はじめに
漢方薬というと,葛根湯や小青竜湯,芍薬甘草湯などの方剤名が馴染み深い。また,わが国では,1967年に漢方エキス剤が保険収載されてから,医療機関における漢方薬の使用は主に方剤単位で行われている。こうした背景から,漢方薬について学ぶとなると,まず手はじめに方剤学の参考書を手にする人が多いのではないだろうか。
方剤は,適応となる病態を東洋医学的に治療するために,適切な薬味を選択し組み合わせて組成されたものである。方剤学はその理論的根拠と応用をまとめた学問であるから,東洋医学的概念を方剤単位でまとめたものということができる。実臨床では,多くの場合,方剤の処方が治療の中心であるから,方剤学は東洋医学的知識を総合的に活用し実践するうえで欠かすことのできない学問である。
わが国では,現在,多くの漢方エキス剤が保険適用となっており,その利便性から医療の現場において漢方薬が応用される機会が増えている。しかし,西洋医学的病名に当てはめる形で用いられることが多いのが現状ではないだろうか。本書を手にとられた諸氏の中には,そのような運用に疑問を感じている方も多いであろう。かくいう筆者も,はじめは病名や症状に対して方剤を選択し,用いていた。それでも西洋医学的治療で難渋する病態に面白いほど効果があり,東洋医学の魅力にとりつかれたものである。しかし,経験を重ね症例が増えていくにつれて,徐々に治療に行き詰まることが多くなった。症状が改善するまで次々と処方を変更せざるを得なくなり,暗闇の中,手探りで治療をしているようで実に心許なかったものである。このような状況を反省して中医学を学ぶようになったのであるが,その後,診療に向かう姿勢が一変した。方剤の構成と病態を東洋医学的に捉えるようになったのである。それからは,どのような方剤を選択すべきか理論的に判断できるようになり,また治療が無効であった場合も,次の治療への指針が立てやすくなった。
方剤は,もともと東洋医学的理論に基づいて作られたものであるから,東洋医学的考察をせず病証を無視して使い続ければ,体質が思わぬ方向へ変化し,さらなる病態が引き起こされることはいうまでもない。方剤の運用方法を東洋医学的にまとめ解説した書物が切望される所以である。本書では,方剤の適応証とその病態,薬味の組成について東洋医学的理論に基づいて簡潔にまとめてあるので,そのような期待に応えることができると考えている。
本書を作成するにあたって,中国で一般に教科書として用いられている方剤学のテキストを参考にした。主要な方剤をできる限り載せたつもりである。処々に挿入した図表が,理解の助けになることを期待したい。なお,病機や方解の図表は,紙面の都合上,重要な方剤に限らせていただいている。それ以外の方剤については,各自本文に基づいて図表を作成してみることをお勧めする。理解の助けになるであろう。また,症状や症候などの中医学用語で重要なものは,慣れ親しんでいただくために,日本語の後ろに括弧に入れて挿入した。参考にしてもらいたい。もし,本書に書かれた文章を難解と感じるようであれば,あわせて中医基礎理論や中薬学を学習することをお勧めする。
方剤学を学習するにあたっては,疾病の病証を的確に弁証し,必要な薬味を選択して処方を組み立てられるようになることが理想である。頻用される重要方剤の薬味の組成を学ぶことは,実臨床で出合うさまざまな病態に対して,独自の処方を組み立てる能力を養うことにもつながるであろう。本書が中医学を学び実践する多くの方々のお役に立てれば幸いである。
2018年5月
滝沢 健司