▼書籍のご案内-序文

中医臨床のための温病学入門

はじめに


 温病学は,漢代・張仲景の《傷寒論》を基礎にして発展した外感熱病の新体系である。主として寒邪襲表・化熱入裏および寒邪傷陽の病機を分析し体系化した《傷寒論》とは違い,温熱あるいは湿熱の邪の侵襲による傷陰耗気の経過を解析しているところから,「温病学」と称される。《傷寒論》が張仲景個人の独創による著作であるのに対し,温病学は明代に展開し清代に隆盛して体系化が進み,多くの精英が切瑳琢磨することによって次第に形成された学理であるところが大きく異なっており,現代に至ってもなお成長を続けつつある。
 歴代の多くの医家が,聖典である《傷寒論》を一貫して尊崇し継承しながらも,社会条件や機構の変遷ならびに文化圏の拡大などさまざまな要素が加わるなかで,《傷寒論》の理論や理法方薬では実際の臨床に対応しきれない状況に数多く直面し,具体的な現象の細緻な観察と自己の臨床経験にもとづいた新たな理論や理法方薬を提示し,多くの批判を受けながら他家の知見や解釈をとり入れ,歴史的な評価を経て次第に「温病学」を体系化し,《傷寒論》の束縛から脱脚した新たな学説を形成したのである。それゆえ,実際の臨床において対象になる外感病の範囲は,《傷寒論》よりはるかに日常的かつ広範であり,病態把握や理法方薬もより具体的で理解しやすく,季節と密接な関連をもった病態分類と相俟って,身近な理論体系となっている。また,自然界の気候を含めた病因と人体の両面に対する鋭い観察と病態把握の深さ,人体の内部状態と病邪の相互関係にもとづいた治療の方法論と有効な治療手段などを考え合せると,現代医学の感染症に対する認識や治療手段をはるかに凌駕する高次元の医学であることが感得できる。
 歴史的に《傷寒論》の解釈と運用に重点をおき,他の学術の受け入れにさほど熱心でなかった日本においては,温病学も等閑視されて馴染みが薄いが,わが国の気候環境で発生する外感病をみると,「温病学」の理論と方薬の方がより実際的で無理がなく,効果もすぐれている。知識を吸収して損はなく,逆に《傷寒論》をさらに深く理解するうえで益するところ大であると言える。
 中医学を学ぶ者にとっては,新たな外感熱病の理論体系を会得するにとどまらず,中医理論そのものの理解を深めてさらなる発展への足がかりとすることができる。とくに興味深いのは《温病名著》であり,時代を画した名医の立論と注解,ならびに「選注」として示された秀才達の批判・反論・肯定・強調・解説・展開・付説などを熟読玩味することにより,中医学独特の思考方法や認識の真髄に触れるとともに,新理論の確立への途径を理解することができ,大きな啓示を得ると確信している。


 以上は1993年に上梓された本書の旧版にあたる『中医臨床のための温病学』の「はじめに」の部分である。これは20年以上経過した現在も特に改めるところはない。旧版はすでに絶版となったが,幸いに再版を望む方が多いとの声をいただき東洋学術出版社のご厚意で今回新たに上梓することになった。本書は総論と各論に分かれ,できるだけ読みやすくすることを目指した。旧版ではさらに「温病名著(選読)」を設けたが,新版ではこれを割愛し比較的コンパクトに温病の全体像を読み通すことができる書物とした。名著の抜粋を各論のそれぞれの章の最後に引用してあるので,興味のある読者諸氏は是非読んでいただければ幸いである。
 総論では,温病の概念と基礎理論および基本的な弁証論治を示している。
 各論では,風温・春温・暑温・湿温・秋燥・伏暑および温毒の七種を章別に論述し,各章ではまずその病変の概念・病因・病機・弁証の要点を述べている。ついで弁証論治においては,「衛気営血」の区分に大別したうえで,その病変の特徴にもとづいたよくみられる証型を提示した。各証型については,〔症候〕〔病機〕〔治法〕〔方薬〕〔方意〕を示し,適宜に他の証型との区別や関連を述べた。さらに,小結(まとめ)を行ったのち,末尾に関連する文献を読み下し文で付加している。
 温病学の用語は紛らわしいものも多く,文章のみでは難解で混乱しやすいので,旧版よりも図表を増やし理解の助けとした。
 本書は,「温病学」(孟樹江主論,上海科学技術出版社,1985)を藍本とし,「温病縦横」(趙紹琴ほか,人民衛生出版社,1987),「温病学」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1979),「温病学」(張之文主編,四川科学技術出版社,1987年),「温病学釈義」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1978),「温病学講義」(成都中医学院主編,医薬衛生出版社,1973),「暑温と湿温の証治について」(張鏡人,THE KANPO Vol 9.No 1,1991),「温病条弁白話解」(浙江中医学院,香港新文書店,発行年月不明),「温病条弁新解」(呉鞠通,学苑出版社,1995年),「湿熱条弁類解」(趙立勛編著,四川科学技術出版社,1986),「中国医学百科全書・中医学(下)」(《中医学》編輯委員会,上海科学技術出版社,1997),「傷寒六経病変」(楊育周,人民衛生出版社,1991),「金匱要略浅述」(譚日強〈神戸中医学研究会訳〉,医歯薬出版,1989)などを参考にし,当研究会での討論をふまえたうえで,編集・構成したものである。
 現代医療の感染症治療の現場には,つぎつぎに新薬が登場して薬剤の種類は増えているが病原菌もしたたかに耐性を獲得して新たな攻撃をしかけてくるために未だに完全勝利を得るには至っていない。こうした状況をみても温病治療の考え方および治療法を理解し,さらに発展していくことが今後とも重要であることは言を俟たない。本書がそのためにいささかでも寄与できることを願う。本書の至らぬところも多々あると思われる。読者諸兄のご指摘,ご批判をいただければ幸甚である。


2014年2月      
神戸中医学研究会