はじめに
私が中国の大学を卒業した1982年には,がんの入院患者は現在ほど多くありませんでしたが,病院で内科の臨床に従事しているうちに,患者数が徐々に増えてきました。内科病棟には抗がん剤治療を受ける患者や末期がんの入院患者が多くなり,生薬の煎じ薬や中成薬をよく使用するようになりました。また,大学を卒業した翌年,母が乳がんになったことをきっかけとして,がん治療に取り組み始めました。
1996年に来日してからの9年間は,日本医科大学で肺がんの研究に携わり,動物実験や分子生物学の研究を通じて,がんに対する認識を深めてきました。
国立がんセンターがん対策情報センターの推計によると,日本人が一生涯のうちに何らかのがんになる割合は,男性で49%,女性で37%とされています。つまり「日本人男性の2人に1人,女性の3人に1人ががんになる」と言うことができます。科学の進歩により,がんの研究も進み,早期発見と治療に関してはさまざまな成果が上げられています。しかし,がんの発症原因については未解明の部分が多く,病因に沿った治療はできません。また,現在の標準的治療法である手術・放射線・抗がん剤による治療では,多くの患者が完治できないのが現状です。手術できる範囲は限られており,放射線や抗がん剤には副作用の問題もあります。ですから,がんに対しては,総合的な治療が必要になってきます。
中国では,伝統医学における先人たちの経験と智恵をがんに対する補完医療の1つとして,広く用いています。ただ,先人のがんに関する経験は各古典医籍に分散して記録されており,がんのみを扱った古典医籍はありませんでした。しかし,この30年,中国各地の病院に中医腫瘍科が次々と設立され,基礎研究や臨床研究が盛んになり,中医腫瘍学が体系化される時代となってきています。その成果は,中国国内だけでなく海外の専門誌でも発表され,教科書や専門書も多く出版されています。
私は,日本の各地で中医腫瘍学や中医内科学の講義をしてきましたが,その講義原稿が徐々に増えたので,今回それを入門者向けに本書としてまとめました。私自身の臨床・研究・教育の経験を整理し,さらに古典や関連の最新文献も参考にしながら,初学者が中医腫瘍学の全体を理解しやすいように工夫したつもりです。
現在,中国と日本では,医療制度の違いにより,がんに使用できる漢方薬の種類も異なりますが,本書では中国における中医腫瘍学の歴史と現状を紹介しました。
日本語の語学力不足のために,理解しにくい点も多々あるかと思いますが,いくらかでも読者の参考に供することができれば幸甚です。
本書の出版にあたり,日本語の記述についてご指導いただき,編集にお骨折りいただいた東洋学術出版社の井ノ上匠社長と編集担当の麻生修子氏にこの場をお借りして厚くお礼申し上げます。
2016年 春 鄒 大同