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『中国医学の身体論――古典から紐解く形体』あとがき

 
あとがき
 
 
 本書の力点は第Ⅱ部にある。第Ⅰ部の「臓腑学説」は,第Ⅱ部を導く必要から附されたものであるといっても過言ではない。
 2017年に『古典から学ぶ経絡の流れ』を上梓した。同書では『素問』『霊枢』『難経』などに見られる経脈・絡脈・経別・経筋の種々の記載を十四経の各経脈ごとに分類し,さらに各経脈の末尾に,本経だけでなく,絡脈・経別のすべてを合わせた十四経の流注を付記した。
 同書の目的は,十四経経穴の主治原則の一つである「経絡が通じる所は主治が及ぶ所」にもとづく遠隔作用に根拠を与えることであった。たとえば胃経の足三里穴がなぜ「目内障」の「目不明」に効果があるのかを考えたとき,胃経は絡脈と経別(別行する正経)の両脈が目系に流注していることで首肯できる。したがって同書の目的はそれぞれの経穴をもつ十四経で,そのすべての流注を明らかにしようとすることであった。
 本書は,それとは逆に,各臓腑・組織・器官に視点を向け,それらの組織や器官が,どの経絡・どの臓腑と関連しているのかを明らかにしたものである。
 したがって本書と前著『古典から学ぶ経絡の流れ』は,表裏一体を為すものであると考える。
 本書の執筆は前著が刊行されてから,ほとんど間を置かず始まったが,ある程度の完成を見て,今回出版する運びとなるまで5年の年数がかかってしまった。
 勿論,不十分な点が随所に見られるのは承知のうえだが,本書が礎となって,さらに掘り下げた形体論が将来,書かれることを期待している。
 5年前,簡単な企画書と目次をご覧になっただけで,出版を約束された東洋学術出版社の井ノ上社長,また,編集者の立場で執筆者の拙稿に辛抱強く,お付き合いくださった編集部の森由紀さんに深く謝意を申し上げる。
 

2022年6月
浅川 要


 
 

『乾くんの教えて!四診 上巻』参考文献

 
参考文献
 
鄭鉄涛主編:中医診断学2版,人民衛生出版社,北京,2016
鄭鉄涛主編:中医診断学2版,上海科学技術出版社,上海,2007
呉承玉主編:中医診断学,上海科学技術出版社,上海,2008
任廷革,湯尓群ほか編著:任応秋臨床心験,人民衛生出版社,北京,2013
秦伯未,李岩,張田仁,魏執真共著:中医臨床備要,人民衛生出版社,北京,2013
汪宏著,王小芸,趙懐船,張玪校注:望診遵経,学苑出版社,北京,2011
林之瀚著,呉仕驥点校:四診抉微,天津科学技術出版社,天津,2012
陳家旭主編:中医診断学図表解,人民衛生出版社,北京,2011
史俊芳主編:中医診断学筆記,科学出版社,北京,2007
周幸来主編:望甲診病与中医簡易治療,人民衛生出版社,北京,2011
張伯臾主編:中医内科学,上海科学技術出版社,上海,2006
廖品正主編:中医眼科学,上海科学技術出版社,上海,2012
阮岩主編:中医耳鼻咽喉科学,人民衛生出版社,北京,2012
江育仁主編:中医児科学,上海科学技術出版社,上海,2007
陳紅風主編:中医外科学,上海科学技術出版社,上海,2009
邱茂良主編:鍼灸学,上海科学技術出版社,上海,2007
印会河主編:中医基礎理論,上海科学技術出版社,上海,2007
任応秋主編:任応秋論医集,人民衛生出版社,北京,2008
任応秋著:任応秋講『内経』,科学技術出版社,北京,2013
李克光,張家礼主編:金匱要略2版,人民衛生出版社,北京,2008
王農銀主編:簡明実用中医基礎詞典,貴州科技出版社,貴州,2006
李其忠:気門、玄府、腠理、三焦関考,上海中医薬雑誌,1998(3),1-3
曲麗芳:従『金匱要略』腠理探三焦系統形質効能,中国医薬学報,2002(17)3,149-151
曹吉瑞:浅談欠症,光明中医雑誌,1995(5),16-17
張広麒:齘歯芻議,雲南中医学院学報,1986(1),24-26
 
 

『乾くんの教えて!中医疫病』参考文献

 
参考文献
 
益増秀,陳勇毅主編:中医治疫名論名方名案,人民衛生出版社,北京,2006
彭子益著:円運動的古中医学 温病本気編,中国世家,https://www.zysj.com.cn/lilunshuji/yuanyundongdeguzhongyixue/index.html (参照2020-02-25)
楊進主編:温病学2版,人民衛生出版社,北京,2008
趙紹琴,胡定邦,劉景源主編:温病縦横,人民衛生出版社,北京,2006
 
 

『乾くんの教えて!中薬学』参考文献

 
参考文献
 
顔正華主編:中薬学2版,人民衛生出版社,北京,2012
徐楚江主編:中薬炮製学,上海科学技術出版社,上海,2009
龔千鋒,袁小平,鐘凌雲主編:中薬材炮製加工方法図解,人民衛生出版社,北京,2010
曹睴,呉玢,王孝涛編著:中薬炮製伝統技芸図典,中国中医薬出版社,北京,2013
唐徳才主編:中薬学,上海中医薬大学出版社,上海,2006
任応秋著:任応秋講『内経』,科学技術出版社,北京,2013
任応秋著:病機臨床分析/運気学説,上海科学技術出版社,上海,2009
秦伯未著:秦伯未増補謙斎医学講稿,中国医薬科技出版社,北京,2013
孫広仁主編:中国古代哲学与中医学,人民衛生出版社,北京,2009
林大勇ほか:経方薬物炮製法挙偶,遼寧中医薬大学学報,2007,vol.9,No.5,p.158-159
楊宝竜ほか:中薬炮製解毒去毒機理,山西中医,2006,vol.22,No.3,p.45-46
宋尚晋ほか:仲景之烏頭減毒調護,遼寧中医薬大学学報,2015,vol.17,No.7,p.111-113
毛淑杰ほか:浅談中薬炮製輔料的研究,中国中医薬信息雑誌,2011,vol.18,No.1,p.7-9
張兆宸:中薬炮製常用輔料及其応用,中成薬研究,1981,vol.11,p.22-24
孔増科:中薬飲片加輔料炮製的作用,中成薬研究,1984,vol.11,p.17-26
王求淦:浅談炮製中薬的個体輔料,湖南中医雑誌,1988,Vol.1,p.41-43
崔妮ほか:中薬炮製薬汁製法歴史沿革及研究進展,薬学実践雑誌,2014,vol.32,No.3,p.167-170
毛淑杰ほか:中薬炮製輔料-蜂蜜古今煉製工芸及標準,科技創新導報,2008,No.1,p.134-135
鄢連和:米泔水炮製中薬的応用分析,伝統医学,2010,Vol.19,No.10,p.83-84
杜玉然ほか:稲米類中薬応用,中草薬,2013,Vol.44,No.7,p.923-928
王錫安:従『内経』五穀五畜五行比類五行学説的局限性,安徽中医学院学報,1996,Vol.15,No.3,p.2-3
劉維鋕:阿膠与水質,中成薬研究,1980,vol.6,p.23-25
靳光乾ほか:阿膠的歴史研究,中国中薬雑誌,2001,Vol.26,No.7,p.491-494
張振平ほか:明清阿膠主産地-東阿城(鎮)及其生産工芸,山東中医学院学報,1993,Vol.17,No.4,p.51-54
鄒堅白:漫談熬膠,江蘇中医,1963,Vol.6,p.29-31
王其献ほか:陳皮炮製的歴史沿革研究,中薬材,1998,Vol.21,No.3,p.127-129
汲守信:陳皮的功効沿革考,時珍国医国薬,2011,Vol.22,No.3,p.777-778
魏瑩ほか:陳皮本草考証,井岡山大学学報(自然科学版),2013,Vo.34,No.4,p.74-77
呉暁東ほか:蒸製陳皮炮製工芸的研究,中国薬師,2011,Vol.14,No.9,p.1265-1267
唐仕ほか:論自然環境因子変化対中薬薬性形成的影響,中国中薬雑誌,2010,Vol.35,No.1,P.126-128
文頴娟ほか:浅議生態環境対単味中薬功効発揮方向的影響,陝西中医,2008,Vol.29,No.11,p.1535-1536
金鑫ほか:中薬“道地”薬材与地理環境,長春中医薬大学学報,2010,Vol.26,No.4,p.287-288
逯春玲:談中薬的道地薬材,中国医薬導報,2010,Vol.7,No.13,p.227,p.230
鄥清明:中薬産地和炮製対功効影響响挙偶,中国中医薬現代遠程教育,2012,Vol.10,No.5,p.65-66
候士良:中薬薬性是中医臨床療効的関鍵,河南中医学院学報,2008,Vol.23,No.4,p.1-3
鄭金生:“道地薬材”的形成与発展(I),中薬材,1990,Vol.13,No.6,p.39-40
胡世林ほか:中薬材道地性与生物多様性,中国医薬学報,1999,Vol.14,No.5,p.16-19
劉法錦:中薬採収季節的研究概況,中薬材科技,1981,No.4,p.24-25
周立良:中薬的採収季節,中薬通報,1984,Vol.9,No.4,p.6-8
賈天柱:中薬生熟浅析,中医薬研究,1987,No.4,p.17-18
賈天柱:再論中薬生熟的変化与作用,中成薬,2006,Vol.28,No.7,p.984-986
王勤ほか:芻探中薬薬性炮製,中医学報,2011,Vol.26,No.4,p.448-450
張永興ほか:試論中薬相反相成配伍,陝西中医,1989,Vol.10,No.2,p.86-87
曹一鳴:関於中薬“相反相成”作用的方剤臨床体会,天津医薬,1976,No.8,p.379-381
朱歩先:従気味陰陽談単味薬功用的対立統一,中医雑誌,2002,Vol.43,No.11,p.865-867
史業弿:浅談象思惟在認識中薬功効方面的応用,中華中医薬雑誌,2015,Vol.30,No.4,p.1163-1165
李夢漪ほか:『本草綱目』象思惟研究概況,江西中医学院学報,2011,Vol.23,No.1,p.9-11
張婕ほか:程丑夫教授臨床択薬的意象思惟探析,湖南中医薬大学学報,2015,Vol.35,No.11,p.36-37
粱永林ほか:論象思惟対中薬作用認識的影響,中医研究,2013,Vol.26,No.5,p.3-5
吉文輝:中医的意象思惟与意象模式,南京中医薬大学第学報(社会科学版),2004,Vol.5,No.3,p.134-136
鄧媛:中薬“毒”性認識,環球中医薬,2008,p.21
郭愛則:中薬学中“毒”字含義探析,長治医学院学報,1994,Vol.8,No.3,p.266
熊麗娟:中薬毒性探討,雲南中医学院学報,2007,Vol.30,No.3,p.20-23
肖丹:浅論『内経』胃気理論及其対後世的影響,湖南中医学院学報,2006,vol.26,No.2,p.19-21
山西老醋伝統醸製技芸,百度百科,https://baike.baidu.com/item/山西老陈醋传统酿制技艺/15515798?fr=aladdin(参照2014年2月)
ミツカングループ,お酢のできるまで, https://www.mizkan.co.jp/osu-information/osu/make.html (参照2014年2月)
 
 

『上海清零 ~上海ゼロコロナ大作戦~』あとがき

 
あとがき
 
 
 予想通り,2021年も新型コロナの影響で日本に戻ることなくあっという間に1年が過ぎてしまいました。2020年1月16日に新型コロナ禍前最後の日本出張から上海に戻って以来,かれこれ2年近く日本に行くことができていないことになります。日中間を移動するにあたっての最大の障害は,空港での感染リスクと,中国に戻るときに課される強制隔離,そして高騰した航空券や隔離等にかかるコストの問題です。上海の場合,2021年11月の段階でもホテルでの集中隔離2週間,自宅での健康観察1週間と計3週間は拘束されることになるうえ,これに日本に戻ってからの自宅での隔離期間も合わせると計1カ月以上の時間が防疫対策のために消えてしまうことになります。当面,以前のように気軽に日中間を移動するようなことはまだまだ難しいでしょう。
 一方で,私たちの上海での暮らしは,2020年の春頃は出勤もできず自宅に籠もっていましたが,それ以降はコロナ禍前とほとんど変わらず,旅行へもいけるようになりましたし,会食も安心してできるようになっています。診察も途切れることなく継続できています。仮に散発的にでも感染者が出れば,ここ上海でも一時的かつ局所的な厳戒態勢になりますが,上海だと大体2週間我慢すればまた通常通りに戻り,「常態化」(警戒しながらも日常生活を継続する)対策が継続されます。
 世間ではしばしば,日本など世界の一部の国々で行われている「ウィズコロナ対策」と比較して,「中国のゼロコロナ対策」と,やや皮肉を込めていわれることを目にしますが,実は中国は現段階で決して新型コロナウイルスの撲滅を目指しているわけではありません。もちろん撲滅できることが望ましいわけですが,いまの全世界の状況をみると限りなく不可能になってしまいました。いくら国内でゼロコロナ(感染者や入院者がゼロ)が達成できても,毎日海外からの輸入感染例があり,コールドチェーンの輸入食品などからもウイルスが運び込まれてくるからです。むしろ,中国がいま行っている対策は,人口14億人の巨大かつ複雑な国で犠牲者を最小限に食い止めるために考えられた,いわば「中国式ウィズコロナ対策」(中国では「動態ゼロコロナ」と呼ばれています。動態ゼロコロナとは感染者が出続けても再びゼロに持っていく対策のことをいいます)の結果と考えるほうが自然だと思います。そして世界で新型コロナが落ち着き,治療薬が普及し,ワクチン接種が行き渡るまで時間稼ぎをしているのです。本書でも度々登場する鐘南山院士や張文宏主任も,このことを幾度となく国民に向けて発信しています。人それぞれに個性があるように,それぞれの国が抱える事情は異なり,対策方法がまったく違うのは当然で,未知の感染症に対して,犠牲者をできるだけ出さないように,それぞれの政府が取り組める対策を最大限に行っていくしかありません。これらには決して優劣はないのです。
 私は中国で働く医療者の一人として,中国在住の日本人が少しでも正しい情報に基づいて行動できるように,武漢が大変だった頃からSNS通じて中国から発せられる情報を整理し発信するように心がけました。背景には2003年のSARSの頃,中国で留学していた自分自身がなかなか正しい情報にありつけず,日本や欧米諸国のマスコミ情報に色々と翻弄された苦い経験がありました。その時の経験から,まずは私たち自身の中国での日常生活を淡々とSNSなどで呟くことが重要であることに気がつきました。日常生活そのものから,中国の感染症対策の一端を垣間見ることができるからです。しかし時間の経過とともに,どうも中国で行われている実際の対策が的確に日本に伝わっておらず,日々もどかしく感じるようになりました。とくに,マスコミなどで中国事情が紹介されても極めて断片的なうえ,むしろ興味本位の情報がインターネット上に溢れ,裏情報みたいに聞こえてくるデマ情報が,あたかも事実のようにもてはやされ,それらが徐々にインターネット上だけでなく実社会でも一人歩きするようになり,私たち現地在住者にとって必要な中国の新型コロナ対策の核心が一向に世界に伝わっていないことに不安を感じるようになりました。そして実際に武漢での流行の頃から現在まで私たち自身が体験したことを,記録に残すことも社会的に意義があるのではないかと思い至りました。2020年1月から2021年10月まで私たちが上海での実生活を通して新型コロナと対峙した記録が本書になります。
 さらに上海で暮らすだけでなく,湖北省武漢市をはじめとして,東北地方各省,江蘇省揚州市や福建省泉州市など新型コロナが収束したばかりのエリアを実際に自分の足で歩いてみました。回復した街の活気を感じつつ,そこで知り合った現地の人たちからも色々と貴重な体験を伺うことができました。ここで共通して感じたのは,人それぞれが自分たちのできる範囲で,自分たちや家族の命を守るために奮闘していたということです。決して政府にいわれたから行動するというレベルではありませんでした。日本でも,国民一人ひとりが対策に十分に気をつけていたのと同様に,中国でもこうした一人ひとりの新型コロナとの闘いが,中国国内の感染拡大防止に大いに役立っていたことは間違いありません。
 
 本書でもう一つ取りあげたかった大きなテーマは,中国の新型コロナ対策で欠かすことのできない中医学の積極的な活用です。日本でも一時,中国では「怪しい漢方薬」を使っていると報道されていたようですが,これも断片的な情報しか日本語になっていませんでした。そもそも中国では,大きく分けて西洋医学と中国伝統医学の医師ライセンスがあり,日常的にお互いが対等にかつ協力し合って病気を治療し,患者も自分の好みに応じて治療を選択することができる環境ができています。中国の長い歴史のなかで,中医学は常に感染症と闘ってきており,豊富な経験の蓄積があります。このことを認識せずに,中国の新型コロナ対策を語ることはできません。決してサプリメントを服用するような感じの漢方薬ではないのです。実際に,デルタ株が中国各地で散発的にみられるようになっても死亡例はほとんど出ておらず,人工呼吸器やECMOを使うような重篤例の患者も回復しています。その背景には常に中医学の存在がありました。そして,いまでは後遺症に対しても中医学を活用した対策が考え出されています。こうした感染者一人ひとりに対して,中国では国をあげて西洋医学だけでなく,中医学でフォローする方針がコロナ禍の当初から現在まで続けられています。
 新型コロナのような未知の感染症が流行した場合,症状から処方が組み立てられる中医学の役割は非常に重要で,かつ中医学は中国に根ざしている文化の一つでもあるため,一般市民にも受け入れやすいという背景もありました。また,西洋医学で開発された様々な高価な新型コロナの治療薬と違って安価に手に入るうえ,すぐに処方を出すことも可能です。こうした中国の経験は,中医学をルーツにもつ日本の漢方でも決して活用が不可能ではなかったはずですが,残念なことに,新型コロナを漢方薬で早期治療するという発想は,なかなか日本では受け入れられませんでした。日本の累計患者数や死者数が,中国の数を軽く越えてしまった現在,そして多くの方がいまなお後遺症で苦しんでいるなかで,日本でも中医学や漢方の活用をもっと真剣に考えてもよいのではないかと思います。いまの日本の現状は,われわれ中医学や漢方に携わる医療者として非常に残念に思いますし,まだまだ普及のための力が足りないことを痛感させられました。
 
 こうした色々な思いを込めながら,2021年秋にようやく本書を書き上げることができました。2021年11月の段階では,内モンゴル自治区など中国内陸部を発端としたクラスターや,遼寧省大連市の輸入品を扱うコールドチェーンをきっかけに広まったクラスターがまだ完全には沈静化していませんが,政府と国民一人ひとりの地道な対策で今回もきっと収束に向かうことでしょう。すでに2週間連続ゼロを達成した地域も出始めてきました。このように日々刻々と状況が変化し,常に新しい情報が更新されるなか,本書の出版にご尽力くださった東洋学術出版社の井ノ上匠社長には心よりお礼申しあげます。また,さまざまな情報を提供してくださった中国在住の日本人の皆さま,中国各地に点在する私の現地の友人,色々とアドバイスをくださった中国各地の中医学の専門家の皆さまにも深く感謝いたします。そして日々の勤務の間に,原稿執筆に奔走していた私を支えてくれた家族にも感謝します。
 少しでも早く全世界で新型コロナが沈静化し,私たちの日本への一時帰国が実現し,日本の皆さまに直にお会いできることを楽しみにしています。また皆さまにも中国に来ていただいて,いまの中国の本当の姿をじっくりと見ていただきたいです。
 
 最後に全世界で新型コロナに感染して亡くなった皆さまへご冥福をお祈りいたします。
 

2021年11月 初冬の寒さを感じるようになった上海浦東新区にて
藤田 康介


 
 

『漢方診療のための中医臨床講義』あとがき

 
あとがき
 
 
 徳島の小さな田舎町の薬屋に生まれて,放課後は日没まで校庭や山や川や田んぼで遊び回っていました。それでも小学校から大学までまた医師になってからも,ずっと良い師に恵まれ続けたなと今思い返します。漢方が実際に医療に使えることを現場で示し眼を開かせて下さったのは,医師になって3年目に内科医として赴任した徳島県立海部病院の山野利尚院長先生でした。その後,県内の僻地診療所赴任中も漢方と鍼灸治療を日常診療に取り入れその有用性を確信し,自治医科大学卒後9年間の義務年限終了後は三浦於菟先生の御高配により千駄木の日本医科大学附属病院で斉藤輝男先生の外来に付かせて頂く機会を得ました。中医学を専門とすることを志した最初の段階で,斉藤先生のオーソドックスで美しい中医学の診療スタイルを直接学べたことは最大の幸運でした。日本医科大学では渡邊裕先生の鍼治療の外来でも学ばせて頂き,先生の医学を超えた幅広い教養にまで感銘を受けました。その6年後,縁あって京都の高雄病院で江部洋一郎先生のもと,経方医学を学びながら江部先生の外来に付かせて頂く機会を得ました。江部先生は斉藤先生と同様に学ぼうとする者に心温かく,時には私の手をとって脈の取り方を指導して下さいました。今の自分があるのはこれら恩師の先生方,またさまざまな交流の機会のあった日中の専門家の方々との御縁のお蔭です。
 今までご指導下さった恩師に報いる一番の方法は,次の世代を担う若手医師への技能の伝承だとずっと思っていました。しかし私は外来では目の前の患者の診療で精一杯で研修医に指導する余裕が無いことも自覚していました。これでは私を快く診療に付かせ病態や処方の意味のコメントまでして御指導下さった恩師に後ろめたい気がして,やるべきことをやらずにいることが心に引っかかっていました。どうやら私は話し言葉よりも書き言葉で伝えることが性分に合っているので,自分の診療を解説付きの症例集として本にまとめて中医学を志す若手医師の一助にしようと思い至りました。受けた恩のほんの一部しかお返しできていませんが,やるべきことを一つやり終えた気持ちです。読者の皆様には,筆者の診療を頭の中で追体験して頂いて,ここは違うとかこうした方がより良いとかいった考えを思い浮かべながら,筆者を超えて中医学の漢方診療の高みを目指して頂ければこれに勝る喜びはありません。
 最後に,時とともに変化する市場流通生薬に関する記述について大阪の栃本天海堂の西谷真理様,宮嶋雅也様にご校閲をお願いしました。衷心より御礼申し上げます。
 

令和三年一月
篠原 明徳


 
 

『マンガ 睡眠と漢方で治す婦人科疾患』 あとがき

 
あとがき


 婦人科疾患を治療する時、中医学の本で証による分類を見ながら、処方を真似して出してみて、うまくいけば喜び、うまくいかなければどうして効かないのか、考えながら診療を続けてきました。『中医 女科証治』(銭伯煊編、森永哲夫訳・編、鐘薬会叢書部)、『症例から学ぶ中医婦人科 名医・朱小南の経験』(朱小南著、柴﨑瑛子訳、東洋学術出版社)、「中医婦科臨床手冊」(人民衛生出版社)などが座右の書です。
 漢方を始めた頃は処方の内容にばかり気をとられて、患者さんの生活スタイルに注目する余裕がなかったのですが、診療を続けるうちに、同じ証、同じ年齢の患者さんに、同じ処方を出しても効きが違うのは、患者さんの先天的な体質だけでなく、今の生活が反映した後天的な体質が関係していると気づくようになりました。
 月経があるのが婦人の特徴で、出血してはそれを再生産する行為を月の満ち欠けのように繰り返します。出血するので男性より血が不足しがちで、出血とともに気も漏れて減るので、気血の再生産のため男性以上に条件を整えなければなりません。気血は昼間に体を動かして消耗し、夜に食べものを原料に脾(現代医学の胃腸)が再生産して、次の日に使えるよう準備しています。睡眠が少ないと、「作る時間」が少ないため、当然気血ともに減っていくのですが、ここを直さずに薬で気血の生産スピードを上げても、治療効果に限界があります。逆に「作る時間」である睡眠を増やし、薬で作るスピードを上げれば、必ず気血は増え、その後薬は要らなくなります。
 理屈は簡単なのですが、実際は処方の工夫をするだけで、睡眠を具体的にどれだけ増やすか指導している医師や薬剤師はあまりいないようです。処方は素晴らしいのに、基本の睡眠時間の修正をしないために、治療効果を落としたり、薬を止めると元に戻ってしまったりするケースを見るのは、非常にもったいなく残念です。
 マンガの中で描いているように、睡眠は副作用がなく、費用もタダです。睡眠時間の指導をすれば、処方に自信がある方はより早く治癒させることができますし、処方にまだあまり自信がない方でも治療効果は必ず上がります。特に、婦人科三大処方といわれる当帰芍薬散[23番]、加味逍遙散[24番]、桂枝茯苓丸[25番]のエキス剤のみご存知の産婦人科の先生方は、他のエキス剤も難しくありませんので、睡眠指導をしながら、ぜひ使ってみて効果を実感していただきたいと思います。
 私自身は現代医学と漢方を特に区別して考えていません。よく効き、副作用が少なく、費用も安い薬を先に使い、それがダメなら次の選択肢に移るようにしています。高血圧の治療で漢方を希望する患者さんには、現代医学の薬の方が絶対によいと勧め、「えーっ?」と言われることもしょっちゅうです。漢方にあまりなじみのない先生方も、漢方は難しいとか、わからなくて怖いとか思わずに、本書を参考に使ってみていただきたいと思います。
 「怖くない、ほら、怖くない」と誘っていると、某アニメのヒロインみたいですが、漢方は決して怪しいものではありません。もっとも、私のクリニックには〇蟲や巨〇兵のフィギュアが飾ってあり、それなりに怪しく感じておられる患者さんがおられるかもしれませんが……。
 最後に、私に漢方を指導してくださった甄立学先生、マンガを描いて下さった馬場民雄先生、出版に尽力して下さった東洋学術出版社の井ノ上匠社長、麻生修子さん、そして昨年秋に次女を産んでくれた妻と、乳児を持つ女性がどれだけ大変かあらためて教えてくれた生後4か月の次女に心から感謝いたします。ありがとうございました。因みに、この「あとがき」も、次女のオムツを換えた後に書いています……。


二〇二〇年二月吉日 三宅 和久




『漢方診療ワザとコツ』あとがき

 
 
あとがき
 


 「漢方診療ワザとコツ」を漢方専門誌に連載して56回となりました。この雑誌は諸般の事情により一時休刊になることと,今年72歳になる私の年齢を考え,このあたりでまとめて一冊の本として出版しようと思いました。
 この「ワザとコツ」は,著者が思いつくままに書きましたので必ずしも系統立っておりませんが,編集部が上手にまとめてくれました。
 私はこれまで山田光胤先生から20年以上にわたり漢方の教えをいただいておりますが,その「ワザとコツ」を自分だけの宝としておくのは,あまりに勿体ないので,それを自分なりに整理してまとめた内容であります。
 お読みいただき,不明な点,おかしなところがあるとすれば,それは私の責任であります。最後までお読みいただいた先生には心から感謝いたします。
 単著は『漢方事始め』(日本医学出版),『東洞先生はそうおっしゃいますが』(たにぐち書店)に続いて3冊目となりました。残された私の時間はどれくらいあるのかわかりませんが,これからも漢方の発展のために頑張っていこうと思っています。
 

2019年4月 織部和宏


  

『「証」の診方・治し方2 -実例によるトレーニングと解説-』あとがき

 
 
あとがき
 


 中医弁証論治の臨床専門書である前書『「証」の診方・治し方』第1巻が,発行以来多くの読者にご愛読いただいていることに感謝しています。そして,読者の期待に応えるべく,私たちは第2巻を発行する運びとなりました。第2巻をこれほど早く順調に出版できることについて,まずは執筆者の立場から,熱心な読者と東洋学術出版社の山本勝司会長,井ノ上匠編集長,編集者の森由紀様およびそのほかの協力者の皆さまに心より感謝を述べたい。
 30年前,私は北里東洋医学総合研究所の招待で来日しました。当時も,医師・鍼灸師・薬剤師で中医学に関心のある人は居たものの,今ほど増えるとは予想できませんでした。最近では,中医学の日本への導入・普及が進んでいることを実感しています。
 中医学の学習は,まず中医学の基本理論を深く理解することが重要です。中医学の書籍は漢字が多く,日本の漢字と似ていることも多いですが,中医学理論の勉強を軽くみてはいけません。しっかりと中医学の基礎理論を勉強したうえで,次のステップとして臨床実践があるのです。臨床実践を積み重ねるうちに,中医学の基礎理論の奥深さに感心し,それを体得できるようになることでしょう。『「証」の診方・治し方』で紹介した症例は,日常的に遭遇する病気ですから,皆さんの診療にも参考価値があるのではないでしょうか。同じ病気でも,個人の体質や病状によって,違う証が立てられる可能性があります。中医弁証は,初診日の第1回目の弁証が,病気を治すための弁証のスタートですが,病状の変化・体質の変化に伴い,また新たな証が立てられることがよくあります。病気を治す全過程において,弁証論治は継続しているのです。
 『中医臨床』誌では,弁証論治の専門コーナーである「弁証論治トレーニング」が読者の熱心な応援により順調に続いています。これからもよろしくお願いします。また,本書の不十分な所については,ご批判・ご鞭撻をいただければ幸いです。


 

2019年春 呉澤森


  
 
 このたび,『「証」の診方・治し方』の第2巻が発刊される運びとなりました。
 本書は,『「証」の診方・治し方』第1巻(2012年12月発行)と同じく,季刊『中医臨床』の「弁証論治トレーニング」のコーナーに長い間掲載されてきた多くの症例から,新たに30の症例を厳選しました。各症例に対して,症状分析にもとづき病因病機を推理しながら弁証する方法,治療方法と経過,そして迷いやすい点についてのアドバイスをまとめ,さらに弁証ポイントと病因病機図を加筆しました。
 中医治療の素晴らしさは,弁証論治により疾患を根本から治療できることです。病の原因を取り除き,目の前の患者が一刻も早く苦痛から解放されることは,臨床家の一番の願いでしょう。しかし,授業や本から学び得た知識だけでは,良い臨床家になるまでの道のりは長く,その距離を縮めるためには常に実践的な訓練をしながら臨床経験を積むしかありません。
 その意味でも,本書と第1巻に紹介された症例は,皆さまに実践的な訓練の場を提供しているといえるでしょう。本書に書かれた弁証論治の手順・経過などを見ながら勉強してもよいし,また症例をもとに自分なりの分析・弁証・治療(中薬・方剤・配穴・手技など)を考えてから,その解説と比較してもよいと思います。たくさんの症例トレーニングを繰り返すことによって,皆さまの中医学の臨床力は着実に進歩することでしょう。
 おかげさまで,2018年12月に本書の元となる『中医臨床』の「弁証論治トレーニング」は第100回を迎えました。これも皆さまのご愛読・ご支持の賜物と深く感謝致しております。振り返ってみれば,私の力不足で,また拙いところもありましたが,皆さまに何らかのヒントを示すことができたのであれば幸いです。
 最後に,本書の発刊にあたりまして,東洋学術出版社社長の井ノ上匠様のご助言と,編集者の森由紀様に多大なご尽力をいただきましたことに,心より感謝申し上げます。


 

2019年春 高橋楊子

『腹証図解 漢方常用処方解説[改訂版]』 改訂版 発行にあたって

 
 

改訂版 発行にあたって


 
 昭和63年(1988年)の初版発行以来,読者の皆様から『赤本』の愛称で望外のご好評をいただき,多くの方々にご愛用いただいて今日まで参りました。
 平成10年(1998年),本書の内容を補充する目的で『古今名方 漢方処方学時習』(青本)を,さらに平成15年(2003年)には,漢方医学の基礎理論と日常的な疾患や症状に対する漢方処方の選び方をわかりやすく説いた『弁証図解 漢方の基礎と臨床』(黄本)を出版,三考塾叢書三部作として完成させました。
 これらの活動に対しては,平成17年(2005年)富山市で開かれた第56回日本東洋医学会学術総会で日本東洋医学会奨励賞を授与されました。これもひとえに読者の皆様方のご支持のお陰と感謝いたしております。感謝の気持を表すうえで,何か皆様方のお役に立てるようなわかりやすい参考書はないものかと考えた末,平成20年(2008年)に『傷寒論を読もう』を,また平成28年(2016年)には『金匱要略も読もう』を東洋学術出版社より刊行いたしました。
 このような活動のなかで,本書も第59刷まで増刷を重ねてきましたが,最近「赤本を買いたいがどこの本屋にも売っていない」「赤本はどこで売っているのかサッパリわからない」などといったお叱りを少なからずいただくようになりました。かねがね私家版であるが故の限界と制約を痛感していたところでしたが,ちょうどそのような折,井ノ上匠社長のご尽力で東洋学術出版社に本書の刊行を引き継いで頂けることになりましたので,第60刷以降は東洋学術出版社より従来と同じ内容・体裁・価格で本書の出版を続けることができました。
 その間,増刷を重ねるごとに字句の誤りを正すのはもちろん,本版でも内容を今までよりわかりやすい表現に改定して,少しでも使いやすいように改良を加えて来ました。また,従来の「効能」の欄が「漠然として情報不足」というご指摘がありましたので本改訂版から「臨床応用」と改め,その処方の証によって起こり得る病名をいくつか例示するとともに,他の処方とも比較検討できるように症状・病名索引を設けました。いうまでもなく,これらの病名は適応症とは別のものです。今回の改訂にあたっては編集部の森由紀さんに多大のご尽力を戴いたことを深く感謝いたします。
 これからも『赤本』をご愛読・ご愛用のほどよろしくお願い申し上げます。
 

平成30年(2018年)大暑の日
東京虎ノ門の寓居にて 髙山 宏世


  
 

『経方医学6』 あとがき

 
あとがき


 当初,原稿を出版社に送った時点では,江部洋一郎も健在であった。しかし,2017年5月の急逝により,図らずもこれが遺作となってしまった。今となってみれば,自身の先行きを予感して,出版を急いでいたのかもしれない。
 あらためて見直すと,内容の濃淡,力の入り具合もいろいろで,あまりまとまり感はないが,それがかえって普段接していた者からすると「らしい」感じがする。言葉遣いも,読むためのものというよりは話口調で,強調したいところは繰り返しも多く,読むほうにしてみればくどいような部分もあるかもしれない。もし,講演など実際に話しているところを聞かれたことのある方は,その口調を思い出しつつ読んでみられるとよいかもしれない。
 経方理論はけっして完成されたものではないし,唯一の正解でもない。既刊の『経方医学』シリーズについても,最後まで手を入れようとしていたことが,残されていた蔵書の書き込みなどからもわかる。
 江部は師匠と呼ばれることを嫌っていた。漢方を学ぶ者は同志だと。なにかに盲目的に従うのではなく,それぞれが自分なりに考え,高め合っていき,ひいては全体のレベルアップにつながればよいという考えだったのではないだろうか。これからは,疑問があっても江部が直接答えてくれることはない。しかし,これまで得たものは惜しみなく与えてくれた。受け取ったほうがそれを踏み台にし,各人なりに消化し活用し,ひいてはそれを乗り越えることこそ,江部が望むところではないだろうか。
 今回も東洋学術出版社の方々には大変お世話になった。特に編集部の麻生修子氏には,見慣れないであろう手書きの原稿を活字に起こすところから,多大なるご苦労をかけた。江部独特の図も見事に出版に堪えるものに仕上げていただいた。深く感謝する。


2018年8月 送り火の日
蟬時雨の京都にて
宗本尚志



『マンガ 食事と漢方で治すアトピー性皮膚炎』 あとがき

 
あとがき


 私は、他の漢方の先生方と異なり、学生時代には、漢方に全く興味がなく、漫画倶楽部に所属してマンガばかり描いていました。研修医時代も漢方には興味がなく、「理論がわからない薬は使えない」と考えていました。しかし、あるとき先輩医師の基礎中医学の勉強会に誘われ、「基礎理論を学べば少しは使えるようになるかもしれない」と考えて、遅蒔きながら勉強を始めました。いまから約二七年前のことです。
 その後、小児科の外来をするようになり、アトピーの患者さんを多く診るようになりました。しかし、マニュアル通りに治療して、何とかステロイド軟膏が要らないようにしても、三カ月も経たないうちに、みな元の状態に戻ってしまう状況を見て、今の治療はあくまで対症療法のみで根本は治していないのではないかと考えるようになりました。
 そんなときに岡山のクリニックに移り、そこで北京中医薬大学大学院卒の甄立学先生とお会いし、漢方でわからないことはいつでも教えていただける環境に恵まれました。そこから大人のアトピー患者さんを治療する機会を得て、中医学の本を見ながら試行錯誤を始めました。皮膚の暗黄色・舌体の青色・腹の冷えなどのある患者さんは、ベースに「脾陽虚」があると考え、また顔の赤みは『傷寒論』の通脈四逆湯証の「戴陽」と判断して、乾姜・附子・甘草をスーパーで売っている白ネギと一緒に煎じて服用してもらったりしました。それでかなり効果はあったのですが、顔の赤みがすっかり取れるほどではありませんでした。中医が皮膚の赤みを取るのによく使う黄芩も混ぜてみましたが、少し良くなったり、逆に悪くなったりもしました。
 その頃から、全国的に有名な中医の先生方の勉強会に参加する機会を得て、生薬に対する知識が広がり、アトピーの治療成績が少しずつ良くなってきました。
 しかし福岡で開業後、アトピー患者さんの数が増えるにつれ、同じように処方しても治りが良い患者さんと悪い患者さんがいるのは、薬以外の要因が関係していると考えるようになり、その一番の原因は食事だと思い至りました。最初は患者さんに指導通りに食事ができているか聞いていたのですが、治りが悪い患者さんに限って「きちんと食事をしている!」と主張されるものの、皮膚や舌を診るととてもそうとは思えません。水掛け論をしても仕方がないので、一週間分の食事を写真に撮ってきてもらうことにしました。百聞は一見に如かず! 写真を見ると、患者さんがおっしゃることと、食事の内容が全く違っていたのです。もちろん患者さんを責めるつもりはありません。本人の認識と、医師の認識の違いを、写真で埋め合わせることができるとわかったのが収穫です。そこからは食事の指導と漢方薬で、アトピーの治療効果が急速に良くなっていきました。アトピーが「治った」といえるのは、食事の自己調節だけで症状をコントロールでき、漢方薬が要らなくなったときだと、自信を持って言えるようになりました。
 私のアトピー治療が上達したのは、尊敬する諸先生方のお蔭です。表面は冷やしても脾胃は冷やさずにすむ石膏の大胆な使い方は江部洋一郎先生から、「引火帰源」に必要な附子の重要性の確信は小髙修司先生から、麻黄の機能と使い方は仙頭正四郎先生から学びました。そして、最も大切な食事療法の重要性は甄立学先生からです。私自身、頑固な副鼻腔炎に悩まされており、手術をしても完全には治らず、風邪を引くたびに二週間は耳鼻科に通わなければならなかったのですが、それを完全に治してくださったのは甄先生です。私はピリ辛が好きで、風邪のときに温めるつもりでピリ辛を摂っていたのですが、「風邪のときは炎症を悪化させるピリ辛と肉は絶対に駄目です。野菜を中心に、日本料理のようなあっさり味にしなさい」と教えてくださったのです。その通りにすると風邪を引いても副鼻腔炎にならなくなり、後鼻漏もすっかり治りました。さらに鼻前頭管の閉塞も治り、飛行機に乗っても頭痛が起こらなくなりました。
 アトピー治療の本はたくさん出ているのですが、食事で治して、漢方で治るスピードを上げる考え方の本はあまり見かけません。またマンガで描いた方が広く読んでいただけるのではないかと考え、こういうスタイルにしました。食事指導の一環として患者さんに読んでいただくことを中心に考えましたが、漢方初心者の医師が適切な処方を選べるような内容にもしたつもりです。医療従事者、患者さん双方にこの本を役立てていただきたいと思います。
 最後に、プロのマンガ家で連載中にも拘わらず作画依頼を快く受けてくれた岡山大学漫画倶楽部の後輩・馬場民雄先生、今までと毛色の違う出版を引き受けてくださった東洋学術出版社の井ノ上匠社長、麻生修子さん、アトピーの漢方治療の要点を教えてくださった故・江部洋一郎先生、小髙修司先生、仙頭正四郎先生、そして食事療法の重要性を教えてくださった甄立学先生に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。


二〇一八年五月吉日 三宅和久




『中医臨床のための医学衷中参西録』 第3巻[生薬学・医論・書簡篇]  あとがき

 
あとがき
 
 《医学衷中参西録》もようやく最終巻として上梓することができた。本書は薬物講義・医論・書簡を中心とした内容で張錫純の最晩年に書かれ,臨床家のみならず教育者としての彼の実像を伺うことができてまことに興味深い。翻訳は池尻研治が行い,研究会の場で会員諸氏と討論を行った。はじめて張錫純に注目されて,実臨床でその処方を駆使された伊藤良先生は鬼籍に入られ,森雄材・竹原直秀・浜田富三雄諸先生ら一緒に討論をした会員たちも黄泉に旅立たれた。本文中では《素問》《霊枢》をもとに論じられた個所も多く,故・竹原直秀先生の訳書(未発表)を参考にした。当時の人びとの考え方や,手紙文に対する知識が不十分で,読みにくいところや誤解があることを危惧するが,間違いなどがあればご指摘をお願いしたい。物故会員を含む多くの会員,とりわけ東洋学術出版社の井ノ上匠社長はじめ関係者の方々の多大なる御協力で本書が完成できたことを心より感謝申し上げる。
 

『中医臨床のための常用生薬ハンドブック』あとがき

 
あとがき


 旧版を出版して30年が経過した。多くの読者を得るも絶版となって久しい。再版を望む声もあり,今回「新装版」として出版されることとなった。旧版のハンドブックという体裁を踏襲しつつ,蜂蜜を除くすべての生薬にイラストを加えるとともに基原を追加し理解のたすけとした。さらに細かな修正を加え使い勝手を改善した。
 以前に比べると漢方製剤を処方される方々は増加したが生薬1味ごとの匙加減についてはいまだにハードルが高いようである。本書が生薬処方の理解のたすけになれば幸いである。
 旧版は前会長・伊藤良のもと,森雄材が下原稿を作成し会員の討論修正で完成した。すでに物故者となられた両氏をはじめ,旧版成立に尽力された方々に心から感謝を捧げる。
 また,辛抱強くご協力いただいた東洋学術出版社の井ノ上匠氏にも深く感謝を申しあげたい。


神戸中医学研究会



『中医皮膚科学』 あとがき

 
編訳者あとがき


 私が中医学に出会ったのは30年前,1990年代の前半であった。同じ年に2回,北京と台中(台湾)で行われた研究会・国際学会に参加し,発表したことがきっかけであった。以降,北京東直門病院・天津中医薬大学第一附属病院(石学敏院長)で中医鍼灸を参観する機会を持った。また,昭和医科大学のリハビリテーション科初代教授・森義昭先生のもとに留学していた北京医科大学の先生などを北京に訪ねたりしているうち,周りの中国人朋友の尽力もあり,95年から96年まで上海に1年半の留学をする機会を得た。
 95年秋には,東京理科大学の山川浩司教授,東京薬科大学の川瀬清教授などの諸先生方と一緒に薬史学会主催の中国の漢方史蹟を巡るツアーに参加する機会があった。西安訪問の後,陝西省耀県に『千金方』で有名な孫思邈の生地を訪ね,最後に四川の成都でその地の中医学を見ることができたのは幸運であった。
 私は,80年代には,北里研究所附属東洋医学研究所の岡部素明部長の鍼灸部門に定期的に通って,東洋医学の鍼灸(経絡治療派)は習得していたが,留学中に中国鍼灸で学ぶものは少なくなかった。日本では,74年頃より日本医師会長・武見太郎先生のバックアップのもと,保険適用となる漢方エキス製剤が数多く出現しており,日本の医師たちは簡便なそれに頼っていた。しかし,私は中国で中薬を学習し,それを用いた包剤(煎じ薬)の使用を習得したいという希望が強かった。それで,当然,帰国後は漢方治療に煎じ薬を取り入れた。また,中医中薬理論・包剤理論・弁証方法の習得にも力を入れた。
 従来の西洋医学で治りの悪い患者に,伝統医学を応用して良い結果が出せるようになったのは,これらの技法を使うことができたからである。その後も,さらに技を極めたく,中国の本場の現代漢方・中医学を実地に見続けてきた。当初は,中薬の数の多さに圧倒され,珍奇な動物性のものや,虫類のものの有効性に驚くことが多かった。破傷風に対する玉真散の存在や,痙攣に対する熄風鎮痙の羚羊角(犀角)・地竜などの効きめなどを知った。
 さて,この『皮膚病中医診療学』(人民衛生出版社)の翻訳作業は,東洋学術出版社の前社長・山本勝嚝氏のお薦めで取りかかった。この本は中医外科がベースになっており,膠原病からエイズまで西洋医学の皮膚科の概念を超えて,難治性の内科疾患も扱っている。中医外科・皮膚科のはじめての本格的な日本語訳の書籍であると思う。翻訳に加えて編集作業も行い,内容の豊かさを企図した。欧文表記も追加したので,欧米にアピールするときに参考になると考える。
 読者には,日常の診療に弁証・弁病というアプローチを取り入れて,難病との格闘に大いに利用してほしいと思う。また,伝統医学に初心の医療関係者には「西学中」(西洋医が中医学を学ぶこと)の姿勢で取り組んでほしい。大陸では特に伝統医学を目指す若い西洋医をこのように呼んでいた。これから伝統医学の習得を目指す本邦の「西学中」の医師にとって,この書は皮膚科が専攻であるかどうかを問わず,中薬の使用法,組み合わせ(方剤)を思案するのに非常に有益な内容になっていると思う。
 この翻訳・編集作業にあたっては,中医翻訳家の田久和義隆先生にご協力いただき,多大な謝意を表したい。各論の翻訳については,当時上海中医薬大学に留学中だった宮本雅子さんと守屋和美さんにお世話になり,感謝している。
 皮膚科の専門的な部分に関しては,日野治子先生(元関東中央病院皮膚科部長・現特別顧問)にご教示いただき,感謝申し上げたい。
 古典の条文解釈については,東京世田谷・明正堂薬局の赤本三不先生(温知会)にご尽力をいただき,感謝申し上げたい。
 中国では,上海中医薬大学や浙江中医薬大学の諸先生方にお世話になった。特に朱根勝先生(上海中医薬大学国際教育学院)には多大なご指導,ご尽力をいただいた。
 最後に,ご協力くださった関係各位に厚くお礼申し上げます。


2017年4月
村上 元



『[新装版]中医臨床のための舌診と脈診』 あとがき

あとがき


 旧版の出版以来25年を経過し,本書は絶版となっていた。その間多くの医師・薬剤師が漢方薬を日常診療に用いるようになったが,多くは西洋医学的な病名から方剤を選ぶような使われ方がなされている。中医学は現代医学的とは異なる視点から疾患をとらえた医学であり,その診療のもととなるのは四診である。舌診・脈診についてまとめた本書は,多くの要望をいただき再版される機会をいただいた。
 中医学的な内容を中心とした記述は,細かな点以外は内容的に旧版から変更していない。あらためて目を通していただくことで,今後の診療の一助となれば幸いである。

 最後に辛抱強く改訂原稿をお待ちいただいた東洋学術出版社の井ノ上匠氏には厚く感謝申し上げたい。


2016年10月
神戸中医学研究会



『中医オンコロジー ―がん専門医の治療経験集―』 おわりに

おわりに


 あるとき,広安門病院の進修医制度を利用して勉強に来ていた肝臓内科専門の中国人医師と知り合いました。その医師は,「西洋医学では風邪すらろくに治す方法がない。だから俺はいい年して中医学を始めたんだ。だって治せなきゃしょうがないだろ」とぼやいていました。この話を聞いたときに,『皇漢医学』(湯本求真)の自序を思い出しました。
 「長女を疫痢のために亡(うしな)ひ習得せる医術の頼み少なきを恨み煩悶懊悩すること数月,精神ほとんど錯乱せんとするに至りしが,たまたま故恩師和田啓十郎先生著『医界之鉄椎』を読みて感奮興起(かんぷんこうき)し,はじめて皇漢医学を学ぶ」
 長女をなくして西洋医学に幻滅して漢方を志した湯本先生。これと同じような動機で中医学を始める人が中国にもいて,妙に感動しました。
 日本では,漢方医学は明治時代に否定されてしまい,医療の表舞台から消し去られていた時代もありましたが,そのようななかでも徐々に復活してきた経緯があります。どんなに虐げられようが,人間にとって必要なものは誰かが支え,伝えていくのだと確信しています。
 私は,近々留学生活を終えて日本に帰国する予定ですが,今後は日本でも中薬によるがん治療を積極的に行いたいと考えているところです。ただし,本書に記載した抗がん生薬のなかには,日本で医療用として使えない植物もあるため,日本で治療するときには,この中医オンコロジーの考えを残しつつ,実際の用薬は改変する必要があります。また患者の経済的負担を考えると,できれば医療保険でカバーできる生薬を使ったがん治療の可能性も追求しなければならないとも思っています。
 本書の出版にあたり,私を漢方医として育ててくださった寺澤捷年先生(元日本東洋医学会会長),中医腫瘍治療の基礎を指導してくださった広安門病院腫瘍科の朴炳奎教授・花宝金教授,遅々として進まない翻訳作業に辛抱強くつき合ってくださった東洋学術出版社の井ノ上匠社長,また丁寧な編集をしてくださった同社の麻生修子さんに感謝の意を表します。


2016 年7 月 平崎能郎



『中医臨床のための医学衷中参西録』 第2巻[雑病篇]

あとがき


 第1巻で傷寒・温病の外感病を扱ったのに続き,第2巻である本書では《医学衷中参西録》の中核である内傷雑病をとりあげた。神戸中医学研究会で本書の重要性をはじめに注目し,実際に使用してその有用性を認識し翻訳を指示されたのは伊藤良会長である。これを受けて翻訳は池尻研治が行い,すでに鬼籍に入られた森雄材・竹原直秀・浜田富三雄をはじめ,巻頭に名簿を記載した現在の本会メンバーで活発な討論を行い,啓発を受けてこれをまとめたのが本シリーズである。第3巻では教育者としての張錫純の姿がうかがえる書簡なども含みさらに興味は尽きない。


神戸中医学研究会


『臨床に役立つ五行理論―慢性病の漢方治療―』

あとがき


 五行説は,宇宙の森羅万象を理解し法則性を見出して体系化したもので,当初は医学とは無関係でした。しかし医業に携わる人も参加して,やがて五臓と関連付けられ医学的に検討されるようになっていったと推察されます。
 「五行理論を使って治療する」といいますが,人体のもつ臓器相関(神経性胃炎・脳腸相関・肝腎症候群等)が,たまたま五行理論の木乗土・水木相生などと,よく当てはまる部分があったため,というのが筆者の実感です。したがって五行理論のすべてを人体に当てはめようとするのは,暴挙であると考えます。しかし,逆に人の病態に五行理論を当てはめて考えることは,難治病への治療の糸口を与えてくれる可能性があります。
 たとえば,肝鬱・ストレス由来の疾患は人体において最も多くみられます。肝鬱をはじめ,相侮の肝火犯肺など肝鬱関連の五行理論に熟知しておくと,治療に非常に役に立ちます。ときには長期にわたる難治例がわずか2週間という短期間に著効することもあります。特にある臓の病気が,その臓に対する処方で治らないときには,五行理論を駆使すると簡単にその病気に適応する処方に到達することも多いことでしょう。先生方が五行理論を駆使して,難病治療に成功されることを祈って稿を終えます。お気づきの点がございましたら,ご教示いただけますと幸甚です。
 最後になりましたが,本書の出版にあたり,校正,ご助言,種々疑問点の相談にのっていただきました,アオキクリニック院長の二宮文乃先生,菅沼栄先生に,深謝いたします。
 また,御尊父,陸幹甫先生の考えをご教示いただき,種々ご助言いただきました,神戸中医学研究会の陸希先生に謝意を表します。さらに,五行理論についての忠告をいただきました,日本中医学会会長の平馬直樹先生に,深謝いたします。
 出版にあたり公私ともにお世話になった,東洋学術出版社社長の井ノ上匠様,会長の山本勝司様に深謝いたします。

筆者

『再発させないがん治療 ~中国医学の効果~』

 本文中に書かせていただいた老中医たち以外にも,多くの先人たちからたくさんのことを学ばせていただき,幸せな人生であったと感謝しています。外科医から中国医学を専門とする立場に変えるにあたり,家内や家族にも大きなバックアップをしていただき同じく感謝に堪えません。
 近年は特にがんをはじめとする難治性疾患の治療にその重点を置き,いまだ不十分ながら,それなりの効果を上げることができていると感じています。がんの種類別に解毒系生薬と温裏薬を配慮することは必要なことで,本書ではその一端をお示しすることができたと思っています。
 ただ,生薬の市場価格が非常に高騰してきており,もっと国内生産を増やす方途を取っていかなければ,今後,生薬での治療は困難になるばかりと思われます。縁ある若い方たちが大分県や茨城県で漢方生薬の栽培に成功しており,今後いっそうこういう動きが増えていくことを期待したいと思っています。


2015年1月
著者

中医臨床のための温病学入門

あとがき


 旧版『中医臨床のための温病学』を上梓して21年余りの歳月が過ぎ,執筆の中心となって活躍された森雄材先生が逝去され,当時の下原稿を分担した会員の三澤法蔵,竹原直秀各先生も鬼籍に入られました。今回,新版を上梓するにあたり旧版の担当の一員であった池尻研治が全体を見直し図表などを加えて下原稿を作成した後,現在の会員で討論し,校訂を行い本会所属の中医師・林賢濱および会員で再度校正を行いました。まだ,不足や誤りがあることを危惧しております。気づかれたことはご遠慮なくご指摘下さい。
 本書が読者諸兄の身近に置いていただき,日常診療に少しでもお役に立てることを願います。


  2014年2月

神戸中医学研究会  

〒651-0087 神戸市中央区御幸通6-1-31 
フキ三宮ビル 5階 
TEL/FAX 078-222-0509 


問診のすすめ―中医診断力を高める

総括およびあとがき―問診から四診を構築する


 師匠である梁哲周先生がお亡くなりになる。私にとって恩人であり,未だ鍼灸界の末席に居られるのは師匠のお陰だと思っている。
 その師匠が生前教えてくれたことの1つに「問診から三診を規定する」という臨床上達法がある。
 日本は中国の臨床現場と比べ,指導教官が手取り足取り教えてくれるという環境にない。あれば幸運と言わざるをえない。きわめて少ないのが現実である。薬剤師や鍼灸師ならなおさらそうだろう。本を読み,勉強会や講習会に参加しながら,現場ではひとり,悪戦苦闘する姿が目に浮かぶ。
 脈や舌のどこまでの範囲をその概念に収めるかは,なかなかに難儀な作業といえる。舌質紅や脈細の切れ目をどことするのか?
 師匠は,その指導教官の役割を問診にもたせろと言われた。
 まず問診の精度を高める。その問診で仮説の証を立てる。その仮説の証とほかの三診を比べてみる。そこに整合性を見いだす。その実際を通した思考訓練の集積から,脈舌などの範囲規定が見えてくる。舌紅かどうかの微妙な境界線でも,問診で熱証という解が確実に得られるなら紅としてみよ,ということであり,問診を論拠にほかの三診の精度を上げる学習法である。それを繰り返せば,短期間のうちに三診が上達し,老中医のように脈診から入る診察法も可能になる。つまり本書は,常に湯液・鍼灸を含めた漢方界のレベル向上を意識しておられた師匠の意に沿ったものであり,ひとりで悪戦苦闘する臨床家のサブテキストとして,机の片隅に置いてもらえれば本望である。
 弟子として,この書を師匠の霊前に捧げたい。

「証」の診方・治し方-実例によるトレーニングと解説-

あとがき


 この本の元となった『中医臨床』誌の「弁証論治トレーニング」コーナーはもう75回になりました。この間,大勢の読者に深い関心をもって愛していただいたこと,東洋学術出版社が重要なコーナーとして全面的に支援してくれたこと,そして私たち執筆者もそれに応えて努力したことから,順調に回を重ねることができました。まず執筆者の立場より,熱心な読者と,出版社の山本会長,井ノ上社長,編集者の森由紀さんおよびその他の協力者に心より感謝します。
 弁証論治は中医学の歴史と発展の結晶であり,中医治療学の精髄です。長年の弁証論治の実践は中医学の存在意義と価値を表しています。その意義と価値は次のとおりです。まず,弁証論治は中医学の全人観によって人間の疾病を観ます。そして,望・問・聞・切の四診および耳診・爪甲診・人中診などの特殊診察法により,病気のすべての情報を把握し,確実な疾病の情報によって証を立て,それに対する治療を行います。これは「頭痛医頭」「足痛治足」の局所療法から脱却し,患者の体質改善と病気の治療を含んだ,全面的かつ根本的な治療ともいえます。特に生活習慣病が多発している現代の高齢社会に対して,弁証論治は重要かつ現実的な意義があります。これに対して,西洋医学の診療は病気の原因を細胞・DNAのレベルまで追求し,異常があれば治療します。しかし,異常がみつからない場合,ほとんどが「要観察」のまま放置されることが多いです。そのような半健康者(症状はあるが,検査すると異常が認められない)に対し,弁証論治では積極的に治療することができます。このような西洋医学的治療の不足を補完できる中医弁証論治の治療価値は今後ますます証明されていくことでしょう。
 本書で紹介している症例は75回分の「弁証論治トレーニング」コーナーからの抜粋です。紙面には限りがあるため,一部の症例は割愛せざるをえませんでしたが,これについては続篇に期待していただきたい。本書は症例を中心にして,臨床応用・病因病機・弁証理由・治療原則・中薬・方剤・経絡・経穴・手技など多岐にわたってわかりやすく解説をしているので,読者の理解と学習の一助になることと思います。中医弁証論治のトレーニングはこの本から始まります。これからもより多くの読者が弁証論治を熱心に学んでいかれることを心より祈っています。そうすることで日本における本格的な中医弁証論治は深く根付き,きれいな花を咲かせ,大きな実を結ぶことでしょう。

2012年夏 呉澤森


 季刊『中医臨床』「弁証論治トレーニング」コーナーは1994年からスタートして,今年で75回を超えました。
 私はコメンテーターのひとりとして,1995年の第6回目からこのコーナーを担当させていただきましたが,正直にいえばこれほど長く続くとは想像さえしていませんでした。この間,日本語の微妙な表現の難しさに悪戦苦闘することもありましたし,日本と中国の事情の違いを深く考えなければならないこともありました。しかしながら,日本全国の多くの読者の方々の中医学を学ぼうとする情熱に励まされ,また支えられて今日まで続けてこられました。全国の読者の皆さま,特に忙しい仕事の合間を縫って,一つ一つの出題症例に対して,真剣に分析しながら「弁証」と「治療」へのアプローチをしてくださった方々には,感謝の思いでいっぱいです。皆さまの貴重な投稿により,一つの病案に対してさまざまな観点からのアプローチができ,コーナー自体もよりダイナミックに展開することができました。心より感謝しています。また,長年の間,中医アドバイザーの場所をご提供くださり,コーナーへ症例提示のご協力をしてくださった日本漢方大家の桑木崇秀先生,菅谷クリニック院長の菅谷繁年先生,吉永医院院長の吉永和恵先生をはじめ,多くの諸先生方にもこの場をお借りして心より感謝を申し上げます。
 医学書で得た知識を自らの臨床経験に変えていくには,絶えず訓練や実践を繰り返さなければなりません。その点からいえば,このコーナーは「畳の上の水練」かもしれませんが,一つの練習の場として深い意味があります。しかし,実際の臨床では,症状の真偽もあり,証の挟雑や変化などもあるので,弁証と治療は,一筋縄ではいきません。過去にまとめた症例を振り返ってみると,まだまだ私の経験不足のために弁証も治療も十分でなかったと反省するところがいくつもありました。ゆえに症例に書かれた弁証と治療は,絶対のものとはいえません。あくまでも,実際の現場ではどのように弁証論治を進めればよいか,どのように臨床力を高めればよいかと思い悩む方々に,少しでも思考のヒントになってくれればと思っています。
 今回,東洋学術出版社の井ノ上匠社長と編集の森由紀さんのお力により,「弁証論治トレーニング」で発表した症例のなかから臨床でよくみられる30症例を選び,若干の修正とわかりやすい図表を加えて,新たに本として上梓することになりました。皆さまの臨床の参考としてご活用くだされば幸いです。まだ不十分なところに対して,ご批判,ご鞭撻をいただければ幸いです。

2012年夏 高橋楊子

『漢方診療日記―カゼから難病まで漢方で治す―』

あとがき
 

 「詩においては『孤絶』を尊び、学問の道は『孤詣独往』を尊ぶ。ひとり雲山万畳の奥まで道を極める」
 漢字学の泰斗、白川静先生の言葉です。伝統医学を学ぶうえでも例外ではありません。経方、後世方、中医学の学術思想を学び、優れた先達に倣うことは基本的な姿勢ですが、患者さんを前にして、一つの思想に固執するわけにはいきません。漢方治療に垣根はないのです。「スッタニパータ(仏陀のことば)」にも、「犀の角のようにただ独り歩め」とあります。臨床家は、その時々で苦しみ悩み、最後は自分自身の責任で最適と信じる学術治法を追求するしか道はないでしょう。
 二〇〇二年十二月(『中医臨床』冬号)から連載が始まった「私の診察日記」は、このような気持ちに立って、臨床の現場で悪戦苦闘した記録です。あらためて振り返って視ると、一つ一つの情景を思い出し感慨深いものがありますが、同時に当時の私の思考回路と古典解釈に対し、今では乖離や錯誤を覚えるケースがないわけではありません。しかしその時々の臨床記録として、今回の書籍化にあたって敢えて訂正は加えませんでした。どう考え、何をしたのかという事実は、変わらないからです。
 執筆に際しては、できるだけ漢方治療における私自身の思考回路と、治法選択の根拠を記載することに努めました。また同時に読者が一緒に診察に参加できるように、診療風景の情景描写に意を注いだつもりです。
 本書の出版にあたり、妻の厚子、親友の法橋正虎氏(思想史学者)、同朋同行の坂井由美さん(編集部)、山本勝司前社長(会長)、井ノ上匠社長を始め多くの皆様のご協力に、深く感謝いたします。

二〇一〇年三月

  

風間 洋一 

『[実践講座]中医弁証』

訳者あとがき

 医学の最も基本的な目的というのは一体何でしょうか? それは病気で苦しんでいる方々が,少しでも楽になれるようにお手伝いするということではないでしょうか。では,その目的を達するために最も大切なことは何でしょうか?それは患者さんの疾患の原因を正確に把握し,それに従い正しい治療方針を選択し,治療できる能力だと思います。
 みなさんは,そんなことは至極当たり前のことであり,取り立てて言うほどのことではないとお考えかもしれません。しかし,この当たり前のことを実践するのは,実は非常に難しいことではないでしょうか。
 こういった能力は,けっしてすぐに身につけられるものではなく,ある程度の経験を積まなければ,なかなか手に入れられるものではありません。しかしそうなると,患者さんは経験豊富な「老中医」ばかりを頼りにし,若い中医師の経験の場は,益々少なくなってしまうことにもなりかねません。
 では,臨床研修中や大学を卒業したての中医師は,どのようにしてこの経験の場を勝ち取ればいいのでしょうか?

 本書『[実践講座]中医弁証』は,中医学の初学者に,擬似臨床の場を与えてくれる,ユニークで新しいスタイルの良書です。本書には,付録の「症例トレーニング」も含めて,200近い症例が収められています。しかも本篇部分は,医師と患者との問診のやり取りが記載されており,会話の途中で解説を交えているので,患者さんの話をどのように受け取るか,また,問診に対しはっきりした答えが返ってこない場合には,どのように聞き出したらよいか,ということまでわかるようになっています。
 さらに,中医入門者の方にもわかりやすいよう,中医独特の言い回しはできるだけ簡易な日本語に直し,把握しておいたほうがいいと思われる中医の専門用語については,井ノ上匠氏を始めとする東洋学術出版・編集部のみなさまのご意見もうかがい,巻末に「訳者注釈」としてまとめてみました。
 このように,新任医師も,本書を通してある程度の経験不足をカバーできると訳者は確信しています。本書が中医学を勉強する医師の方々にとって,少しでも経験を積むお役に立てることができたなら,訳者にとってこれ以上の幸福はありません。

 訳者は何分にもまだ翻訳経験が浅く,不十分な部分も多々あるかと思います。諸先輩方のご指摘・ご指導をいただけましたら,非常に光栄に思います。
 最後に,私のようなかけ出しの者に,本書の翻訳という大役を授けてくださった,東洋学術出版社の山本勝司社長にこの場をお借りしてあつく御礼申し上げます。そして,本書の翻訳にあたり多大なご協力をいただいた,山東中医薬大学の諸先生方および「同学」のみなさま,また,本書の翻訳を薦めてくださった,同じく山東中医薬大学の留学生・八木誠人さんにも心より感謝申し上げます。また,翻訳期間中(それ以外にも)いろいろな方面から支えてくださった,私の周囲のすべての方々に,この紙面をお借りして心より御礼申し上げます。

2008年4月14日
山東中医薬大学にて 平出 由子

 


脈診

あとがき

 自分なりに得た脈診のコツや考え方を,呼泉堂の白川徳仁先生に話したところ興味をもってくださり,ぜひ一冊の本にまとめてみなさいとアドバイスされたことが始まりでした。
 その後,できあがった原稿を持って,約15年にわたり指導を受けている上海中医薬大学の何金森教授のもとに,2年の間に4回上海へ行きご指導を受けました。その間に受けた的確な指摘や懇切丁寧な指導があったおかげで,本書が読むに堪える内容となりました。
 出版については,白川先生が熱心に東洋学術出版社の山本勝曠社長へ働きかけてくださり,山本社長のご快諾を得ました。これも日頃から中医学普及に情熱を傾けておられる白川先生の無私の行為と感謝しております。
 また一介の針灸臨床家である私の原稿を,出版決定された山本社長のご決断に感謝しております。「中国伝統医学を現代にいかす」という東洋学術出版社の一助になれたことと,たいへんうれしく思っております。

2007年11月吉日

  山 田 勝 則


中薬の配合

訳者あとがき

 中医学という世界は,とてつもなく広い世界です。しかし,その広さをよく知っている人は,専門家の中にも,そう多くはいません。とにかく広すぎるので,ちょっとやそっとでは,知ることができないからです。そしてこの本は,中医学の広さを垣間見せてくれる,すばらしいガイドといえます。
 ためしに,巻末の「方剤索引」を見てみてください。おそらく聞いたこともない方剤が,ごろごろしているはずです。それは,訳者である私も同じでした。この本には,中医薬大学を卒業したとか,長年臨床に携わっているとか,そういうことだけでは知りえないことが,たくさん書いてあります。自分で興味をもって研究を続けない限り,こういう事柄を知ることはできません。
 そしてこの本の著者である丁光迪先生は,そうした努力をずっとつづけてこられた方です。また丁先生には,その膨大な知識を裏づける,長年の臨床経験もあります。さらにベテランの教授でもある丁先生は,何をどう伝えるべきかということも,知り尽くしていました。つまりこの本は「丁光老をおいて,ほかに誰がこれだけのことを語れるだろうか」という,20世紀中医界における大偉業なのです。つたない翻訳ではありますが,日本で中医学を学ばれる方にも,ぜひこの貴重な内容に触れていただきたいと思います。
 また学問や文化が発展するには,傑出した学者や芸術家がいるだけでは足りません。例えば明代以降の江南文化の知識は,かの大出版業者・毛晋(汲古閣楼の主)の功績によって普及したともいえます。江南文化における汲古閣のような役割を,日本の中医学の分野で果たしてきているのが,東洋学術出版社であると私は思っています。丁先生の本を日本で出版するということも,まさにその慧眼ぶりを証明するものです。
 このすばらしい仕事に,私も訳者として関わらせていただいたことを,たいへん幸せに,また光栄に感じています。自分が適任であるなどとは思いませんが,能力の限り努力させていただきました。そして最後に,同じ道を歩む「ひよっこ」として,丁光迪老師に心の底から尊敬の念を示させていただきます。
    

小金井 信宏
2005年8月

内科医の散歩道―漢方とともに

東西両医学を実践する山本君

 畏友「山本廣史」君が『野草処方集』に続き第二冊目の随筆集を脱稿し、発行前に読ませていただく光栄に浴した。我々医学を業としている者にとっても、なかなか解り辛い漢方医学を、平易な文章で素人にも理解できるように記述している。このような作業は東洋医学・西洋医学の両方を深く理解し会得した者にしかできない技である。
 山本君は九州大学農学部在学中に、エリート公務員への登竜問である国家公務員上級試験に合格した俊才であるが、昭和三十五年農学部卒業と同時に九州大学医学部に編入学してきた。それ以来、既に四十年間公私にわたり厚誼を頂いている友人である。医学部在学中は出版部に属し、しばしばきらりと光る随筆を同窓会に寄稿し、名文家として知られていた。
 医学部を卒業してからの数年間は心臓病の臨床研究(特に心音図や心エコー図)で頭角を現し、若手研究者として学会の注目を集めた存在であった。しかし、心身の限界を超えた過酷な生活で体調を崩したのをきっかけに、分析的合理主義の現代西洋医学に疑問を持ち、中国伝統医学に傾倒していったようである。数年間にわたる苦悩の中で、食養、運動、心の鍛錬の大切さを身をもって体験し、彼独特の疾病観を確立したのである。
 本稿を一読されたら直ぐにお解りのように、彼の暖かい人間性に裏打ちされた繊細で鋭い感性により描き出される人間像は、積極的に生きようとする人々に対する讃歌である。農学士であり熟達した臨床医でもある彼の薬草に関する知識は広く深い。著者のように伝統中国医学と現代西洋医学のそれぞれの長所と短所を熟知し、中西医学統合を実践している医師は極めて限られている。本書は私たちの身近にある自然の恵みの偉大さを再認識させるだけでなく、現代医学のアキレス腱を気付かせてくれるであろう。

九州厚生年金病院院長
菊 池 裕
平成十二年十一月三日



共に漢方を学ぶ仲間として

 山本廣史君のエッセイ集を読ませて頂いた。山本廣史君と私は九大医学部の同級生で、当時から彼は出版部に属して『九大医報』という雑誌の編集に熱心に取り組んでいた。文字に慣れ親しむのはずっと昔から彼に備わった才能だったに違いない。
 卒業後は彼は循環器内科、私は精神科に進み、その間無給医闘争や大学紛争を経て、再び巡り会ったのは九漢研という漢方の研究会であった。大学を卒業して十年過ぎたあたりである。熱意を以て西洋医学に殉じていたものが、ふとその西洋医学に懐疑的になる瞬間がある。一物質一機能という要素還元主義に行き着くからである。漢方という東洋医学では生命体を単に部分の集合体とは考えない。また、逆に部分はその中に全体を含むと考える。だから漢方治療は常に全体療法になる。
 話がずれそうになるので彼のエッセイ集に戻るが、彼はニガウリやスイカや枸杞の話をしながら実は人間の持っている自然良能、自然治癒力がどんなに素晴らしいものであるかを彼、山本廣史君が患者さんを通じて実感していった過程を我々読者に伝えたいと願っているのがわかる。更に云う「天は自ら助くる者を助く」と。自然良能、自然治癒力が自分の努力次第で実っていきもすれば廃れてしまうこともあると。このことは、目先の快を追い求める現代の風潮に対する彼流の警鐘でもあり、読者の健康な精神感覚に訴えるもの大であろう。
 彼はこのエッセイ集の中で自分が消耗性うつ病にかかり、不眠に悩み、体重が十キロも痩せたと書いているが、海や山の自然に親しみ農作業に親しんで病気から生還した自然良能の貴重な記録を残した。この故に彼の消耗性うつ病について多少なりとも知っている者にとっては彼自身の完全復活を示す自伝的な意味合いをこのエッセイ集に感じるのである。
 ともあれ、薬草について、優しい口調で語りかける内容は、中身は濃く、サボテン体質や水草体質などユーモラスでしかも本質を突いているので、読んでいて楽しい本になっている。原稿用紙を前に万年筆で文章を書くのが何よりの楽しみと常々話してくれているので、気の早い話であるが次作も楽しみにしている。

日本東洋医学会九州支部長
後 藤 哲 也
平成十二年十一月三日


中医伝統流派の系譜

あとがき

 このたび、東洋学術出版社の山本勝曠社長と戴昭宇先生、翻訳家の柴崎瑛子女史の協力により、『中医伝統流派の系譜』を出版する運びとなったことは、喜びに耐えないところである。
 今日、中医教科書を中心とした中医学が急速に日本に広まりつつあることは、中日文化交流史上特筆すべきことである。ただしここで注意しなければならないのは、教科書を規格化し、基礎理論を偏重して教習することに拘泥するあまり、ややもすれば個性豊かな中医学の生気と活力を損いかねないということである。教科書とは、しょせんは初心者のための入門書にすぎず、中医学という宝庫を発掘整理するためには、伝統的中医学を総合的に理解し、さらなる知識と対応能力を獲得する必要がある。つまり、中医学の発展史を理解していなければ、中医学の今日と明日を見定めることができず、古代の名医たちの個性的な書籍を読まなければ、伝統的中医学の多彩な世界に接することができないということである。同時に、各流派の長所と短所を理解することができなければ、最善の道を選択し、真実を究明することができないのである。
 最後に、本書の出版に際し激励してくださった、順天堂大学医史学研究室の酒井シヅ教授と、北里東洋医学総合研究所医史学研究部の小曽戸洋医学博士に感謝を表すものである。また翻訳にあたって貴重な助言をいただいた戸田一成先生、および心からの友情で私の活動を支援してくださった、東京臨床中医学研究会の加藤久幸先生と平馬直樹先生にも感謝の意を捧げたい。多くの人々の心血と友情が注がれた本書が、中日両国の医学交流に寄与せんことを心より希望するものである。

南京中医薬大学教授
黄 煌
二〇〇〇年八月二十日 東京日中友好会館にて

経方薬論

あとがき

 江部の書き貯めていたノートを元に和泉正一郎・内田隆一が内容、文章などを討議して作製した。
 内容的にはまだまだ未熟な部分も多いとは思うが、新たな世紀へ向けての漢方の本草書の発展のためのたたき台になることを期待する。
 なお、数回にわたるノートからワープロへのめんどうな転換作業は、株式会社ツムラの宗形透氏に担当していただいた。
 また、生薬の実際の知識、流通状況などについては、栃本天海堂の小松新平氏の意見を参考にした。両者に感謝の意を表す。

著 者



経方医学1―『傷寒・金匱』の理論と処方解説

あとがき

 この第一集は,1993年6月より1年余り続いた病院内におけるごく少人数の勉強会で,江部が話した内容を基本的に再現したものである。日常の臨床業務ゆえに,作業は遅々として進まず,多くの方々に御迷惑をかけたことを謝らねばならない。ただ遅延した分,それ以後明確にした概念や見解を付け加えることができた。
 話を文章化したという性格上,内容に繰り返しや精粗があるのは避け難いこととして御承知いただきたい。第二集以降は,ノートをベースにして処方解説を行う予定である。第二集は桂枝湯類と麻黄湯類を扱う。

 終わりに,本書の構想に御理解を示し,暖かい御援助のみならず,序文までもいただいた安井広迪先生に深湛の謝意を表したい。またテープをおこしていただいた内田隆一君(当時長崎大学医学部),小林慎治君(当時九州大学医学部),ならびに佐賀医科大学の学生諸君に感謝するとともに,際限なく遅れる原稿に編集の労を取られた東洋学術出版社の山本勝曠氏に御礼申し上げる。

著 者


老中医の診察室

あとがき

 一九七八年の夏から秋にかけて、『上海中医薬雑誌』を復刊させるための作業を仰せつかった。そのころ、中医学の治療に関心を寄せている老作家が、数多い難病の治療過程を物語風にまとめて連載してはどうかという提案を寄せていた。必ずや読者から愛読されるであろうと太鼓判を押すのである。これはいい案だと思い、さっそく構想をかため、作者の物色にかかった。そして各方面からの推薦を受けて、柯雪帆君との面識を得た。彼は快く引き受けてくれ、さっそく執筆に入った。こうして『医林?英』は『上海中医薬雑誌』の復刊とともに連載され、広範な読者にお目見えしたのである。
 『医林英』が発表されてからというもの、読者の反響は予想外に大きく、雑誌があまり出回っていない地方では、手書きした「写し本」が次つぎに回覧されるというエピソードもあった。そして、第八回が連載されたころには優秀科学普及作品賞を受賞したのである。しかし、一方では学術誌に小説風の文章を連載するのは妥当ではないとの異論もあった。一つの事物をめぐって、異なる意見が存在するのは当然のことと思う。それが正しいかどうかは実践のなかで試練を受け、読者が評価すればよいのである。先ごろ、外国における科学技術書の出版事情を視察に行った同業者の話によれば、外国の学術誌の中にも、科学技術関係の読物が掲載されているということだった。
 学術誌には難しい長編の論文が掲載されるのは当然であるが、そうした形式にとらわれることなく、エッセイ、対談、書信、随想録のような、さまざまなスタイルの小品を載せてもよいのではなかろうか。   中医学は文学、史学、哲学と密接なつながりをもっており、歴代の中医学者のなかには、医学と文学に長けた者も多く、中医学の著作には、医理と文理が一体化しているものが少なくない。この種の書籍は医学の論述であると同時にすぐれた作品でもあり、中医学の特色をそなえていて、読者の評価も高い。『医林掇英』の成功は、作者が医学と文学の面で高度のレベルを有していることと切り離すことはできない。
 作者の明堅は、本名を柯雪帆といい、上海中医学院一九六二年の第一期卒業生である。先ごろ助教授に昇格したが、彼は同学院に残った同期の卒業生のなかでは、最初の助教授であり、上海中医学院傷寒温病教研室の副主任でもある。私たちは編集者と作者という立場にあって、互いに尊重しあい、意見を交しながら思考し、知識を補い合いながら、楽しく作業を続けている。これも一筆つけ加えたくて記した次第である。

王 建 平
一九八二年夏 上海中医薬雑誌社にて


中医弁証学

訳者あとがき

 今日,日中伝統医学の交流は大変盛んになっていますが,中医学の真髄を自家薬篭中のものにしたと言える人は,まだまだ少ないのが現状ではないかと思います。
 中医基礎理論や中医診断学を学習した人で,臨床の場でどうしても今ひとつうまく弁証ができないとか,どういう手順でアプローチすると,よりうまく弁証ができるのかとか,弁証を確定する上で何か決め手となるものはないのだろうか,といった問題にぶつかって悩んでおられる方が多くおられるようです。
 弁証論治という手段を持ちながら,我が国ではまだ病態把握の普遍性が確立していない。つまり中医学の特長を臨床に生かしきれていない人が多いのではないでしょうか。実際の診断過程で,臨床家は四診によってさまざまな情報を得ています。一般に主症状と随伴症状という言い方をしますが,患者の主訴自体が,患者の証を表現しているとは限らないのが,臨床の難しいところだと思います。四診を行う場合に,目的を持たずにただ症状・所見を収集しているだけでは,なかなかうまく弁証ができません。錯綜する情報の中から,何を選択し,それを弁証論治に結びつけるか。言い換えれば,弁証論治に必要な情報をいかにして患者から引き出すか,というのが中医臨床家の腕の見せ所なのです。
 症とは何なのか。すべての症を同一レベルであつかってよいのだろうか。証ははたして任意のいくつかの症の組み合わせなのか。症と証と病機の関係はどうなっているのか。弁証のポイントをどのように把握すればよいのか。証を鑑別するポイントは何なのか。本書はまさにこのような問題を解決するために執筆された教材です。
 本書の特徴は,実際の臨床において証を決定する上でまさに必要とされる弁証のポイントを明確に提示していることにあります。初学者にとっても,非常にわかりやすい内容となっています。また証を静止的に固定的にとらえるのではなく,時間的推移のなかで証がどのように変化していく可能性があるのか,他にどのような影響を与える可能性があるのか,証と証の関係はどのようになっているのか,類似した証の鑑別ポイントは何なのか,について明確に提示しており,立体的に証が把握できるように工夫されています。
 我が国での中医学の現状は,中医学を学習した多くの人が基礎段階を越え,臨床応用の段階に入っております。そうした時だからこそ,臨床カンファレンスの出来得る共通の土壌を設定するために,この『中医弁証学』の一読を是非お勧めしたいと思います。
 かつて,老中医達の診察を見聞きしながら,彼らのダイナミックな弁証論治と,患者から情報収集する際の非常に繊細な技術に感銘をうけたことがあります。問診のコツと言うべきものは,決して30~40年の臨床を経なくても,本書の内容を理解すれば,必ずや読者諸兄のものになると確信いたしております。

兵 頭 明

医古文の基礎

編訳者あとがき

 平成11年8月の日本内経医学会の夏期合宿において、『医古文基礎』の訳出が会の事業として決められ、そして一両年を目標に訳出するように協力者に依頼した。同年11月、当時会長であった島田隆司先生が病に倒れたので、協力者にピッチをあげるようにお願いした。その結果、翌春には訳稿が揃い、荒川が文章を調整して、6月中旬には初稿が完成した。これを島田先生に報告すると、大いに喜ばれ、「東洋学術出版社に話は通しておいたので、山本社長に相談しなさい」と指示された。その2カ月後に先生は他界されたが、初稿だけでも見ていただけたことは本当によかったと思う。その後、荒川と宮川とで原稿を何度も直し、最終稿ができたのは平成13年8月である。その間に往復したA4の用紙は積み上げると50㎝(約5,000枚)にもなった。これだけ大変な事業だとは思いもよらなかった。

 本書の訳出の担当分野は次の通りである。


 第1章  第2章  第3章 工具書 句読 語法 宮川浩也(日本内経医学会) 左合昌美(日本内経医学会) 左合昌美(日本内経医学会)
 中編の「語法」に下編の「常見虚詞選釈」を組みいれたために、本書の「語法」は全体の4割超の分量となった。「句読」と併せるならば、本書の約半量を左合氏が訳出したことになる。
 第4章 訓詁 さきたま伝統鍼灸研究会
 さきたま伝統鍼灸研究会(石田真一代表)が、平成11年度の取り組みとして本章の翻訳を試みたものである。まったくの初心者が、新たに中日辞典を買って、一字一字調べ、悩み苦しみながら生みだしたものである。最終的には宮川が文章を整理したが、現代中国語が読めなくても、根気強く学習すれば、ある程度は形になるという格好の例になった。飯島洋子・石田光江・金子元則・田中教之・田中芳二・中倉健・原口裕樹・原口裕児の諸氏である。ここに名をあげ、賛美の辞にかえる。
 第5章  第6章 音韻 目録 山本朝子(日本内経医学会)  田中芳二(さきたま伝統鍼灸研究会)
 さきたま伝統鍼灸研究会の田中氏が、「訓詁」翻訳の余勢をかって「訳してみたい」と積極的に挑戦したものである。氏は現代中国語にある程度馴れていたが、目録学の(たとえば書名や人名の)知識は皆無に等しかったので、翻訳するのは相当大変であったと思う。それでも、最後まで果敢に挑戦してくれたのには敬服に値する。
 第7章  付 章 版本と校勘 漢字 小林健二(日本内経医学会)  荒川緑(日本内経医学会)
 本書を読者に近づけるため、奈良の寺岡佐代子さんに目を通していただき、一般的な読者からの視点をご教示頂いた。さらに、神奈川県視覚障害援助赤十字奉仕団の大八木麗子さんには、朗読ボランティアの立場から細やかなご指摘を賜った。  本書は、井上先生の講義に萌芽し、島田先生によって出版化へと動きだし、そして多くの協力者の手によって完成した。故島田先生には本書を捧げ御冥福を祈る次第であります。本書が多くの方々の目に触れる機会を得ることになったのは、何より、東洋学術出版社の山本社長のご高配、ご支援によるものであります。感謝申し上げます。

宮 川 浩 也
2001年8月10日 島田隆司先生の命日に