おわりに
私には,日本の鍼灸界に4人の恩師がいます。4人とも,名前を挙げれば皆さんが知っている鍼灸の大家の方たちです。4人の恩師に共通しているのは,臨床家ではあるが学究肌でいつも勉強をなさっていたということと,とても優しい方たちであったということです。
鍼灸の初手を教えてくださった恩師の勉強会で,恩師が「私の勉強会に参加した人は,1冊は鍼灸の本を書き上げてください」と言われました。その言葉を胸に40年近く,鍼灸の臨床と教育に携わってきました。幸いにも,この恩師との約束は,私のオリジナル治療である『火龍筒連続吸角療法』(緑書房,2015年)を書籍として出版することで果たせました。当時,自分の書籍が出版される喜びと同時に思い至ったのが,他の恩師にも執筆した本を1冊ずつ捧げようということでした。
そしてようやく,東京医療専門学校教員養成科時代に奇経治療を教えてくださった,故・山下詢先生の御霊にこの書籍を捧げることができます。「はじめに」でも書きましたが,山下詢先生が,何も知らない私を奇経治療の世界へ導いてくださったのです。そのお優しい人柄と口調は,今でも私の人生の規範となっています。その先生への恩返しとして,先生の奇経学の研究成果を中医学的観点より発展させたこの書籍が出版されることは,このうえない喜びです。
最初に執筆した書籍では,文章を書く喜びと方法を学ばせていただきました。本を執筆するということは,一般的な論文の何十倍もの文字数を書かなくてはならないということで,とてもたいへんな作業でした。幸い,私は脚本家になりたかった母からの遺伝子を受け継いでいるようで,文章を書き慣れてくると苦痛ではなく,逆に喜びを感じるほどになりました。
今回,東洋学術出版社で出版していただけるこの書籍では,本作りのたいへんさを学ばせていただきました。私の頭の中には,原稿を完成させることがイコール出版というような素人考えがあったのです。しかし,書籍を作るということは原稿が完成したところからがスタートなのだと,今回は学習いたしました。書籍ができるまでには,原稿の修正と加筆・校正・図版のチェックなど,行わなければならない作業がたくさんあると知りました。それも何度も繰り返すたいへんな作業なのです。この作業のなかでとても驚かされたのは,原稿を書いた私でさえ気付かない間違いを,編集者の方が指摘してくださるということでした。よく「編集者が最初の読者」といわれていますが,これは本当のことなのだと実感しました。また,私は涙が出るほど(もともと涙腺が弱いため,実際に泣いたのですが)嬉しかったです。これまで,中医学の資料をたくさん作って後進に配布してきましたが,資料を喜んではくれるのですが,資料に対する質問やディスカッションをしてくる学生がとても少なく,残念な気持でいっぱいだったからです。
書籍というものは編集者の方と一緒に作り上げるものだと学びました。今回,私を担当してくださった森由紀さんの力により,この書籍は数段優れたものとなりました。森さんは絶えず読者の立場から,文章をわかりやすく修正するように導いてくれました。また,加筆する私に気を遣い,優しい言葉をかけ続けてくださいました。本当に感謝しています。
最後に,紙媒体の出版物の売り上げが伸びずに出版不況といわれる今日,持ち込んだ原稿を出版すると英断していただいた井ノ上匠編集長に感謝を申し上げます。近年,鍼灸に関する出版物は,写真集かと思われるような内容の薄いものや出来合いの内容を貼り付けたようなオリジナル性に乏しい本ばかりです。これでは,初学者ならいざ知らず,ベテランの治療家になればなるほど購買意欲はなくなってしまいます。井ノ上編集長と面談した際,「この書籍を起爆剤に奇経治療の高波を起こしましょう」と言ってくださいました。井ノ上編集長の志の高さに心打たれるとともに,私は自分の本の出版のことしか考えていなかったので,赤面したことを覚えています。売れるものしか出版しないという出版社もあるなかで,井ノ上編集長は中医学や鍼灸の発展のことを念頭に私の原稿を採用してくれたのです。
この書籍は山下詢先生と私の研鑚努力の結晶に,東洋学術出版社の編集長と編集者の皆さんの高邁な精神が宿って生まれたものです。この書籍を読まれた方々により,日本の鍼灸界に奇経治療の高波が起こることを切に願ってやみません。
2020年8月吉日
高野耕造