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『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 推薦の序

推薦の序


 このたび畏友・平崎能郎君が2年間に渡る中国留学の総まとめの1つとして,花宝金著『名中医経方時方治腫瘤』を翻訳出版する運びとなった。この翻訳書は単に原文を日本語に翻訳したものでなく,平崎君の見解も加えられたもので,「訳著」と命名するにふさわしい内容である。ともかくその快挙に心からなる賛辞を贈りたい。
 日本漢方は江戸時代の中期に古方派と称される一群の医家が登場し,中国の医籍『傷寒論』『金匱要略』を再評価することから始まった。この集大成を吉益東洞(1702-73)が成し遂げたが,その方法論の根幹は方証相対論である。私はこの日本漢方と現代西洋医学を融合させた和漢診療学を提唱し,実践している者の一人である。方証相対を確立した吉益東洞は陰陽五行論を完全否定したが,それは当時の医界が金科玉条としていた陰陽五行論との思想闘争であったから,必然的なものであったと理解される。しかし方証相対論の最大の欠点は,なぜそうであるのかという疑問を持つことを拒否し,『傷寒論』『金匱要略』を主体とする方剤を過剰に重視し,ともすればその範疇の中だけに留まってしまうという学問的態度を形成したことである。これでは本書で花宝金先生が展開されているような経方と時方を駆使した「中医オンコロジー」の世界は見えてこない。
 本書の訳著者である平崎能郎君は,私が富山医科薬科大学(現富山大学)医学部和漢診療講座で教授の職にあった時に,和漢診療学の修得を志ざし入局した東京大学卒業の偉才である。今から18年前のことであるが,どこかに土の香りがする元気な若者であった。その後,2005年に私が千葉大学に和漢診療学講座の開設のために移籍した際に,彼はこの新たな講座を立ち上げることに参画してくれた盟友である。私の信条は西洋医学の知にも十分な理解を持ってこそ和漢診療学は形成されるというものであるから,平崎君にも西洋医学での博士号取得を考えた。千葉大学では免疫学の研究が最先端レベルであったことから,免疫学教室の中山俊憲教授にお願いして,大学院博士課程でご指導頂いたのである。この新しい環境に取り組んだ平崎君の努力は凄まじく,瞬く間に免疫学領域の博士論文を完成したのである。
 平崎能郎君は本来リベラルな性分であり,「常に患者に対しベストを尽くしていれば特に形式や思想に拘る必要はない」というもので,これは私の信条にも一致するものである。この信条の下に私の門下生の多くが海外留学を経験しているが,平崎能郎君は留学先として欧米を選ばず中国を選んだ。彼は2006年頃から独学で中国語を習得し,2014年から,中医科学院広安門病院に留学したのである。
 中国医学は歴史も長く,使われる生薬の種類も豊富で,その辨証論治は理論的に完成しているかのように思われる。私は平崎君が渡航する際に彼の推薦状を作成したのであるが,その際に「日本漢方は修得したか」と尋ねたところ,彼は「日本漢方の奥は深いので一生かけて研究するつもりです。今回はその源流を探りに行きます」との弁明であった。もしこのとき彼が傲慢に「修得した」と答えていたら,推薦状は書かなかったかも知れない。彼の目指す所は表面的な中医理論ではなく,長い歴史の中で積み重ねられて来た膨大な経験の奥にある「暗黙知」であると私は考えている。
 本書における症例は皆素晴らしく経過の良いものである。考察における中医学の理論は一部論理の空回りに傾き賛同しがたい点もあるが,概ね中国医学の利点を臨床に最大限に活かしたものであると言える。平崎君のコメントも日本の医師の視点から書かれており,本書を身近なものに感じさせる。また生薬解説では,英文になっていない中国での実験エビデンスも引用されており,これを手がかりに日本での研究が進むことを期待している。巻末の「中国の医療事情」は中国の社会事情を反映しており,本書を一層身近な内容にしている。広く同学の士に本書を推薦し,序に寄せる言葉としたい。


2016年8月  医療法人社団誠馨会
千葉中央メディカルセンター
和漢診療科 部長 寺澤 捷年