あとがき
私は、他の漢方の先生方と異なり、学生時代には、漢方に全く興味がなく、漫画倶楽部に所属してマンガばかり描いていました。研修医時代も漢方には興味がなく、「理論がわからない薬は使えない」と考えていました。しかし、あるとき先輩医師の基礎中医学の勉強会に誘われ、「基礎理論を学べば少しは使えるようになるかもしれない」と考えて、遅蒔きながら勉強を始めました。いまから約二七年前のことです。
その後、小児科の外来をするようになり、アトピーの患者さんを多く診るようになりました。しかし、マニュアル通りに治療して、何とかステロイド軟膏が要らないようにしても、三カ月も経たないうちに、みな元の状態に戻ってしまう状況を見て、今の治療はあくまで対症療法のみで根本は治していないのではないかと考えるようになりました。
そんなときに岡山のクリニックに移り、そこで北京中医薬大学大学院卒の甄立学先生とお会いし、漢方でわからないことはいつでも教えていただける環境に恵まれました。そこから大人のアトピー患者さんを治療する機会を得て、中医学の本を見ながら試行錯誤を始めました。皮膚の暗黄色・舌体の青色・腹の冷えなどのある患者さんは、ベースに「脾陽虚」があると考え、また顔の赤みは『傷寒論』の通脈四逆湯証の「戴陽」と判断して、乾姜・附子・甘草をスーパーで売っている白ネギと一緒に煎じて服用してもらったりしました。それでかなり効果はあったのですが、顔の赤みがすっかり取れるほどではありませんでした。中医が皮膚の赤みを取るのによく使う黄芩も混ぜてみましたが、少し良くなったり、逆に悪くなったりもしました。
その頃から、全国的に有名な中医の先生方の勉強会に参加する機会を得て、生薬に対する知識が広がり、アトピーの治療成績が少しずつ良くなってきました。
しかし福岡で開業後、アトピー患者さんの数が増えるにつれ、同じように処方しても治りが良い患者さんと悪い患者さんがいるのは、薬以外の要因が関係していると考えるようになり、その一番の原因は食事だと思い至りました。最初は患者さんに指導通りに食事ができているか聞いていたのですが、治りが悪い患者さんに限って「きちんと食事をしている!」と主張されるものの、皮膚や舌を診るととてもそうとは思えません。水掛け論をしても仕方がないので、一週間分の食事を写真に撮ってきてもらうことにしました。百聞は一見に如かず! 写真を見ると、患者さんがおっしゃることと、食事の内容が全く違っていたのです。もちろん患者さんを責めるつもりはありません。本人の認識と、医師の認識の違いを、写真で埋め合わせることができるとわかったのが収穫です。そこからは食事の指導と漢方薬で、アトピーの治療効果が急速に良くなっていきました。アトピーが「治った」といえるのは、食事の自己調節だけで症状をコントロールでき、漢方薬が要らなくなったときだと、自信を持って言えるようになりました。
私のアトピー治療が上達したのは、尊敬する諸先生方のお蔭です。表面は冷やしても脾胃は冷やさずにすむ石膏の大胆な使い方は江部洋一郎先生から、「引火帰源」に必要な附子の重要性の確信は小髙修司先生から、麻黄の機能と使い方は仙頭正四郎先生から学びました。そして、最も大切な食事療法の重要性は甄立学先生からです。私自身、頑固な副鼻腔炎に悩まされており、手術をしても完全には治らず、風邪を引くたびに二週間は耳鼻科に通わなければならなかったのですが、それを完全に治してくださったのは甄先生です。私はピリ辛が好きで、風邪のときに温めるつもりでピリ辛を摂っていたのですが、「風邪のときは炎症を悪化させるピリ辛と肉は絶対に駄目です。野菜を中心に、日本料理のようなあっさり味にしなさい」と教えてくださったのです。その通りにすると風邪を引いても副鼻腔炎にならなくなり、後鼻漏もすっかり治りました。さらに鼻前頭管の閉塞も治り、飛行機に乗っても頭痛が起こらなくなりました。
アトピー治療の本はたくさん出ているのですが、食事で治して、漢方で治るスピードを上げる考え方の本はあまり見かけません。またマンガで描いた方が広く読んでいただけるのではないかと考え、こういうスタイルにしました。食事指導の一環として患者さんに読んでいただくことを中心に考えましたが、漢方初心者の医師が適切な処方を選べるような内容にもしたつもりです。医療従事者、患者さん双方にこの本を役立てていただきたいと思います。
最後に、プロのマンガ家で連載中にも拘わらず作画依頼を快く受けてくれた岡山大学漫画倶楽部の後輩・馬場民雄先生、今までと毛色の違う出版を引き受けてくださった東洋学術出版社の井ノ上匠社長、麻生修子さん、アトピーの漢方治療の要点を教えてくださった故・江部洋一郎先生、小髙修司先生、仙頭正四郎先生、そして食事療法の重要性を教えてくださった甄立学先生に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
二〇一八年五月吉日 三宅和久