▼書籍のご案内-後書き

『中医皮膚科学』 あとがき

 
編訳者あとがき


 私が中医学に出会ったのは30年前,1990年代の前半であった。同じ年に2回,北京と台中(台湾)で行われた研究会・国際学会に参加し,発表したことがきっかけであった。以降,北京東直門病院・天津中医薬大学第一附属病院(石学敏院長)で中医鍼灸を参観する機会を持った。また,昭和医科大学のリハビリテーション科初代教授・森義昭先生のもとに留学していた北京医科大学の先生などを北京に訪ねたりしているうち,周りの中国人朋友の尽力もあり,95年から96年まで上海に1年半の留学をする機会を得た。
 95年秋には,東京理科大学の山川浩司教授,東京薬科大学の川瀬清教授などの諸先生方と一緒に薬史学会主催の中国の漢方史蹟を巡るツアーに参加する機会があった。西安訪問の後,陝西省耀県に『千金方』で有名な孫思邈の生地を訪ね,最後に四川の成都でその地の中医学を見ることができたのは幸運であった。
 私は,80年代には,北里研究所附属東洋医学研究所の岡部素明部長の鍼灸部門に定期的に通って,東洋医学の鍼灸(経絡治療派)は習得していたが,留学中に中国鍼灸で学ぶものは少なくなかった。日本では,74年頃より日本医師会長・武見太郎先生のバックアップのもと,保険適用となる漢方エキス製剤が数多く出現しており,日本の医師たちは簡便なそれに頼っていた。しかし,私は中国で中薬を学習し,それを用いた包剤(煎じ薬)の使用を習得したいという希望が強かった。それで,当然,帰国後は漢方治療に煎じ薬を取り入れた。また,中医中薬理論・包剤理論・弁証方法の習得にも力を入れた。
 従来の西洋医学で治りの悪い患者に,伝統医学を応用して良い結果が出せるようになったのは,これらの技法を使うことができたからである。その後も,さらに技を極めたく,中国の本場の現代漢方・中医学を実地に見続けてきた。当初は,中薬の数の多さに圧倒され,珍奇な動物性のものや,虫類のものの有効性に驚くことが多かった。破傷風に対する玉真散の存在や,痙攣に対する熄風鎮痙の羚羊角(犀角)・地竜などの効きめなどを知った。
 さて,この『皮膚病中医診療学』(人民衛生出版社)の翻訳作業は,東洋学術出版社の前社長・山本勝嚝氏のお薦めで取りかかった。この本は中医外科がベースになっており,膠原病からエイズまで西洋医学の皮膚科の概念を超えて,難治性の内科疾患も扱っている。中医外科・皮膚科のはじめての本格的な日本語訳の書籍であると思う。翻訳に加えて編集作業も行い,内容の豊かさを企図した。欧文表記も追加したので,欧米にアピールするときに参考になると考える。
 読者には,日常の診療に弁証・弁病というアプローチを取り入れて,難病との格闘に大いに利用してほしいと思う。また,伝統医学に初心の医療関係者には「西学中」(西洋医が中医学を学ぶこと)の姿勢で取り組んでほしい。大陸では特に伝統医学を目指す若い西洋医をこのように呼んでいた。これから伝統医学の習得を目指す本邦の「西学中」の医師にとって,この書は皮膚科が専攻であるかどうかを問わず,中薬の使用法,組み合わせ(方剤)を思案するのに非常に有益な内容になっていると思う。
 この翻訳・編集作業にあたっては,中医翻訳家の田久和義隆先生にご協力いただき,多大な謝意を表したい。各論の翻訳については,当時上海中医薬大学に留学中だった宮本雅子さんと守屋和美さんにお世話になり,感謝している。
 皮膚科の専門的な部分に関しては,日野治子先生(元関東中央病院皮膚科部長・現特別顧問)にご教示いただき,感謝申し上げたい。
 古典の条文解釈については,東京世田谷・明正堂薬局の赤本三不先生(温知会)にご尽力をいただき,感謝申し上げたい。
 中国では,上海中医薬大学や浙江中医薬大学の諸先生方にお世話になった。特に朱根勝先生(上海中医薬大学国際教育学院)には多大なご指導,ご尽力をいただいた。
 最後に,ご協力くださった関係各位に厚くお礼申し上げます。


2017年4月
村上 元