課程で奇経治療や現代鍼灸(この呼び名が正しいかわかりませんが)を学びました。しかし当時は,中医学の授業はありませんでした。平成に入り,東京医療専門学校で専任教員をしている時に,授業のカリキュラムに中医学が新たに導入されることになり,新人教員であった私が授業を担当することになりました。これが私と中医学との出合いです。そのため,中医学を学んだことがない私(当時の学校教員のほとんどが同じ状況でした)が,上海中医薬大学の通信教育で学習しながら学校で授業をするという,自転車操業のような状態を2年ほど続けました。中医学を学び始めた当初は,それまで学んできた東洋医学の知識との擦り合わせがうまくゆかず,歯がゆい思いを繰り返していました。この行き詰まり感を払拭してくれたのが,北京中医薬大学の劉渡舟教授の『中国傷寒論解説』(東洋学術出版刊)でした。私が学んできた古典のなかで『傷寒論』は身近なものだったのですが,その『傷寒論』が弁証によって解説されるなどとは思ってもみないことでした。この書籍を読んで,それまでの頭の混乱が整理されました。そして,中医学はとても面白い学問であると認識したのです。これをきっかけに,通信課程の3年時に1年間行われる上海での臨床実習を,どうしても受講したくなってしまいました。私は,優遇されていた職を辞して留学することを決意しました。
 30歳を過ぎてから職を辞し,上海中医薬大学へ留学しました。そのため,何としてでも中医学を習得して帰国する,と意気込んでいました。病院研修の後は自室に籠もり,闇雲に知識を詰め込むための勉強と,教員として復帰した時のための資料作りを続けました。そのような私に,同室の友人が「ノイローゼになるから,ほどほどに勉強しろ」と忠告もしてくれましたが,当時の私は友人の声を聞く耳を持っていませんでした。このような生活を続けていた時に,日本から来られた故・張瓏英先生が日本人留学生達を食事に招待してくださいました。そしてわれわれに,中医学を学ぶためのアドバイスをしてくださったのです。それは「これからの中医学は暗記する学問ではなく,考える学問でなくてはならない」というものでした。劉教授の『中国傷寒論解説』を読んで中医学に目覚めた私には,このアドバイスは啓示のようにも受け取れました。学生時代には基礎を学ぶため,暗記は必要です。しかしその暗記は,道理を理解するためのものではなくてはなりません。単なる事物の暗記は,暗記そのものが苦痛となり,学習意欲を削ぐものとなってしまいます。そのことは,教員となった時に理解していたはずなのに,1年間の留学という規制から我欲に走って,本来の学問の姿を見失ってしまっていたのです。
 張先生のアドバイスが転機となり,それ以後「考える中医学」を目指すようになりました。これが現在の私の中医学に対する姿勢です。この抽象的な言い方では理解されにくいと思いますので,私の専門分野を明確にしたいと思います。
 中国からの帰国後,中医基礎理論を自分の専門分野として後進の育成に努めてきました。「考える中医学」が,なぜ中医基礎理論なのか。中医学を学んでいる皆さんならば理解していただけると思いますが,臨床で何気なく使用している語句の定義や弁証分類の内容が明確でない,と感じたことはないでしょうか。たとえば,陰気という語句です。陽気を説明しなさいと言われれば,「気の温煦作用を意味する語句」と即答できると思いますが,陰気についてはどうでしょうか。「陰気とは津液の冷却作用を意味する語句」と答えられるでしょうか。この定義は,私が「考える中医学」を行って導き出したものです。私が所有する中医学の書籍には,このような定義は見当たりません。次の例として,腎不納気証を取り上げてみます。腎不納気証は腎陽虚に分類されますが,腎の病証であるのに,なぜ呼吸器の症状を呈するのでしょうか。私の知る限り,明確な答えを提示した書籍には出合っていません。この病証について簡単に解説してみます。腎不納気証は腎陽虚であり,上焦の水源である肺から下降してきた津液を受け取ることができなくなった状態です。不納気とは,腎まで津液を運んで来た衛気が腎内への侵入を拒まれてしまった状態を表しています。そのため,肺には下降するべき津液が停滞し,痰を伴う肺気逆(喘息様症状)を呈するようになるのです。このような解説は,現代中医学の生理学を用いれば明確となります。中医学の歴史は長く,また現在中国で出版されている中医書は数が多いため,自分が唱えた「新説」と思っていても,誰かが同じことを述べていることも多いです。しかし,中医基礎理論の分野は,思考を重ねて(これが「考える中医学」です)導き出さなければならない問題が多く,私にはこれ以上の魅力的な分野はなかったのです。
 そのようなわけで,15年間は中医基礎理論を自分の専門分野としてきました。そして,この分野においてある程度満足のゆく資料を作り上げ,教員養成科の後進に渡すことができました。現在は,臨床における治法と治効理論を研究の課題としています。中医基礎理論を実践臨床でどのように用いるかを研究するために,治法を研究対象とすることにしたのです。本書は,これらの研鑚のうえに執筆したものです。
 また,私の鍼灸臨床では,診断と病態把握そして治法については当然ながら中医学を用いています。しかし,治療に用いている鍼は大半が日本の細い鍼です。その意味でいえば,良いところはなんでも採り入れる,折衷派といえるかもしれません。
 以上が,私の中医学における学術研究と臨床の立ち位置です。中国伝統医学は,その長い歴史のなかで,新しいものであっても良いものは貪欲に吸収し同化させてきた医学であると認識しています。したがって,私は「考える中医学」を通じて,日本から新しい知見を数多く発信してゆき,中医学の発展に寄与してゆきたいと望んでいます。
 
奇経治療の現状と今後
 上海の婦人科疾患を専門とする中医師たちのなかには奇経を重視する学派があり,私もその影響を強く受けています。奇経脈の生理的機能を考慮すると,特に婦人科系疾患においてその効果は著しいといえます。そのため,中国において婦人科系に特化した奇経治療が行われているのも理解できます。
 奇経治療といえば婦人科疾患と考えられがちですが,奇経脈は男性にも存在するものであり,男性の泌尿生殖器系疾患にも活用してしかるべきものです。このように,奇経治療は婦人科疾患に非常に有効であるものの,それだけに限定されるものではありません。日本で行われている奇経治療では,奇経脈は正経との関連が深く,独立した治療システムとして認識されています。また,奇経八脈は正経十二経脈と同様に身体の広範囲を網羅する経絡であり,たとえば陽維脈や陰維脈などは正経脈を維絡する長大な絡脈の様相を呈しています。そのため,これらの経脈は感染症や不定愁訴症候群などにみられる全身性の症状にも有効性を発揮するとされています。
 現在の日本では,湯液や鍼灸治療に対し認知症・緩和ケアや不妊治療などの面で,社会的な期待が高まっています。不妊治療には,奇経治療が最も適応します。また,広範囲の症状を少数穴で治療することのできる奇経治療は,緩和ケアにおいても非常に重宝なものとなります。そして,緩和ケアと関係の深い認知症には,任脈・督脈・陰陽蹻脈の応用が期待されます。
 しかし,重篤な主訴や広範囲の愁訴を抱えた患者さんに,従来どおりの奇経治療を行うことで,十分な対応ができるでしょうか。奇経治療も時代の要請に沿うものとして進化してゆかなければなりません。また,不安を抱えた患者に治療の根拠を説明できない施術を行うことは,患者だけでなく治療者にとってもつらいことです。
 西洋医学と違い,東洋医学の理論は科学的には証明されていないものばかりです。しかし,少なくとも中医学のなかにおいては,治療の理論は明確であるべきです。その一助となるように,本書では奇経八脈の基礎理論とその応用について,中医学の立場から論述しています。したがって,本書に書かれている奇経治療は「中医奇経治療」と呼べるものです。
 
読者の皆さんへ
 本書には,私が「考える中医学」を続けてきた歳月と,山下詢先生に学んだ奇経治療との結晶が綴られています。したがって,本書の内容はベテランの臨床家にも有益といえるものばかりです。日本では奇経治療に関する書籍や講習会は,あまり見受けられません。そのため多くの治療家は,奇経治療に興味はあるが臨床には採り入れていない,というのが現状だと思います。また学校教育においても,奇経脈に関しては旧態以前のカリキュラムのようです。これらのことを踏まえ,本書は鍼灸学生あるいは新米臨床家などの初学の方からベテラン臨床家の方までを読者対象として想定し,できるだけわかりやすいものになるように心掛けて書いています。