まえがき
この本は先に二〇〇八年に出した『傷寒論を読もう』の続篇あるいは姉妹篇のつもりで書いたものです。前書を出した直後から、続きの『金匱要略』の本を書かなくてはと思いながら、なかなか取りかかれずにいましたが、東京四ツ谷の主婦会館で毎月開いている漢方三考塾で毎回『金匱要略』の話をする機会に恵まれたので、そのための講義原稿としてこの本を書きました。
一般的には、『金匱要略』と『傷寒論』は本来『傷寒雑病論』という一冊の書物であり、『傷寒論』は外感病を、『金匱要略』では内傷雑病を論じたとされています。
『傷寒論』では、病は進展変化するという観点から捉えて経時的に観察し、五臓六腑・十二経脈の病気の所在を論じるときも、病が現在移動しつつある場所という視点から観ています。一方、『金匱要略』では体のどこからどのような病気が発生するかが主題で、病を俯瞰的に観察しています。『傷寒論』のほうは張仲景の原典の主旨が比較的よく伝承されているようで、太陽病から厥陰病に至る一本の流れに沿って読んで行けば何とか理解できましたが、『金匱要略』のほうは一条一条が独立して存在している感じでした。原典の伝承も不完全なようで、条文の構成も整っておらず、脱落や省略されたと思われる部分も多く、一読しても意味不明な箇所も少なくありません。条文をただ現代の言葉に置き換えてみても、意味不明な点はそのままで、単なる現代語訳は試みてもあまり意味がありません。
結局、『金匱要略』に盛られた理論の内容は、『内経』(『素問』『霊枢』)および本草の知識を基礎に『傷寒論』で学習した成果を参考にしながら、自分で一条一条理解してゆく他はないようです。また大部分の条文はそれぞれ証候に対応する処方が述べられています。それらのなかには一見複雑な証候にみえても本治を行わせる条があるかと思えば、一方ではまず標治を先行させた後、本治に取り掛からせる場合もあります。また同病異治・異病同治の実例も随所に述べられており、読み進むうちに、単純ではない弁証論治の実際を教えられます。同書こそまさに『金匱要略』という書名がぴったりな臨床医学の貴重な経典であると、今さらながら痛感させられました。
『傷寒論』も『金匱要略』も書かれてから二千年余も経っているので、多くの人びとがいろいろなことを今までに述べてきましたが、今回はそのことにはほとんど触れず、各条ごとに、自分が理解できて納得したことだけを書き連ねてみました。
今回、本書が出版されるに当たっては、東洋学術出版社の井ノ上匠社長のお計らいと、編集を担当してくださった森由紀さん、原稿を校正してくださった漢方三考塾の須賀久美子さんに多大なご尽力をいただきましたことを心から感謝いたします。この本が少しでも皆様のお役に立ち、いつまでも可愛がっていただけるように願っています。
二〇一六年 立春の日 東京虎ノ門の寓居にて
髙山 宏世