はじめに
1992年にわれわれが出した『中医臨床のための方剤学』は漢方製剤を用いる臨床の医師や薬剤師など多くの関係者の方々の支持を得て,広く臨床の場で必須の書物として利用していただいてきた。このたび東洋学術出版社から改めて出版していただく機会を得たので全面的に各項に検討を加えている。
その骨格,意図については初版からのものを受け継いでおり,新版を上梓するにあたってもこれまでと同様に原典の記載を重視している。方剤はいったん臨床に用いられると当初の適応症以外にも用いられ,おもわぬ効果を得ている。しかし,可能な限り直接原典にあたり方剤の創製された意図を明確にすることによって,さらに応用が拡がるものと思われる。したがって,現在あまり用いることの少ない方剤でも広く応用の期待がもてるものは,よく使われる処方で抜けていたものと同様に積極的にとりいれた。研究会で学んできた張錫純や鄭欽安の処方や,基本方でありながら不足していた傷寒論処方についても今回新たに加えている。原典の記載については原則として読み下し文としたが,現代的な読み下し方もとりいれてわかりやすさを心掛けた。一部は翻訳をして読みやすくした部分もある。
薬用量については原典に記載のないものもあり,原典に記載された量でも固定したものと考える必要はない。症状に応じて臨機応変に変えるべきものである。個々の薬量についてはすでに改訂版を上梓した『中医臨床のための中薬学』などを参考にしていただければ幸いである。
まだわれわれの知識レベルに依然として限界があるために,なお多くの誤りと不足があると思われる。忌憚のないご指摘をいただき今後さらによいものをめざしたい。
なお参考文献として,以下の書籍等を用いた。
『中医大辞典』方剤分冊(人民衛生出版社,1983年)
『中国医学百科全書』中医学(上)(中)(下)(上海科学技術出版社,1997年)
『中医名詞述語精華辞典』(天津科学技術出版社,1996年)
『中華古文献大辞典』(医薬巻)(吉林文史出版社,1990年)
『傷寒論辞典』(劉渡舟主編,解放軍出版社,1988年)
『中医臨床のための温病条弁解説』(医歯薬出版株式会社,1998年)
『医学衷中参西録を読む』(医歯薬出版株式会社,2001年)
『黄帝内経詞典』(天津科学技術出版社,1991年)
『黄帝内経素問霊枢訳釈』(竹原直秀著,未出版)
『傷寒六経病変』(楊育周,人民衛生出版社,1992年)
『金匱要略浅述』(譚日強,医歯薬出版株式会社,1989年)
『方剤心得十講』(焦樹徳,人民衛生出版社,1995年)
『古今名医方論釈義』(高暁峰ほか,山西科学技術出版社,2011年)
2012年10月
神戸中医学研究会
第1版 はじめに
方剤は,現代医学のように純粋で単一の薬理作用をもつ薬物を生体の特定のターゲットに作用させるのではなく,多彩かつ複雑な薬能をもつ個性的な薬物を組み合せることにより,特定の病態を根本的に解消させる意図をもっており,この意図がそれぞれの方剤の「方意」である。
中医学は数千年にわたる臨床経験を通じて治療医学の体系を形成しており,弁証論治が大原則になっている。弁証においては,四診によって病変の本質である「病機」を分析する。すなわち,病因・経過および当面の病態の病性・病位・病勢ならびに予後などの全面的な分析である。論治においては,弁証にもとづいて最適な治療の手順と方法,すなわち「治則・治法」を決定し,さまざまな薬物を適切に組み合せて治法に則した方剤を組成し,これによって治療するのである。根拠と理論(理)・治療の法則と方法(法)・投与する方剤(方)・使用すべき薬物(薬),すなわち「理・法・方・薬」として総括されている弁証論治の過程において,具体的な治療手段になるのが方剤であるから,方剤の適否が治療効果に影響を与えるのは当然である。たとえ弁証論治が正確であっても,方剤の組成が適切でなければ,十分な効果を期待することはできない。
方剤を組成するうえでは,個々の薬物の性能を熟知することは当然として,経験に培われ歴史的に検証されてきた薬物の配合の原則・理論・知識を知る必要があり,これが「方剤学」の内容である。弁証論治の先駆であり「方書の祖」と称される漢代の《傷寒論》が,約二千年の長きにわたって聖典として学習されて応用され,そこに提示されている方剤が今日なお有効であるように,古今を通じて名方といわれ有用とされている著名な方剤をとりあげ,具体的な配合の模範・典型として分析し研究することが,方剤学においては非常に有益である。
本書は,方剤学の基本理論・原則および基礎知識などを総論で述べ,各論では具体例として典型・模範となる方剤の分析を行っている。方剤は清代・汪昂の分類方法に倣って効能別に21章節に分類し,各章節の冒頭で効能の概要・適用・使用薬物・注意と禁忌などを概説したうえ,個々の方剤について詳述している。なお,日本で保険適用になっている方剤はすべてとりあげている。
各方剤については,「効能」すなわち中医学的薬効と「主治」すなわち適用を示したうえで,「主治」で示された病態についての「病機」を分析し,それを「方意」と結びつけ,その方剤がなぜその病態に適用しどのような治療効果をあらわすのかを説明している。すなわち,本書の重点は病機と方意の有機的結合にあるといえる。なお,効能・主治・病機・方意は,近年に西洋医学的概念に則って創成された方剤を除き,すべて中医学の理論と概念にもとづいているために,現代医学的に解釈しきれるものではなく,強いて解釈すると大切な面が欠け落ちる可能性を大いにはらんでいる。我々が『中医処方解説』で試みた現代医学的解説は,初学者が中医学に馴じむという目的においては,十分に評価し得ると自負してはいるが,中医学本来の価値を活かし切れてはいないという反省にもつながった。本書を上梓する意図はここにある。
本書では,方剤の元来の構成意図や適用を尊重し,解明するために,できるだけ原文の引用を行っている。さらに,現代中医学的な解釈と古人の考え方のずれから,汲みとれる有益な面も多いと考え,古人の解説文も挿入している。いずれも意味が分りやすいように読み下し,[参考]の部分に掲載している。
なお,本書に示した薬物の分量は,時代によって多くの変遷が認められるように,一定不変と考えるべきではなく,一応の目安とみなして,病態に応じ増減させるのが当然である。方剤を構成する薬物についても,主要な薬物以外は臨機応変に加減変化させるのが通常である。
参考文献としては,「方剤学」(許済群ほか,上海科学技術出版社,1987年),「方剤学」(広州中医学院主編,上海科学技術出版社,1981年),「中医治法与方剤」(陳潮祖,人民衛生出版社,1975年),「中医臨床のための病機と治法」(陳潮祖(神戸中医学研究会訳),医歯薬出版,1991年),「傷寒六経病変」(楊育周,人民衛生出版社,1991年),「傷寒論評釈」(南京中医学院編,上海科学技術出版社,1980年),「金匱要略浅述」(譚日強(神戸中医学研究会訳),医歯薬出版,1989年),「温病学釈義」(南京中医学院主編,上海科学技術出版社,1978年),「温病縦横」(趙紹琴ほか,人民衛生出版社,1987年),その他を使用させていただいた。
我々の知識レベルに限度があるために,なお多くの誤りが存在すると考えられ,読者諸兄の御批判をいただければ幸甚である。
1992年4月
神戸中医学研究会