▼書籍のご案内-序文

『中医臨床のための医学衷中参西録』 第2巻[雑病篇]

はじめに


 本巻は清代の名医張錫純の著作《医学衷中参西録》の中核をなし,われわれ一般臨床医にとって身近な臨床雑病をとりあげる。雑病には内科・小児科・婦人科・泌尿器科・外科・耳鼻科・眼科・精神科などを含み,本書中には日常診療で参考になる記載が臨場感をもって語られている。
 とりあげた症例では,しばしば患者自身の言葉がありのままに記されており,日常臨床における患者自身の訴えを聞くことの大切さに改めて気付かされる。現代医学では病名をつけることに意が注がれて,患者が何に苦しんでいるのかを知ろうとする努力にやや欠けるきらいがある。また客観的なデータを重視するあまり患者の訴える言葉に充分な関心が払われていないことは反省すべきであるように思える。
 耳を傾けて患者の話を聞く問診は臨床医学の第一歩である。現代は情報の時代で,医学もさまざまな情報の洪水である。医療現場では一人の患者からあらゆる情報を取り出そうとする。血圧を測り,尿を調べ,採血をし,レントゲンを撮り,超音波でさぐり,カメラを入れ,それでも足りずにさらに高度なMRIや最新の検査手段を追い求める。遺伝子レベルの診断が脚光を浴び,治療もよりいっそう高度でかつ高額になる。もちろん臨床検査は重要であるが,医師はまず患者の言葉に充分にかつ丁寧に耳を傾けることから始めなければならない。患者の言葉が病の原因がどこにあり,取り除かねばならない苦痛が何によるものなのかを教えることは多い。張氏の症例にも,「そんなことは自分の病気にとって重要なことではないと考えていた」と患者が言ったとある。よく話を聞き,かつ重要な情報を聞き出すことは,今最も医師に求められる能力の一つであり,そうした情報を得てはじめて分析が可能になる。
 張氏は懇切に患者の話を聞き,脈診や舌診をはじめとした身体所見を分析し,矛盾点があれば考えぬき,迷った挙句についに診断に至る過程を詳細に記録している。治療にあたっても非常に細やかな気遣いをしている。薬を服用すると起きうることをあらかじめ知らせるなど,患者や家族に合わせて細かい説明をする。薬の内容をそのまま伝えると患者の家族が恐れて飲ませないと予想すれば,少し工夫を加える。薬の味にも非常に注意を払い,吐き気のある患者にはそれを助長するような薬を避け,少しでも薬の味を嫌がる場合は苦心して味のない薬による治療を考える。また貧しい人々には高価な薬を避け,日常のありふれた食物を用いての治療にも言及する。さらに広い中国での薬局事情を述べ,薬の確かめ方や,ときには製剤の仕方まで詳しく記載している。さらに治癒後の養生が必要な場合にはよく言い含めておくことを忘れない。こうした治療者としての彼の態度が,現代でも真に尊敬できる中医師として,当時の医師ばかりでなく,現代の医師にも光彩を放つ存在にしている。
 現代の医学教育で中医学を取り入れながら現代医学を学ぶことは決して無駄ではない。専門医ばかりの養成では大多数の一般患者は救われない。国民にとって日常的に頼れる身近な医師が増えることが望まれる。
 現代医学が最も得意とする分野は,人間としての患者の姿がみえない領域に多い。もちろんそれらが非常に重要な分野であることに異論はない。事故などの救命救急治療や,診断・治療が射程距離に近づいてきた先天性疾患などは輝かしい分野である。しかし一方で,より膨大な数の人々が苦しみ,その治療を望んでいる臨床雑病を,よく話を聞き,その発症の原因を考えて納得のできる治療を施す医師がまだ不足している。そうした医師を目指す人々にとって本書は極めて有益であると信じる。


神戸中医学研究会