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『傷寒論を読もう』

あとがき       

 漢方はよく『傷寒論』に始まって、『傷寒論』に終わるといわれる。これは漢方の学習においても臨床においてもいえることで、私自身の漢方学習も大塚敬節先生の『傷寒論講義』から始まり、その後の三考塾でも毎回行われている寺師睦宗先生の『傷寒』『金匱』の講義を、すでに何回も繰り返し聴講している。臨床の場でも最初に覚えたのは葛根湯や小柴胡湯などの『傷寒論』の処方であったし、また中医の処方を使う機会が増えても、いつも「この処方の方意は『傷寒』『金匱』ではどの範疇に属すのか」ということを常に考える習慣が身に付いていた。
 張仲景の『傷寒卒病論集』がはじめて世に出たとき、おそらく当時の人々に大きな感激と期待を与えたであろうことは想像にかたくない。人々はこの活人済世の福音書ともいうべき十六巻の内容を先を争って写本し、その教えは速やかに世に広まり強烈な影響を与えたことであろう。しかし戦乱の世である。その原本はわずか五十年後には亡失したそうである。
 それ以来、およそ医を志す者にとって、一度はこの世に医術の真髄を体現してみせた『傷寒卒病論集』の原本を再びこの世に甦らせたいということが共通の悲願となった。歴代一流の学者たちが心血を注いで原本を復元しようと努力していくうちに、それぞれの時代の医学理論と実践を積み上げて、最高の臨床医学体系が作り上げられ、時代とともに継承された結果、出来上がったのが今日伝えられる『傷寒論』であり『金匱要略』であると考えられる。換言すれば各時代のエネルギーと精華を吸収し尽くして成長し完成した『傷寒』『金匱』であるからこそ、時代を超えて常に漢方医学の聖典として強い光とエネルギーを放ち続けるのであろう。
 そのような『傷寒論』を学べば、とりもなおさず漢方医学の精華と真髄を修得できるはずであるが、ただ講義を聴いたり本を読んだりするだけでは、どうもいまひとつ曖昧な部分が残り、自分でも『傷寒論』を理解できたという実感が得られなかった。そこで勉強してわかったことを逐一自分の言葉で書いてみたら、どの程度に理解できているのかよくわかると思い、約十年前から少しずつ書き始めた。その作業のなかで、それまで気がつかなかった発見が少なからず得られた。その中の一つは『傷寒論』の条文はただ漫然と書き連ねられているのではなく、読者の理解の流れを妨げないように十分配列に工夫が凝らされているということであった。例えば互いに関連のある条文同志が隣接して配置されるのは当然であるが、次にそれに対比する概念や変証などへ主題が移行するときの巧みさ、次の篇に移る前の伏線の配置など、現代でも十分通用するような編集技術が用いられており、一見多岐亡羊の感さえある三百九十八箇条もの条文が、いささかの齟齬を生じることなく見事に一本の太い線で繋がれている。
 今回東洋学術出版社の山本勝司社長のお計らいと、編集担当の坂井由美さんのご尽力により一冊の本となって世に出ることができたことは望外の喜びであり、深く感謝している。願わくば一人でも多くの先生方にご披見いただき、そのうえで忌憚のないご意見やご批判をいただければ幸せである。

二〇〇七年九月 東京虎ノ門の寓居にて
                     髙 山 宏 世

現代語訳 奇経八脈考

訳者あとがき

 手足の八宗穴を用いるだけで、さまざまの症状に対応できる奇経治療は、簡便でしかも非常に有効な治療法である。先師間中喜雄先生に本法の妙味を教授されてから、刺針、磁石、カラーテープと手技は変ったが、筆者は一貫して奇経治療のみを行って日常診療に対応している。
 平成二年の秋、亜東書店で王羅珍校注『奇経八脈考・校注』(以下本書と略称)を見つけたときは非常に感動した。毎日のように奇経治療をしているのに、奇経八脈の代表的な古典である『奇経八脈考』を読んでいなかったからである。奇経の学習にも役立つと思い、平成三年二月から本書の飜訳に取り組んだのである。
 日本ではなぜか奇経治療は軽視されており、私の知る限りでは江戸時代には岡本一抱の『経穴密語集』と夏井透元の『経脈図説』の中に記載があるのみであり、私の手元にある現代の専門書は、城戸勝康著『奇経治療』(奇経治療研究会刊)と入江正著『経別・経筋・奇経療法』(医道の日本社刊)のみである。MP針による奇経治療を推奨していた長友次男氏の著書によると、独仏両国では奇経治療が盛んであり、これはバッハマンが『鍼灸聚英』(一五二九)を種本にして紹介したのが基になっているとのことである。
 高武の『鍼灸聚英』の奇経八脈の項には、それぞれの流注経路、交会穴、病状を簡要に記して、経穴を別記してある。別項には本書の附録にも收録されている「竇氏八穴」も記されている。同書の刊行は『奇経八脈考』の発刊(一五七八)の五十年前である。
 高武の著書によって、当時にはすでに奇経治療はかなり普及していたと考えられるが、李時珍が敢て『奇経八脈考』を刊行した意図は何であったのか、文中に引用されている『霊枢』や『甲乙経』などの古典による裏づけと、自身の見解を述べることのみが目的ではなかったと思う。
 本書の扉にも引用されている「内景隧道は惟だ返観する者、能く之れを照察す」という陰 脈の項の言葉が、『奇経八脈考』を執筆した主眼であったと思う。奇経八脈の効用の真相を解明するためには、内丹つまり仙道の修行が必要なことに気づいて、この見解を述べるために『奇経八脈考』を執筆したのではなかろうか。
 私事であるが、本稿執筆中に少林一指禅功を学んで、経絡流注感覚がおぼろげながら判るようになり、奇経に関しては、例えば右手の指頭を左足の照海穴に向けて回すと、左手の列缺穴に気感を感じるようになった。このささやかな体験によって、李時珍の言葉が少しは理解できたのである。
 本書の「附録」に、八脈八穴の源流と臨床応用が記されている。手足の八穴を組合せる奇経治療の基はいつ頃に完成したのか、興味はつきないが、本書でも「少室の隠者の伝授」として、神秘の扉は開かれていない。しかし私のささやかな経験から推測すれば、古代の経絡敏感人にとっては、手足の八宗穴を組合せることなど、それほど困難なことではなかったと思う。
 本訳書の「釈音」の項と、「附録」の「八穴の配伍応用」の中の「按時配穴法(霊亀八法と飛騰八法)」の飜訳は、淑徳大学の佐藤貢悦助教授が担当した。
 全文にわたって校訂していただいた谷田伸治氏に深謝して擱筆する。

勝 田 正 泰
平成六年四月一日


[原文]傷寒雑病論(三訂版)

第三版あとがき

 本書の初版は、日本漢方協会が創立十周年を記念して上梓したものである。
 日本漢方協会は、正しい漢方知識の教育と普及を目的として、当代漢方医薬界の指導的諸先生のご援助を得て、これまで延べ数千名の受講者を対象として漢方特別講座および同通信教育講座を開催し、斯界に貢献してきている。
 日本の漢方の支柱をなしている古典は、『傷寒論』と『金匱要略』の二書で、この両者を研修せずには漢方を学んだとはいわれないほどである。これら古典は二千年近く前のものであるので、原典は散佚してしまっている。そこで本書を編集するにあたっては、後世の中国で撰次された数種の伝本テキストの中から、最も信頼のおけるとされるものを採用し、二書を合して一冊とした。
 第二版は、初版では省略されていた条文や細注を追加し、誤植を訂正するとともに全篇に条文番号を附した。特に『金匱要略』は、初版の底本(『古今医統正脈全書』に基づく人民衛生出版社版)と第二版の底本は異なっているので、一部に語句の違いがある。
 さらに第三版では省略されていた刻仲景全書序・進呈箚子及び第五篇以下各篇の初めにある一字下げ子目の方剤の部分を追加した。字体は基本的に旧漢字を使用し、できるかぎり底本に近いものとした。
〔採用原典〕
 『傷寒論』… 底本は趙開美版(明・万暦二十七年〔一五九九〕序)とし、句読点は宋成無己注・明汪済川校の人民衛生出版社『注解傷寒論』を参考とした。条文番号(漢数字)は、趙開美版を底本とする上海中医学院中医基礎理論教研室校注の『傷寒論』及び南京中医学院傷寒教研組編著の『傷寒論訳釈(上下)』を基礎とし、更に各篇毎の番号(アラビア数字)も附した。
 『金匱要略』… 先年当協会で影印した趙開美版を底本としたが、条文番号を附すため改行した所が少なくない。条文番号(アラビア数字)については、譚日強編著の『金匱要略浅述』(人民衛生出版社)を参考としたが、附方についても番号を附した。また細部については、成都中医学院主編の『金匱要略選読』を参考とした。
 なお、〔 〕は、処方検索を容易にするため附加したものである。傍線(――)は、底本にはないが補った部分であり、傍点(○)は誤字を訂正したことを示す。

日本漢方協会学術部
東京都新宿区西新宿8-14-17 アルテール新宿401号
電話 03(3369)7512 FAX.03(3363)6584
平成十一年十二月吉日

現代語訳 黄帝内経素問 上・中・下巻

監訳者あとがき

 古典の翻訳は時間がかかる。ひとつの古典をめぐって、異なる多くの時代に積み上げられた解釈の山を媒介とすることなしには、たったひとつの言葉すらもその意味を明らかにできないからだ。しかも、それらの解釈が、その古典が書かれた時代の意味をそのまま伝えている保証はどこにもない。翻訳者は、古典の原文と、そうした蓋然性しか有していない解釈の山と、同時代のさまざまな資料とを見較べながら、これも蓋然的なものにすぎない自分の解釈を選び取ってゆかねばならない。
 そうした作業の末に著わされた『黄帝内経素問訳釈』という書を、日本語に重訳しようとすれば、重訳者もまたそのプロセスを踏みしめ直してみる必要がある。とりわけ本書のように、注釈の量をある程度抑制してコンパクトにまとめた書物の場合、ある原文の一節がどうしてそのように訳されているのか、そこに意味されているものは何かといったことが分からないと、意味を取り違えて重訳しかねない。また本書は、この種の書物としては比較的早期に成書したため、試訳的な部分や誤訳と思える部分もないわけではないから、それらについても、紙幅が許す範囲で重訳者が改訳していかねばならない。やっていけば際限なく増え続けるばかりのこうした作業を、量と時間の制約の中で果たしていくことが、どれ程フラストレーションを呼ぶかは、多分それに直接携わったことのある人以外には誰も分からないだろう。
 原訳を日本古文の書き下し文にする作業も、こうした原書の性格と、現代中国語風に句読された原文にしばられながら行なわざるをえないから、かなり苦渋に満ちたものとなった。また、複数の重訳者による、それぞれ個性的でみごとな書き下しのスタイルと翻訳についても、本来監訳者が統一することなど原理的に不可能としかいいようがないのだが、失礼を顧みず統一させていただかざるをえなかった。訳者諸氏独自の色あいをどれ程保つことができたか、心許ない限りだが、今となってはただ御寛恕を願うばかりである。紙幅を広げぬために、訳注は最小限に絞り、訳文も敬語などを削ってきりつめた形にしたのだが、それでも上中下三本に分かたねばならぬ量になってしまったことも含め、訳業の難しさを思わずにはいられない。
 監訳者としてこの仕事に関わり始めたのは、もう六年も前のことだ。大幅な遅滞の原因は、全て私の、多忙にかまけた怠慢さにある。ただ、私事に渉らせていただけば、訳業を始めて数年後に、腎を患って入院せざるをえなかったことが、いつまでも続く痛みとして尾を曳いたことは否みようがない。そうした日々の焦りが、訳業の上に不測の影を落としていないとよいのだが、もともと力量に乏しい私のこと、恐らくさまざまな誤りを犯していることだろう。
 どんな古典の翻訳も、多かれ少なかれさまざまな妥協のアマルガムの形でしか、世に出てくることができない。古典が背負った宿命ともいえるこの事実は、以上述べたような事情から、この日本語訳についてもあてはまる。だが、そうした妥協にもかかわらず、この訳には生まれねばならぬ必然性があったことも、また確かなことである。中国伝統医学の教典として伝わった書物の内で最も古いものに属する本書を、誰もが手に取って読める程度のボリュームで、しかも古典読解に伴って原文について考えていく上の資料も付した形で、一刻も早く提供する必要があったのだ。
 周知のように、伝統医学はその価値を評価され、広まっているかにみえて、実はその薬箱と理論抜きのマニュアルだけを盗まれ、近代医学のある部分を補完するものとしてのみ位置づけられようとしている。薬箱も近代科学の方法で再評価され、その粗い網目から抜け落ちた要素は、あたかも無かったかのように扱われがちである。インスタント漢方医の盛行が、この情況を更に歪めている。
 この情況を招いた理由のひとつに、肝腎の伝統医学理論の原典である『素問』・『霊枢』のスタンダードな翻訳が手に入りにくいとい現実があったことは否めない。誰もが『素問』・『霊枢』について語ったが、その多くの人はそれらの書を古典原文の形で通読したことがなかったのだ。原典はおろか、明清の医学と民国から先の西欧医学との不思議なアマルガムとして成立した現代中医学の、そのまたマニュアル書すら読まずに、伝統医学を語り、用いるのはやはり相当危ういことだったはずなのだが、事実はそんな雰囲気の中から、「漢方の現代化」といったものは起こっている。
 伝統医学の理論や、本来の方法論自体には、近代医学の補完どころか、未来の医学のモデルになるような要素がたくさん含まれている。原典の読解から、それらを再評価し、未来の医学につなげていく作業は、私達と、これから生まれてくる未来の伝統医学関係者の責務である。現代中医学にまなざしを向けながら、常に原典とその理論に戻ることをモットーとされている篤志の書肆、東洋学術出版社の山本勝曠氏の熱意と、それを支持された多くの伝統医学家の情熱に励まされながら誕生した本訳書が、そうした未来の医学を生むための捨て石のひとつになることを祈りつつ、あとがきの筆を擱くことにしたい。