はじめに
小髙 修司
司馬遼太郎が、『葉隠』の訳注を書いた奈良本辰也と「日本人の行動の美学」というタイトルの対談を行っている。その中に「極端論でなければ旧来の思想は破れません」という発言がある。平板化し画一化した、ある意味で近代的合理主義ともいえる朱子学を打ち破ろうとしたのが『葉隠』であるし、別の言い方をすれば朱子学以前の日本人を知る手だてとなりうるのが『葉隠』であると発言している。そして『葉隠』の原点は口述者である山元常朝の「狂」にあるというのである。
岡田研吉と牧角和宏という二人の「狂」が長年にわたり集積した膨大な資料に、螳螂の斧を以て風穴を開け、二人の考えていることの何分の一かを見通せるようにしよう、そして江湖に広く知らせようと企て、『葉隠』の筆記者であった田代陣基のような立場で、別の意味での「狂」である私が、資料の抜粋・整理を試みてきた。そしてこのたび、鼎談と各人の論文とをまとめ、本書を上梓するにいたった。
本書の意図するものは、宋以前における医学・薬学、特に『傷寒論』の真の姿はいかなるものであったかを探ることにある。それはつまり原義的意味における復古であり、目指すものは真の古方派であるともいえよう。その真意は従来の中国医学、日本漢方のあり方考え方を否定するものではなく、宋以前には一般的でありながら、歴史の中で埋没してまった医学薬学の理論を発掘することで、それらを含めたより広い理論にもとづく、今以上に臨床的な効果を出しうる医学の形成にある。
平成十二年(二〇〇〇)の春節より始まった「森立之『傷寒論攷注』を読む会」において、岩井祐泉先生による『傷寒論攷注』の講義の後に、岡田、牧角が長年に渡り収集した資料を発表し討論することが毎回行われている。その課程で徐々に現代の中医薬学の一般的な知識が、必ずしも古代(宋以前)のものとは一致しないことが明らかになってきた。特に中国医学の最も重要な古典であり、現代中医学の知識の基礎である『傷寒卒病論集』が、宋代に大幅な改訂を受けていることがさまざまな傍証を通して明らかになってきた。
一方、生薬学においても森立之により復元された『神農本草経』、さらに『名医別録』などに見られる薬効と現代中薬学の知識は必ずしも一致しておらず、その理由にはさまざまな要因が考えられ、基原植物自体が変化してきている可能性を含め検討した。その結果、古代において苦酸薬を祛風清熱疾患に多用したグループの存在が浮き彫りになり、現代につながる辛温薬を多用するグループとの抗争、そして後者の勝利が宋版『傷寒卒病論集』の改訂に大きな影響を与えたことが指摘できよう。
個々の方剤が生薬の組み合わせで成り立っている以上、その薬効に相異があれば、方剤が創案された時点と、その方意が異なってしまうことも十分考えられる。構成生薬の古典的薬効を再考して検討することによって、方剤の臨床上の適応疾患に、現在考えられている以上の効能・効果が考えられることになった。臨床応用の幅を広げるためにも、古典の理解を深めることは非常に重要である。